ギリシャ人は、最初、星占いに見向きもしなかった

百年前のドイツの本『星の信仰と星占い』の第2章のはじまりを、ギャル翻訳家のユカがざっくり自由訳。理屈っぽいギリシャ人が、星占いに出会うまでの話です。

DONUTS. ・ 古い本をいまの言葉で

黄色い光線の太陽をまんなかに、星と雲と惑星がぐるりとならぶ、青と黄色の円い絵。

勝ち誇って、彼は星々へ、星の目を向ける。ローマの詩人マニリウス(原書の第2章の題辞)

なんで、ギリシャ人が星占いを?

こんにちは、ユカです。前回のバビロニアにつづいて、今回は第2章。ここからは、カール・ベゾルトじゃなくて、本のタイトルにもなってるフランツ・ボル本人の文章だよ✨

ギリシャ人って、きびしい学問の生みの親みたいな人たちだよね。ただ真実だけに仕えるお勉強を、世界でいちばん早く、本気でやりぬいた。そんな人たちが、いつ、どうやって星占いにたどりついたのか。ボルは、これを「オリエントからギリシャ文化への、運命的なプレゼント」って呼んでる。東と西のぶつかりあう、終わらない綱引きの一場面なんだって。

昔は「ギリシャは東と関係ない、ひとりぼっちの国」って思われてたけど、いまはそう見ない。クレタ島の文化は、エジプトとはしっかり交流があった。バビロンとは、ちょっとだけ。でも、そのクレタの宗教も、星空はそこまでガン見してなかったみたい。太陽・月・星のマークも、クレタの美術ではそんなに出てこないの。

ギリシャの神さまは、空じゃない

ギリシャの初期の宗教も、星空からパワーをもらってなかった。神話に星の動きが出てくることも、ほとんどない。ボルが挙げる例が、笑えるんだよね。喜劇作家のアリストパネスは、太陽と月を「野蛮人の神さま」って見てたの🌞🌙 「えっ、あんなの外国の神さまでしょ?」ってノリ。

ここで、東の宗教とのいちばん大きな違い。ギリシャの神さまは、自然といっしょに生きて死ぬ存在じゃなくて、人間みたいなかたちで自由に動く存在になってた。ゼウスの名前は、もとは「明るい空」から来てるかもしれない。でもゼウス本人は、空そのものじゃなくて、いろんなところで力をふるう、いちばん偉い神さまなの。

ホメロスの星空は、ただの景色

ギリシャの「中世」(紀元前1000年ごろ〜前6世紀なかば)は、芸術がオリエントの影響をけっこう受けてた。でも叙事詩のなかには、東の宗教や世界観のあとは見つからないんだって。農家も猟師も船乗りも、カレンダーもコンパスもなかったから、星座は知ってた。でもそれは完全に実用目的で、宗教っぽい気持ちはほぼゼロ。ホメロスが、トロイア軍のかがり火を星にたとえるところは、こんな感じ。

月のまわりに星々があらわれて、空気は澄んで風もおだやか。星がぜんぶ見えて、羊飼いがうれしくなるときのように。

ホメロスの詩を、ボルの引用(ドイツ語)から訳したもの

羊飼いにも詩人にも、星を拝みたい気持ちはなかった。星に「なにか神聖なもの」は感じてたと思うけど、それは澄んだ泉や月桂樹、森にひそむ蛇に感じるのと、同じくらい。星の崇拝には、つながらなかった。

たとえば、「犬の星」シリウス。7月の朝に昇ると、いちばん暑い時期の熱病を起こす、って民間では信じられてた。でも開けた考えのイオニアの人たちは、これをビクビク崇めたりしなかった。こわがって拝んでたのは、本土と、小さなケオス島だけ。毎年そこでは、昇ってくる「ギラギラの、あぶない星の邪視」にいけにえを捧げて、武器をピカッと光らせて、威嚇してたんだって😳

それから、紀元前648年の日食。天才詩人アルキロコスは、昼なのに夜になったのを見て、神さまへの畏れじゃなくて、「こんなめずらしいことが起きるんだ!」ってびっくりしてる。この「この世のことは、この世で考える」っていう自由な心が、イオニアの詩にもあって、やがてイオニア哲学が、世界をはじめて理屈で説明しようとするんだ。

東からは習った。でも占いだけは、スルー

6世紀のイオニア自然哲学は、天文学のベースを、オリエントからめちゃくちゃ習ってた。タレスとその後継者たちが、バビロニア人から(直接だったり、間をはさんでだったり)受け取ったものは、たとえばこんなの。

  • 日食の予測ざっくりした、先ぶれの予想
  • 空の道すじ赤道と、太陽や惑星の通り道の知識
  • 惑星その数
  • 星座黄道十二宮の名前と区分、ほかの星座も一部
  • 時間1日を12時間に分けること

基本中の基本だけど、まだけっこう幼くて、「惑星のほうが恒星より地球に近い」ってことすら、確定してなかったみたい。そして、ここがポイント。星の知識で、人や国の未来を占うっていうところだけは、哲学者たちは取り入れなかったの。目的は、世界を理屈で組み立てること。オリエント流の考え方からは、ずっと遠かった。

たとえば哲学者アナクサゴラス(ペリクレスの友だち)は、空を自分の祖国みたいに感じて、星を見るのが人生の使命だって思ってた。でも彼が探したのは、拝むことでも、星空に書かれた運命にビビることでもなくて、理屈にあった知識。「太陽は燃える石」って言いきって、日食のこわさを、自然な説明で消そうとしたの。

その逆の例が、将軍ニキアス。月食にビビって、紀元前413年のシチリア遠征で、アテナイ軍に大惨事をまねいた人。トゥキュディデスみたいな冷静な人から見たら、完全に「時代おくれの、迷信にとらわれた人」。反対にペリクレスは、日食におびえる兵士の前で、自分のマントを兵士の顔の前にかざして、「ほら、こうやって光がさえぎられてるだけ」って教えたんだって。

空のサインは見てた。でも運命論はなし

もちろんギリシャの占い師も、空のしるしは見てたよ。雷や稲妻だけじゃなくて、流れ星を見て「戦争がまだ続くかも」って不安になる。ギリシャ人もトロイア人もそうだったし、いまも、彗星でそう思う民族がいるくらい。詩人ピンダロスは、紀元前463年に、日食で神さまが怒ったと考えて、なだめる歌を作ってる。

でも、これは「星空に書かれた神のご意志」じゃないの。ほかのいろんなしるし(神さまの機嫌がいいか悪いかのサイン)のひとつ。未来を星から読み解く技術も、星空に張りついた運命の信仰もなかった。占い師が探してたのは神さまの意志で、どの方法で現れるかはどうでもよかった。

悲劇作家も、喜劇作家も、歴史家も、弁論家も、星占いについてひとことも書いてない。エウリピデスのお父さんに、「カルデア人」が「息子さんは競技会で優勝するよ」って予言した、みたいなエピソードはあるけど、出どころが怪しいし、本当だったとしても、全体の流れは変わらないんだって。

トロイアの英雄ヘクトルが、奥さんを慰めるセリフもそう。

運命にさからって、私を冥界に送る者はいない。

でも、決められた運命は、死すべき者のだれも逃れられない。

生まれたそのときに、勇者も臆病者も、同じようにそれを受けるのだから。

ヘクトルのセリフ。ボルの引用(ドイツ語)から訳したもの

ボルいわく、これを「出生時刻が大事」っていう星占いの信仰のヒントだと読むのは、昔の偏見でも、いまの偏見でもある、って。ふつうに「アジアの王子さまなのに、中身はすごくギリシャ的な人」のセリフとして読めばいいんだって。ヘシオドスの「月の何日が良い日、悪い日」の話も、ちょっと星占いっぽいけど、根拠は月の動きじゃなくて、神さまたちの誕生日。星占いのずーっと手前の、ふんわりした前段階ってこと。

ボルいわく、ギリシャ人が紀元前5世紀の終わりまで、バビロニアの星占いをまったく知らなかったとは考えにくい。でもアレクサンドロス大王の時代より前は、星占いはギリシャ人の詩にも、野心にも、暮らしにも、影響しなかった。理屈っぽいギリシャ人は、オリエントの神官の教えの「ありがたい薄暗がり」を、サクッと断ったんだ。

でも、哲学が地ならししてた

それでも、のちに星占いを受け入れる準備は、ある意味、哲学がもうしてたの。宇宙には厳しい法則がある、って知ろうとする気持ち。この気持ちが、自由なギリシャの思考を、そのうちオリエントの宿命論に近づけた。その中心が、ピタゴラスの学派(たぶん本人も)だよ。

世界ではじめて「自然法則」の考えが見つかったのは、弦の長さと音の高さの関係。ピタゴラス派は、宇宙の美しさと、くずれない秩序を拝んでた。空と惑星の動きは、数の比で決まる音を奏でながら進む、って考えたの🎵 キケロにも、そのこだまが聞こえるよ。

空には、偶然も、でたらめも、迷い道も、むなしさもない。あるのは、ただ、秩序と、真実と、理性と、永続だけ。

キケロ(ローマの政治家・哲学者)に残る、ピタゴラス派の信仰のこだま

この学派は、6世紀のギリシャで起きたもうひとつの熱い動き、オルフェウス教ともつながってた。教えの中身は、人が死んだあとの魂の運命、生まれかわり、そして「こわい輪廻のぐるぐる」からの救い。だからピタゴラス派は、二つの道の土台をつくったことになる。

  • 道その1:天文学宇宙の変わらない法則を探る、猛ダッシュの道
  • 道その2:星占いの神秘主義星は目に見える神々。そのうるわしさを拝み、魂は星が永遠のふるさとで、いつか帰る、と信じる道

同じ深い精神の動きから、二つの道が出てくるのは、ほんと、でらおもしろいがね。一方では、大胆に世界の絵を描いた。紀元前5世紀には、地球を宇宙の中心から追い出して、紀元前3世紀には、サモスのアリスタルコスが太陽中心説(コペルニクスの先取り)にたどりついてる🌍 もう一方では、ピタゴラス派の人たちが、バビロニアの星占いにアンテナを立てた。その数と図形の神秘主義には、いまなら星の要素が見えて、少なくとも原理としては、バビロンにさかのぼるんだって。

プラトンの学園で、星は生きのこった

ピタゴラス派の宗教的・科学的な考えを引き継いだのが、プラトンのアカデメイア。星の伝統がここでいちばん強く生きつづけたのは、当たり前なんだって。星には魂があって、神さまみたいに偉いこと。夜ごとに静かに軌道を進む、美しいリズム。プラトンはこれを深く信じてたから、ふだんは冷静で辛口の弟子アリストテレスですら、この考えだけは、めずらしくあったかく守ったの。

  • 『饗宴』アリストパネスの話に出てくる、太陽人間・月人間・地球人間という、球体の人間たち。冗談みたいだけど、オルフェウス教の宇宙創世論に根っこがあって、のちの「惑星の子ども」の教えを思わせる
  • 『国家』のラストエルの物語。地上のできごとと人間の運命の必然が、宇宙の星の形で描かれて、惑星の動きと結びつけられる。語り手の名前は、イランっぽい響きで、東とのつながりが見える
  • 『ティマイオス』人間の魂ぜんぶに、それぞれひとつの星が、乗り物みたいに割りあてられる。星の数だけ、魂がある⭐

ただし、これは、まだ「星占い」と呼べるものじゃない。星占いの人工的なシステムのための、広まってる素朴な考えで、しかも、もう使えない前段階のもの。ここで第2章の最初の山は終わり。次は、いよいよ星占いが本格的にギリシャへ入ってくる、ヘレニズムの時代だよ。……って、ボルは言うけど、ここまでの話は、なかなか強引だがね。

訳者メモ

  • 底本は、Franz Boll, Sternglaube und Sterndeutung(第3版、Teubner、1926年)の15〜20ページ。第2章「古典の地における、占星術の発展」のはじまりです。ウェルカム・コレクションが公開している、パブリックドメインのスキャンから、原文のドイツ語で訳しました。
  • 抄訳・自由訳です。細かい引用や、脚注の人名は、省くか短くまとめました。ホメロス、ヘクトル、キケロの引用は、ボルのドイツ語から訳したもので、ギリシャ語・ラテン語の原典からではありません。
  • 百年前の研究なので、いまの定説とずれているところもあるかもしれません。
  • 名古屋弁は、ユカの本気スイッチ。1記事に1〜2回だけ出ます。

この記事を訳した人

ユカDonuts.編集部 ・ 翻訳担当

岐阜県出身のギャル翻訳家。むずかしい昔の論文を、いまのノリでガシガシ訳すのが仕事。ノリは盛るけど、中身は盛らない。底本と、どこを要約したかは、毎回ちゃんと書くよ✌️ 名古屋弁が出たら、そのとき本気だと思って。

好きなもの:古い本 ・ 粘土板 ・ ホロスコープ

  • フランツ・ボル(1867〜1924):ドイツの古典文献学者。ハイデルベルク大学教授。この第2章の著者。
  • ヴィルヘルム・グンデル(1880〜1945):第3版の編者。

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