〈KotodamA〉りょーちんインタビュー 前編 横須賀市、浦賀。光風台という風が通る場所に、〈KotodamA〉というお店がある。なんのお店かというと、手紙屋だ。店主のりょーちんは横須賀へ移住し、このお店を開いた。前後編の構成で、今回はお店を開くに至る経緯を語ってもらった。 —お生まれを教えてください。 「神奈川県横浜市で生まれてる。誕生日は昭和62年の11月2日。マリー・アントワネットとクッキーモンスターといっしょ」 ―やべぇじゃん。二大巨頭じゃん。 「そうだよ。あとは深キョン。」 ―だいぶ強い。生まれ育った環境はどんなところでしたか? 「物心ついたころはわかんなかったけど、たぶん、ウチ貧乏だったんだよね。あとあと聞いたのは、いまで言うデキ婚。おそらくね。父ちゃんは昔の人だから、筋通してくれて育ててくれた。市営住宅だったし、家が。自分の部屋もなかったし。ひたすらそこで育ててもらったけど、なんだろうな、友達とかはめちゃくちゃいた。市営住宅にも遊びに来てくれてたし。友達の家に行ったときに、一軒家とか見て、すげえってなった。ひとりっこだから、甘やかされたと言われるけど、何をもって甘やかされたかがわからない。」 ―俺の地元も部落が近くにあったりさ、貧困が近い状況だったんだけど。横浜の市営住宅っていうのはどういう環境なの? 「収入が少ない人たちが住んでるね。嘘かほんとかわからないんだけど、川崎生まれなの、親父が。で、そっから出てって、横浜に住むってなったときに、市営住宅に申し込んだんだと思うんだよね。お金がなくて。そしたら合格して、住めるようになって、そこから出てくつもりはなかったみたい」 ―りょーちんは、ハーフなんだよね。 「そう。お母さんがフィリピン人。お父さんは日本人。親父の兄弟からも、いろいろ言われたよ。あとで聞くと、母ちゃんはけっこうショックだったみたい。母ちゃんは、一応日本語はしゃべれるんだけど、片言にはなるのかな。今思うと、いじめとかありそうだけど、意外となかった。自分の性格が明るくて、フレンドリーだったから。それもよかったことだよね」 ―自分のルーツが市営住宅ということもふくめて、ここは他と違うなって思ったことはある? 「部屋がすくなかった。1Kにしようと思えばできてたけど、襖とかで仕切ってた。でも、他の家に行くと、扉なんだよね。障子じゃない。あれ?ウチと違うなって思ってたけど、こどもの頃はわからなかった。楽しければいいって感じだったから。大人になって気づいたけど、恥ずかしいっていうか、さみしい、っていうのは、今思うとある。自分の部屋もなかったし。庭とかもなかったし。うらやましかったね。違うところでマウントとってた。エレベーターが二基あるんだけど、ひとつは奇数階にしか止まらない、ひとつは偶数階しか止まらない。こんなのないぜっつって。りょーくん家に行くと、八階だったから、そこに新しいストーリーが生まれるっていう。そういうのを笑いにしてたのかな」 —さみしさとか、そのときの感情や経験って、いまやってるにつながってる? 「えーっと・・・。いやそこは、貧乏だったりとかさ、貧困とか、気持ちがわかると思うんだよね。じゃあ、今やってるお店に関しては、接してるお客さんとかが、そういう状況だとわかるわ、っていうくらいかな。それをきっかけにお店をやる、ということになってわけではない。ただその、貧乏で、こどもたちがお金がない、って言われると、俺もその気持ちわかるわ、ってなるから、サービスしてしまうことがある。でも、これを読んで貧困のフリをしに来てほしくない。」 ―それでは、〈Kotodama〉をはじめた経緯を教えてください。 「中学のころ、自分のお店を持ちたかった。でも、具体的に、なんのお店かは決まっていなかった。先生に相談すると、じゃあ、商業高校に行きな、って言われた。商業高校を出て、自分のお店を持ちたかったけど、具体的にどうすればいいかわかんなかった。今思えば、その時にアクションすればおもしろかったけど。とりあえず、オフィス用品の販売会社に就職した。で、それを一年やったときに、親戚の集まりがあって、工場長になった人がいて、ウチ、いま景気いいぞ、くるかってオファーがあって。でも、商業高校出たやつが工場行くって、バカじゃん。でも、転職て。で、結婚もして、子供もできちゃった。家庭もできて、夢を諦めちゃったの。このまま会社で安定して、一生終えると思った。 ただ、途中で親父が熱中症で倒れて。心配で見舞いに行ったんだけど、退院になったときに、別の検査でガンが見つかって。入院になっちゃったの。その時に俺が、母の日にミニアルバムをつくって。で、父ちゃんに、母ちゃんに手紙を書けば?って言ったの。そしたら親父が、集中して、だれかのために手紙を書いたのをはじめて見て。そのシルエットがすごくよくて。結局、親父は亡くなったんだけど。ただ、その時の親父のメッセージ、字体とか写真、これめっちゃ大事ってなって。そこにその人がいる、みたいな。Lineとかの時代に、手紙ってすごく重要だなって思って。そこで自分のやりたいことが見つかった。そこのタイミングで、別居もはじまった。別居だけど、独り身になっちゃったから、夢叶えよってなって。別居中だけど、親権を取るのに有利だから、店舗兼住居にしちゃおうってことで、動いちゃった。で、横須賀に越すことになった。」 むすびつくこと 〈nephew〉の生ハムサンドイッチ 〈オーブンズ〉のコロッケパン 〈farbiger Alltag〉のロッゲン 〈前門飯店〉の餃子 HOME