星占いは、二つの川のあいだで生まれた vol.1
星占いは、二つの川のあいだで生まれた
百年前のドイツの本『星の信仰と星占い』の第1章を、ギャル翻訳家のユカがざっくり自由訳。バビロニアの粘土板に刻まれた、星と王様と天気の話です。
訳 ユカ(Donuts.編集部)
原著 フランツ・ボル/第1章 カール・ベゾルト
DONUTS. ・ 古い本をいまの言葉で
信じる心はひろく、考えはせまく…ゲーテ『西東詩集』(原書の第1章の題辞)
太陽ギラギラの平野で
こんにちは、ユカです。今回は、1900年代はじめのドイツで出た本の第1章を訳してみたよ。書いたのは、粘土板の文字を読む学者のカール・ベゾルト。ノリは盛るけど、数字と名前はちゃんと残してるから、そこは安心してね✨
占星術のはじまりは、オリエント。いまは「メソポタミアだ!」って言い切れるんだって。場所は、ユーフラテス川とチグリス川にはさまれた、太陽ギラッギラの平野。ここは空気がありえないくらい澄んでて、星が北ヨーロッパのどんより空より、ずっと近くて迫力あって見えるらしいの。
決め手になったのは、バビロニア・アッシリアの人たち自身が残した文献。19世紀なかばからの発掘で出てきたやつ。これを読むと、星占いのはじまりも、星をガチで信じる信仰のはじまりも、この二つの川の国にあったのは間違いなし。……って言いたいんだけど、残ってる資料がスカスカで穴だらけだから、全体像まではまだ描けないんだよね。
粘土板の図書館
星占いが書かれた粘土板のカケラが、はじめてヨーロッパに来たのは1851年。しかも、たった1個。ドバッと見つかったのは19世紀の終わり、イギリスが古代都市ニネヴェで超ビッグスケールの発掘をしたとき。いま大英博物館にある、アッシュールバニパル王(紀元前668〜626年)の図書館で、星占いの粘土板だけで約4000点。ぜんぶで約2万5000点あるうちの、かなりの数なんだ。
この星占いの記録をたどっていくと、ぜんぶ、たった一つの巨大な作品に行きつくの。少なくとも70枚の粘土板でできてて、出だしが「アヌ、エンリル、エア、偉大な神々が、話し合いで天と地のお告げを書き記したとき…」だから、タイトルも「アヌ・エンリル」。(一般には「エヌマ・アヌ・エンリル」って呼ばれるよ。)作った人も、できた時代もわからない。でも、何度も写されて、書き直されてるのは確か。元をたどると、紀元前7世紀よりさらに昔までさかのぼるはずだって。
占いの文は、だいたい「もし〜なら、〜になる」の形。たとえばこんな感じ。
もし月の14日に、月と太陽が向かい合っていたら、王は「広い耳」をもつでしょう。
もし新月が白い王冠をかぶっていたら、王はほかの国々を支配するでしょう。ちなみに、1日目にホントにそう観察されました。
粘土板の文例より(原文ママ。「広い耳」の意味は本文に説明なし)
最後の一文は、「予言が当たった」って意味じゃなくて、「条件になってる月の見え方を、ホントに観察したよ」っていう記録。結果じゃなくて、条件のほうをメモしてるのがポイント。書記さん、律儀すぎて好き。
何を占ってたの?
中身は、ニネヴェで知られてる動物のお告げや、出産のときの不思議な現象のお告げ、夢占いとだいたい同じ。つまり、メソポタミアで暮らす人たちの毎日が、そのまま映ってるの。いちばん多いのは、風、嵐、雨、洪水。収穫がよければ穀物が倉庫でパンパン。でも日照りで収穫がなかったら、とんでもない飢えが来て、パンを買うために子どもを奴隷に出して、しまいには人を食べる人まで出る、なんて書いてあるの😱 そこから病気、隣の国との戦争、反乱、宮殿のクーデターと、王様の交代まで話が広がっていく。
ここで大事なのが、占星術の根っこのアイデア。空にある星座のイメージの名前が、そのまま地上のできごとにつながるの。
- てんびん座の位置穀物の値段に影響する
- 魚座の光が弱い魚の卵が被害を受ける
- 火星がさそり座に近づく王様が、さそりに刺されて死ぬ。ちょ、それ、でらこわいがね。
- 金星が長く見える長生きする
占いの目は、ほとんどが「国まるごと」か、せいぜい「王様と王子様」に向いてたの。ふつうの人ひとりの運命を計算した跡は、この記録にはほとんどないんだって。(でも紀元前4世紀ごろのギリシャの著述家の証言から、そういう個人の占いも、もうあったのは確実らしいよ。)
神さままで占いの対象だった。国の守り神たちは、星の「絵文字」で読める条件を見て、国の運命を話し合うの。国を愛してるうちは、国の幸せを考えてくれる。でも怒ると、国と王様を敵にさし出して、ぷいっと出ていっちゃう。そこで、ちゃんと選んだお供え物を捧げると、神さまが戻ってきて、荒れた神殿も建て直されて、また国が立派になる。
月と太陽、それから「星の代理」
いちばんよく観察されたのは、月🌙 大きさも満ち欠けも目立つし、いちばん便利な時計でもあったから。細い三日月がいつ見えるか、角の形は、光の色は、まわりにかさ(ハロー)があるか……と、チェックはすごく細かいの。太陽は月よりワンランク下。それでも、日の出の場所が1年で変わることは、早くから記録されてた。
ここで出てくるのが、占星術のコツ「星の代理」。条件によっては、ある天体の代わりに別の天体を使って予言していい、っていうルール。太陽のいちばんの代理は土星で、多くの碑文で、土星はまるごと「太陽」って呼ばれてる。「月と太陽が向かい合う」って予言を、「月と土星の位置関係」に置きかえた例もたくさんあるんだって。
惑星の代理を、恒星がやることもあるの。これは長いこと謎だったんだけど、答えは色。惑星の色を、赤から白まで4段階に分けて、いちばん明るい恒星の色とくらべる。同じ色なら、占星術でも「同じ」ってことにしたんだ。
月と太陽に、さまよう星(惑星)5つを足して「7つ」にまとめる考え方は、紀元前650年ごろにはもうあった。でも、いつからそうなったのかは、いまもはっきりしてないよ。
七つの星と、神さま
楔形文字で「神」を表す、いちばん古い文字は、星の絵なんだって。星と神さまは、最初からセットだったんだね。わかってる範囲で並べると、こんな感じ。
- 月 ・ シン気まぐれに姿を変えるけど、だいたい吉。月食はこわいけど、やわらげる条件も一緒にチェックした。
- 太陽 ・ シャマシュ光と命をくれる昼の星。でも、焼いて干からびさせる火でもある。
- 金星 ・ イシュタル愛と母の女神。国を愛して、やもめにやさしい。乳児にだけ危険。
- 木星 ・ マルドゥク全知の創造神。凶星にじゃまされなければ吉で、月のかさの中では男の子の誕生をもたらす。
- 土星 ・ たぶんニヌルタ戦と狩りの神。太陽の代理で暮らしを助けるけど、戦争も起こす。
- 水星 ・ たぶんナブ書記と知恵の神。急に消えて、また出てくる。人の善行と罪を書いた「運命の粘土板」の筆をとる。
- 火星 ・ ネルガル疫病と死の神。惑星でいちばんの災いのもと。麦やナツメヤシの収穫、家畜、魚の卵をじゃまして、王に死を運ぶ。
空にも、地図があった
占いは、危険やチャンスが「どの方向から来るか」も、空から読めないといけない。そこで、バビロニアで最初に生まれたのが、占星術の地理学。(聖書の申命記4章19節も、これをほのめかしてるよ。)地上の世界は、4つの方角に対応する4つの国に分けられたの。
空のできごとは、この4つの国に結びつけられた。風や雷なら、南の空=アッカド、北の空=スバルトゥ、みたいに自然な順番。でも月食だと、順番がずれて「南=エラム、北=アッカド……」になるの。惑星や星座にも担当の国があって、木星は「アッカドの星」、火星は「アムッルの星」、プレアデスはエラム、ペルセウスはアムッル。月食が起きる月や、新月が見える日まで、国ごとに決まってたんだよ。
おひつじ座は古い都市エレクの担当で、かに座の前のほうの星はティグリス川、後ろのほうの星はユーフラテス川。……細かすぎて、ちょっと笑っちゃうよね。
名前のない占星術師たち
こうした占いをつくったのは、「粘土板の書記」って呼ばれた、高い身分の神官たち。名前は、ほとんど残ってない。観測は、クタやボルシッパの街の、高い階段式のピラミッドの上でやってた。それがパレスチナの人たちのあいだで「バベルの塔」の伝説になったんだろう、って本には書いてあるよ🗼
でもね、楔形文字のむこうからは、血の通った人間の声が聞こえてくるの。望んで、期待して、こわがって、頼みこんで、ときにはケンカもする。悪い知らせを持っていったら王様に怒られるから、資料の読みをこっそりずらしたり、こじつけの解釈に逃げたりもしたみたい。そりゃそうだよね。
彼らの知恵には、限界もあった。たとえば、こんな予言。
もしニサンの月の1日、太陽が昇ったとき、たいまつのように赤くて、白い雲が立ちのぼり、東風が吹いたなら、その月の28日か29日に日食がおこる。王はその月のうちに死に、息子が王座につくだろう。
粘土板の文例より
それでも、昔の学者たちの探求は、強い宗教心に支えられてた。苦労して考えぬいて、いつの時代にもいちばん大事な学問のひとつが育つ土壌を、耕したんだ。ケプラーの合言葉は「苦難をこえて星へ(per aspera ad astra)」。ほんと、よう頑張ったがね。
訳者メモ
- 底本は、Franz Boll, Sternglaube und Sterndeutung(第3版、Teubner、1926年)。第1章「バビロニア人の占星術」は、カール・ベゾルトの執筆。ウェルカム・コレクションが公開している、パブリックドメインのスキャンから、原文のドイツ語で訳しました。
- 抄訳・自由訳です。小さい字の脚注と、細かい観測記録は、省くか短くまとめました。数字と固有名詞は残したけれど、神さまや人名のカタカナ表記は一般的な形に寄せたので、気になる人は原文でたしかめてね。
- 百年前の研究なので、いまの定説とずれているところもあるかもしれません。
- 名古屋弁は、ユカの本気スイッチ。1記事に1〜2回だけ出ます。
この記事を訳した人
岐阜県出身のギャル翻訳家。むずかしい昔の論文を、いまのノリでガシガシ訳すのが仕事。ノリは盛るけど、中身は盛らない。底本と、どこを要約したかは、毎回ちゃんと書くよ✌️ 名古屋弁が出たら、そのとき本気だと思って。
好きなもの:古い本 ・ 粘土板 ・ ホロスコープ
- フランツ・ボル(1867〜1924):ドイツの古典文献学者。ハイデルベルク大学教授。
- カール・ベゾルト(1859〜1922):東洋学者。この第1章の著者。
- ヴィルヘルム・グンデル(1880〜1945):第3版の編者。
星占いは、二つの川のあいだで生まれた
百年前のドイツの本『星の信仰と星占い』の第1章を、ギャル翻訳家のユカがざっくり自由訳。バビロニアの粘土板に刻まれた、星と王様と天気の話です。
訳 ユカ(Donuts.編集部)
原著 フランツ・ボル/第1章 カール・ベゾルト
DONUTS. ・ 古い本をいまの言葉で
信じる心はひろく、考えはせまく…ゲーテ『西東詩集』(原書の第1章の題辞)
太陽ギラギラの平野で
こんにちは、ユカです。今回は、1900年代はじめのドイツで出た本の第1章を訳してみたよ。書いたのは、粘土板の文字を読む学者のカール・ベゾルト。ノリは盛るけど、数字と名前はちゃんと残してるから、そこは安心してね✨
占星術のはじまりは、オリエント。いまは「メソポタミアだ!」って言い切れるんだって。場所は、ユーフラテス川とチグリス川にはさまれた、太陽ギラッギラの平野。ここは空気がありえないくらい澄んでて、星が北ヨーロッパのどんより空より、ずっと近くて迫力あって見えるらしいの。
決め手になったのは、バビロニア・アッシリアの人たち自身が残した文献。19世紀なかばからの発掘で出てきたやつ。これを読むと、星占いのはじまりも、星をガチで信じる信仰のはじまりも、この二つの川の国にあったのは間違いなし。……って言いたいんだけど、残ってる資料がスカスカで穴だらけだから、全体像まではまだ描けないんだよね。
粘土板の図書館
星占いが書かれた粘土板のカケラが、はじめてヨーロッパに来たのは1851年。しかも、たった1個。ドバッと見つかったのは19世紀の終わり、イギリスが古代都市ニネヴェで超ビッグスケールの発掘をしたとき。いま大英博物館にある、アッシュールバニパル王(紀元前668〜626年)の図書館で、星占いの粘土板だけで約4000点。ぜんぶで約2万5000点あるうちの、かなりの数なんだ。
この星占いの記録をたどっていくと、ぜんぶ、たった一つの巨大な作品に行きつくの。少なくとも70枚の粘土板でできてて、出だしが「アヌ、エンリル、エア、偉大な神々が、話し合いで天と地のお告げを書き記したとき…」だから、タイトルも「アヌ・エンリル」。(一般には「エヌマ・アヌ・エンリル」って呼ばれるよ。)作った人も、できた時代もわからない。でも、何度も写されて、書き直されてるのは確か。元をたどると、紀元前7世紀よりさらに昔までさかのぼるはずだって。
占いの文は、だいたい「もし〜なら、〜になる」の形。たとえばこんな感じ。
もし月の14日に、月と太陽が向かい合っていたら、王は「広い耳」をもつでしょう。
もし新月が白い王冠をかぶっていたら、王はほかの国々を支配するでしょう。ちなみに、1日目にホントにそう観察されました。
粘土板の文例より(原文ママ。「広い耳」の意味は本文に説明なし)
最後の一文は、「予言が当たった」って意味じゃなくて、「条件になってる月の見え方を、ホントに観察したよ」っていう記録。結果じゃなくて、条件のほうをメモしてるのがポイント。書記さん、律儀すぎて好き。
何を占ってたの?
中身は、ニネヴェで知られてる動物のお告げや、出産のときの不思議な現象のお告げ、夢占いとだいたい同じ。つまり、メソポタミアで暮らす人たちの毎日が、そのまま映ってるの。いちばん多いのは、風、嵐、雨、洪水。収穫がよければ穀物が倉庫でパンパン。でも日照りで収穫がなかったら、とんでもない飢えが来て、パンを買うために子どもを奴隷に出して、しまいには人を食べる人まで出る、なんて書いてあるの😱 そこから病気、隣の国との戦争、反乱、宮殿のクーデターと、王様の交代まで話が広がっていく。
ここで大事なのが、占星術の根っこのアイデア。空にある星座のイメージの名前が、そのまま地上のできごとにつながるの。
- てんびん座の位置穀物の値段に影響する
- 魚座の光が弱い魚の卵が被害を受ける
- 火星がさそり座に近づく王様が、さそりに刺されて死ぬ。ちょ、それ、でらこわいがね。
- 金星が長く見える長生きする
占いの目は、ほとんどが「国まるごと」か、せいぜい「王様と王子様」に向いてたの。ふつうの人ひとりの運命を計算した跡は、この記録にはほとんどないんだって。(でも紀元前4世紀ごろのギリシャの著述家の証言から、そういう個人の占いも、もうあったのは確実らしいよ。)
神さままで占いの対象だった。国の守り神たちは、星の「絵文字」で読める条件を見て、国の運命を話し合うの。国を愛してるうちは、国の幸せを考えてくれる。でも怒ると、国と王様を敵にさし出して、ぷいっと出ていっちゃう。そこで、ちゃんと選んだお供え物を捧げると、神さまが戻ってきて、荒れた神殿も建て直されて、また国が立派になる。
月と太陽、それから「星の代理」
いちばんよく観察されたのは、月🌙 大きさも満ち欠けも目立つし、いちばん便利な時計でもあったから。細い三日月がいつ見えるか、角の形は、光の色は、まわりにかさ(ハロー)があるか……と、チェックはすごく細かいの。太陽は月よりワンランク下。それでも、日の出の場所が1年で変わることは、早くから記録されてた。
ここで出てくるのが、占星術のコツ「星の代理」。条件によっては、ある天体の代わりに別の天体を使って予言していい、っていうルール。太陽のいちばんの代理は土星で、多くの碑文で、土星はまるごと「太陽」って呼ばれてる。「月と太陽が向かい合う」って予言を、「月と土星の位置関係」に置きかえた例もたくさんあるんだって。
惑星の代理を、恒星がやることもあるの。これは長いこと謎だったんだけど、答えは色。惑星の色を、赤から白まで4段階に分けて、いちばん明るい恒星の色とくらべる。同じ色なら、占星術でも「同じ」ってことにしたんだ。
月と太陽に、さまよう星(惑星)5つを足して「7つ」にまとめる考え方は、紀元前650年ごろにはもうあった。でも、いつからそうなったのかは、いまもはっきりしてないよ。
七つの星と、神さま
楔形文字で「神」を表す、いちばん古い文字は、星の絵なんだって。星と神さまは、最初からセットだったんだね。わかってる範囲で並べると、こんな感じ。
- 月 ・ シン気まぐれに姿を変えるけど、だいたい吉。月食はこわいけど、やわらげる条件も一緒にチェックした。
- 太陽 ・ シャマシュ光と命をくれる昼の星。でも、焼いて干からびさせる火でもある。
- 金星 ・ イシュタル愛と母の女神。国を愛して、やもめにやさしい。乳児にだけ危険。
- 木星 ・ マルドゥク全知の創造神。凶星にじゃまされなければ吉で、月のかさの中では男の子の誕生をもたらす。
- 土星 ・ たぶんニヌルタ戦と狩りの神。太陽の代理で暮らしを助けるけど、戦争も起こす。
- 水星 ・ たぶんナブ書記と知恵の神。急に消えて、また出てくる。人の善行と罪を書いた「運命の粘土板」の筆をとる。
- 火星 ・ ネルガル疫病と死の神。惑星でいちばんの災いのもと。麦やナツメヤシの収穫、家畜、魚の卵をじゃまして、王に死を運ぶ。
空にも、地図があった
占いは、危険やチャンスが「どの方向から来るか」も、空から読めないといけない。そこで、バビロニアで最初に生まれたのが、占星術の地理学。(聖書の申命記4章19節も、これをほのめかしてるよ。)地上の世界は、4つの方角に対応する4つの国に分けられたの。
空のできごとは、この4つの国に結びつけられた。風や雷なら、南の空=アッカド、北の空=スバルトゥ、みたいに自然な順番。でも月食だと、順番がずれて「南=エラム、北=アッカド……」になるの。惑星や星座にも担当の国があって、木星は「アッカドの星」、火星は「アムッルの星」、プレアデスはエラム、ペルセウスはアムッル。月食が起きる月や、新月が見える日まで、国ごとに決まってたんだよ。
おひつじ座は古い都市エレクの担当で、かに座の前のほうの星はティグリス川、後ろのほうの星はユーフラテス川。……細かすぎて、ちょっと笑っちゃうよね。
名前のない占星術師たち
こうした占いをつくったのは、「粘土板の書記」って呼ばれた、高い身分の神官たち。名前は、ほとんど残ってない。観測は、クタやボルシッパの街の、高い階段式のピラミッドの上でやってた。それがパレスチナの人たちのあいだで「バベルの塔」の伝説になったんだろう、って本には書いてあるよ🗼
でもね、楔形文字のむこうからは、血の通った人間の声が聞こえてくるの。望んで、期待して、こわがって、頼みこんで、ときにはケンカもする。悪い知らせを持っていったら王様に怒られるから、資料の読みをこっそりずらしたり、こじつけの解釈に逃げたりもしたみたい。そりゃそうだよね。
彼らの知恵には、限界もあった。たとえば、こんな予言。
もしニサンの月の1日、太陽が昇ったとき、たいまつのように赤くて、白い雲が立ちのぼり、東風が吹いたなら、その月の28日か29日に日食がおこる。王はその月のうちに死に、息子が王座につくだろう。
粘土板の文例より
それでも、昔の学者たちの探求は、強い宗教心に支えられてた。苦労して考えぬいて、いつの時代にもいちばん大事な学問のひとつが育つ土壌を、耕したんだ。ケプラーの合言葉は「苦難をこえて星へ(per aspera ad astra)」。ほんと、よう頑張ったがね。
訳者メモ
- 底本は、Franz Boll, Sternglaube und Sterndeutung(第3版、Teubner、1926年)。第1章「バビロニア人の占星術」は、カール・ベゾルトの執筆。ウェルカム・コレクションが公開している、パブリックドメインのスキャンから、原文のドイツ語で訳しました。
- 抄訳・自由訳です。小さい字の脚注と、細かい観測記録は、省くか短くまとめました。数字と固有名詞は残したけれど、神さまや人名のカタカナ表記は一般的な形に寄せたので、気になる人は原文でたしかめてね。
- 百年前の研究なので、いまの定説とずれているところもあるかもしれません。
- 名古屋弁は、ユカの本気スイッチ。1記事に1〜2回だけ出ます。
この記事を訳した人
岐阜県出身のギャル翻訳家。むずかしい昔の論文を、いまのノリでガシガシ訳すのが仕事。ノリは盛るけど、中身は盛らない。底本と、どこを要約したかは、毎回ちゃんと書くよ✌️ 名古屋弁が出たら、そのとき本気だと思って。
好きなもの:古い本 ・ 粘土板 ・ ホロスコープ
- フランツ・ボル(1867〜1924):ドイツの古典文献学者。ハイデルベルク大学教授。
- カール・ベゾルト(1859〜1922):東洋学者。この第1章の著者。
- ヴィルヘルム・グンデル(1880〜1945):第3版の編者。