ジミ・テナーは17のころ、よく聴いていた。
ジミ・テナーの本名はラッシ・レヒト。フィンランド人で、ラハティという街に1965年に生まれた。
フィンランドが農業国から高速に工業化していった時代だった。マリメッコや、アルヴァ・アアルトが世界的に評価されはじめていた。国内では第二の公共放送がはじまり、海外のポップカルチャーが流れ込んでいく。
ジミ少年も、この流れからセンスを吸収していたはずだ。

リンドロス、ハンヌ、写真家 1969
国立文化財庁
芸名であるジミ・テナーは、彼が敬愛するジミ・ヘンドリックスとテナーサックスを掛け合わせたもの。
彼はユニークな音楽家で、廃材をつかって自作楽器をつくって音を創造している。
彼はインタビューで、自分の作品をオブジェに例えたら?と聞かれると、「ミクストメディアのアート。木の板を釘で打ち付けたようなやつ」。と応えている。
岡山市にある〈グルーヴィン〉という中古レコード屋で、CDを買った。600円とか、値段は安かったはずだ。
やすき少年は弟が津山口のお祭りで当ててきたコンポを無理やりうばって、音楽ライフを楽しんでいた。
ジミは90年代に〈Warp〉からデビューし、エレクトロニカやラウンジミュージック、クラブジャズ畑からキャリアをスタートさせた。
そのデビューアルバム、『Intervision』がやすきが買ったもの。
60年代の映画音楽をサンプリングしたり、生演奏もあり。BPMがヒップホップに近くて、とてもおしゃれで聴きやすかった。
ジミは地元のフィンランドからニューヨークに移り住んで製作していたという。
このころ、クラブジャズやラウンジもののインストをよく聴いていた。気だるい雰囲気が、吉井川と作陽高校がみえるあの部屋で、よく聴いていた。父もまだ生きていて、同じ屋根の下で、父はジャズを、やすきはクラブジャズを聴いていたのか。
どちらかというと電子音楽よりの人だが、今作はフィンランドのCold Diamond & Minkが演奏し、オーガニックな仕上がりになってる。
魂が持ってかれるような曲だった。いまだに、そういう曲と出会えることはありがたい。