理屈の国ギリシャ、ついに星占いにハマる
百年前のドイツの本『星の信仰と星占い』の第2章のつづきを、ギャル翻訳家のユカが図たっぷりで意訳。アレクサンドロス大王から皇帝アウグストゥスまでの300年で、星占いがギリシャとローマを口説き落とすまでの話です。
理屈の国ギリシャ、ついに星占いにハマる
百年前のドイツの本『星の信仰と星占い』の第2章のつづきを、ギャル翻訳家のユカが図たっぷりで意訳。アレクサンドロス大王から皇帝アウグストゥスまでの300年で、星占いがギリシャとローマを口説き落とすまでの話です。
訳 ユカ(Donuts.編集部)
原著 フランツ・ボル(第2章 その2)
DONUTS. ・ 古い本をいまの言葉で

夜空の、暗い衣のなかから。ネケプソが聞いた、神の声(本文より)
まずは、ざっくり年表から
やっほー、ユカです。第2章のつづきだよ✨ 前回は「ギリシャ人、はじめは星占いに見向きもしなかった」って話だったよね。今回は、そのギリシャ人がまんまとハマっていく300年の話。ラストには、ローマの皇帝が自分のホロスコープを公開しちゃう。
登場人物が多いから、先に年表を置いとくね。迷ったらここに戻ってきて。
- 紀元前4世紀プラトンとアリストテレス。星は気になるけど、占いはまだしない
- 紀元前336〜323年アレクサンドロス大王、東へ東へ。ここから「ヘレニズム」の時代
- 紀元前280年ごろバビロンの神官ベロッソスが、ギリシャ人に星の知恵を紹介
- 紀元前275年ごろアラトスの星座の詩が、なぜか大ヒット
- 紀元前2世紀占い師のバイブル『ネケプソとペトシリス』登場。哲学者カルネアデスが猛ツッコミ
- 紀元前1世紀はじめ大哲学者ポセイドニオス、星占いを学問のど真ん中に
- 紀元前1世紀〜カエサル、アウグストゥス。皇帝が自分のホロスコープを公開
ポイントは、アレクサンドロス大王からアウグストゥスまでの、だいたい300年。ボルいわく、この300年で、星占いの勝ちが「完全に決まった」んだって。
プラトン先生、晩年ちょっとスピる
前回のラストで、プラトンは「魂は、ひとりにひとつ星を持ってる」みたいな話をしてたよね。これはまだ星占いじゃない。でも、星をめぐる神秘的な考え方、つまり星のスピリチュアルとしてはガチで本物で、のちの星占いも、その哲学的な言いわけも、ずっとここを足場にしてたんだって。
しかも、プラトンの直弟子フィリッポスは、先生の大作『法律』に、勝手に13巻目を書き足した(いまは『エピノミス』って呼ばれてる)。中身は、東の国の、白髪まじりの古い星の知恵への、あこがれと尊敬でいっぱい。年をとったプラトンの学校で、ピタゴラス派っぽい考えが、どんどん強くなってたのがわかるんだ。
アリストテレス、興味ないのに、土台をつくる
弟子のアリストテレスは、神秘的な話がニガテ。興味の幅は無限なのに、星占いの理論には、まったくノータッチ。
でも、彼が考えた宇宙のつくりが、皮肉なことに、星占いにめっちゃ使いやすかったの。図にするとこんな感じ。
月から上は、エーテルっていう5つめの元素でできた、完璧な世界。月から下の地上は、不完全で、すぐ変わる世界。そして、すべての動きは、いちばん外の「恒星の天球」から始まって、内側へ伝わってくる。
つまり「地上で起きる変化は、ぜんぶ上の世界の、数で決まった動きが原因」ってこと。……それ、星占いの人が聞いたら、大よろこびするやつじゃん。
しかもこの、カチッと閉じた、壁で囲まれたみたいな宇宙は、原子論者のデモクリトス派にどれだけ反対されても生き残って、なんと16世紀のジョルダーノ・ブルーノの時代まで続いたんだって。
じわじわハマっていく、ギリシャ人
こうして、東の星の宗教を受け入れる準備が、ゆっくりととのっていく。それがヘレニズムの時代。でも、いきなりじゃないよ。ハマり具合を、メーターにしてみた。
ローマまで来ると、こう。カエサルの軍団は、牡牛座の旗をかかげて、世界中を行進した。牡牛座は、カエサルの一族のご先祖さまとされる女神、ヴィーナスの星座なんだ。
そして初代皇帝アウグストゥスは、なんと自分のホロスコープを公開。自分が生まれた星座、やぎ座を、硬貨にまで刻ませたの。
皇帝の右腕マエケナスは、詩人ホラティウスの「星占いって、どうなの…?」っていう迷いを、なだめなきゃいけなかったんだって。もう、時代の空気が完全に変わってるよね。
ヘレニズムには、波が2回きた
じゃあ、なんでこうなったの?ボルは「ヘレニズム全体を見ないとわからない」って言いつつ、ざっくり教えてくれる。ポイントは、波が2回来たこと。
前半は、アレクサンドロスの遠征にのって、ギリシャ語とギリシャ文化が、すごい勢いで東へ広がった。でも後半は、アジアの、底知れないパワーが逆襲してくる。広い田舎より、都市に住んでたギリシャ人の上流階級が、東の古い宗教や暮らしに、どんどん染まっていったの。
ここで起きたのが、ギリシャらしさをこわしていく、大きな方向転換。
ギリシャは、ゆっくりと、左から右へ移っていったんだ。
そのスピードがわかる例を、ふたつ。紀元前2世紀のはじめには、まだギリシャの理屈は強かった。チグリス川のほとりのセレウキアの人、セレウコスは、アリスタルコスの「地球が太陽のまわりを回る」説を支持した、知られてるかぎりで唯一の人。この人は「カルデア人」、つまりバビロニアの人と呼ばれてる。それが紀元前1世紀のはじめには、ストア派の大哲学者ポセイドニオスが、星占いを、当時の学問のてっぺんに置いてる。たった100年ちょっとで、これ。
神さまの席替え:偶然 → 運命 → おまじない
宗教のほうも、同じ流れ。昔のギリシャの神さまたちは、もうあんまり頼りにされてない。かわりに主役が、こう入れかわっていくの。
気まぐれで、目かくしで動く。戦争や革命の嵐のなかで、人はなんでもこわかったけど、なんでも期待できた
永遠の昔から決まってて、ぜったいに変わらない運命。星占いの形をとって、宇宙ぜんぶの重さを、ひとりひとりの頭にのせてくる
その重さから、人を解放してあげるのが、いちばんの仕事
ボルいわく、これが「ヘレニズムの宗教史を、いちばんシンプルに言うと」なんだって。偶然がこわい→運命がおもい→だれか助けて、っていう流れ。気持ちは、わかる。
バビロンの神官、ギリシャに出張講義
バビロニアの星占いが、本でギリシャに紹介されたのは、ベロッソスの『バビロニア誌』から。ベロッソスは、バビロンのベル神殿の神官で、ギリシャのコス島に、星占いの学校を開いたとも言われてる人。
紀元前280年ごろ、シリアの王アンティオコス1世にささげた本で、ギリシャ人にはじめてくわしく、バビロニアの神々の話、世界のはじまりの話、そしてこの「ふしぎな外国人」の哲学、つまり星の観察と星占いを、「ベル神の知恵」として紹介したの。
ギリシャ人は、千年も前に神さまを人間っぽい姿にして、こわい化け物みたいな神さまとは、お別れしてた。そこに、ベロッソスが、半分動物で半分人間みたいな、混ざりあった姿の悪魔たちを、また連れてきたんだ(のちに聖書の『ヨハネの黙示録』に出てくる、あの感じ)。バビロニアの短い文章を、そのままギリシャ語に訳したものも、たしかにあったんだって。
でも、いちばんの決め手になったのは、別の本。エジプトのアレクサンドリアで生まれた本だったの。
エジプトで、星占いミックスが完成

意外なんだけど、古いエジプト王国の時代には、星占いの、はっきりしたあとは見つかってないんだって。良い日・悪い日を選ぶ習慣はあったけど、それはヘシオドスと同じで、星じゃなくて神さまとセット。太陽信仰は、たしかに強力な下地にはなってた。
バビロニアの星信仰が入ってきたのは、ギリシャがエジプトを支配した時代から。どの道を通ってきたのかは、まだよくわかってない。でも、世界でいちばん保守的な民族の、プライドの高い神官たちが、がっつりハマった。デンデラ、エドフ、アトリビスの神殿の壁に描かれた星占いの絵が、その証拠なんだ。
エジプトで起きたのは、まさにミックス。レシピにすると、こう。
こうして、バビロニアとのつながりは間違いないけど、エジプト流のアレンジがきいた、独自の星占いが生まれたんだ。
占い師のバイブル『ネケプソとペトシリス』
この新しいエジプト流の星占いの、教科書になったのが、大きくて体系的な一冊の本。じつは2つの本がセットになってて、エジプトの歴史に出てくる、ふたつの名前がつけられてた。
言い回しは、予言者みたいにぼんやりしてて、のちの人たちは、読み解くのにすっごく苦労した。読む人は、悟りを受けとる資格のある「王の魂」をもつ人、つまり王さまと神官。知恵の神トート(エジプトのヘルメス)や、アスクレピオスの古い本を引用して、権威をアピールしてる。
でも、ネケプソには、もっとすごいお告げがあった。
ひと晩じゅう、祈りながら空を見上げていると、上から、神の声が聞こえてきた。「夜空の、暗い衣のなかから」。そうして彼は、宇宙の動きの、こわれることのない秩序を、すべて知った。
ボルの紹介から、ユカが意訳
夜空の暗い衣、って言い回し、エモい……🌌
ギリシャ語で書かれたこの本には、バビロニアと古代エジプトのネタに加えて、ギリシャの科学も入ってた。とくに、惑星を「まわるのにかかる時間」の順に並べるところ。
いつ書かれたの?というと、少なくとも紀元前150年より前。なぜなら、本の中で、ギリシャの都市コリントスが、まだこわされてない前提になってるから(コリントスは紀元前146年に、ローマに破壊された)。この本は、それより古いギリシャの星占いの本を、ほぼぜんぶ押しのけて、占い師のバイブルになった。肩をならべられたのは、2世紀のプトレマイオスの本くらいなんだって。
カルネアデスの、するどすぎるツッコミ
同じ紀元前2世紀に、「星占いって、アリなの?ナシなの?」の大バトルが起きる。主役は、プラトンの学校の流れをくむ、新アカデメイアのスター哲学者カルネアデス。神さまの存在の証明すら、口のうまさでぐらつかせた人が、こんどは星占いを試したの。
まず、大きい話。「運命がぜんぶ決まってるなら、人間の責任も、道徳も、なくなるじゃん」。これは政治家や道徳家に、かなりきいた。ローマの詩人マニリウスが言うみたいに、
犯罪が、どこから来ようと、犯罪は、犯罪。
マニリウスの詩句(ボルの引用から)
って言われても、なかなか落ち着けないよね。そこで星占い側は、ふたつの逃げ道を用意した。
でも、もっとこまかいツッコミのほうが、星占い師には痛かった。カルネアデスたちの指摘は、こんな感じ。
4つめ、王さまと物乞いとロバって。それ、でらツッコミたくなるがね😂
6つめに答えるために、カルデア人たちは、自分たちの観測記録の古さを、おとぎ話レベルまで盛るしかなかった。
49万年とか72万年とか、途切れなく記録してきたって主張する人もいたんだって。しかも、これでもまだ、いちばん盛った数字じゃなかったらしい。
勝った……と思ったら
カルネアデスのツッコミは、最初は大勝利に見えた。だって、ストア派の大哲学者パナイティオスが、自分の学派の教えにさからって、占いと星占いを捨てたんだもん。
これ、けっこう大事件。ストア派は、「すべては決まってる」っていう決定論の哲学で、そもそも星占いの、いちばんの味方だったの。しかもストア派の人たちは、多くがセム系の東の国の出身で、東の星の宗教に、最初から近かった。いっぽうパナイティオスは、ロードス島出身の、生粋のギリシャ人。スキピオ(小スキピオ)や、歴史家ポリュビオスの友だちだった人だよ。
でも、カルネアデスの批判がきいてたのは、ほんの短いあいだだけ。神話っぽく考えたい、人間の昔からのくせと、新しい宗教の流れは、とても止められなかったんだ。
どれだけツッコまれても、星を見上げちゃうのが、人間なんだろうね。……つづきは、また次回!
訳者メモ
- 底本は、Franz Boll, Sternglaube und Sterndeutung(第3版、Teubner、1926年)の20〜25ページ。第2章「古典の地における、占星術の発展」のつづきです。ウェルカム・コレクションが公開している、パブリックドメインのスキャンから、原文のドイツ語で訳しました。
- 今回は、とくに意訳を多めにして、話の順番も少し入れかえています。図・年表・メーターは、ユカがわかりやすさのために作ったもので、原書にはありません。硬貨の図は、本物のデザインではないイメージです。
- 『エピノミス』という呼び名、コリントス破壊の年(紀元前146年)、アレクサンドロス大王の年代は、ボルの本文にはない補足です。
- 百年前の研究なので、いまの定説とずれているところもあるかもしれません。
- 名古屋弁は、ユカの本気スイッチ。1記事に1〜2回だけ出ます。
この記事を訳した人

エストニアと岐阜、ふたつの出身を持つギャル翻訳家。言語学者のおばあちゃんの影響からか、趣味で地球上のあらゆる言語を独習してる。身長168センチ。休日は、海に向かってじゃんけんをする。
むずかしい昔の論文を、いまのノリでガシガシ訳すのが仕事。ノリは盛るけど、中身は盛らない。底本と、どこを要約したかは、毎回ちゃんと書くよ✌️ 名古屋弁が出たら、そのとき本気だと思って。
好きなたべもの:木苺
好きなもの:古い本 ・ 粘土板 ・ ホロスコープ
- フランツ・ボル(1867〜1924):ドイツの古典文献学者。ハイデルベルク大学教授。この第2章の著者。
- ヴィルヘルム・グンデル(1880〜1945):第3版の編者。