鎌倉の旅④ 鎌倉ゲストハウス篇 宿に泊まる、ということはいままでの人生で、数えるほどしかない。幼少期、家族で岡山県美作市のかんぽの宿に泊まる、という恒例行事があった。祖父と祖母が誘ってくれて、ウチの家族がついていった。慣れ親しんだ我が家の布団ではなく、整った、清潔な部屋で寝る、ということに戸惑った。寝付けない。他の家族がうつ寝返りに反応して、さらに寝付けなくなったものだった。 自分の意思で、宿を選び、予約をとる。家ではなく、見慣れぬ場所で、家族でもない人と一夜を明かす。なんと変わったことをするのだろう。 ちょっと奇妙な気分になる。受験のとき、津山から香川までひとりで行き、宿を取ったのが一番はじめだっただろうか。今回は特段、用事もない旅で、宿泊料金も安いという理由だった。しかも、ホテルのように、切り離された空間ではない。ゲストハウス。人と人との距離が近い場所。 地図アプリで鎌倉の宿をしらべて、ここにいけばたのしい経験をできるだろうな、という予感もあった。 鎌倉ゲストハウスには2日間、泊まった。初日の夜、笛田から鎌倉山のあたりを散歩した。どこのバス停だったか忘れたが、七里ヶ浜をのぞめる場所がある。夕陽に照らされる海を眺めていた。すると、近所のおばちゃんが二人組であるいてきて、「ほら、あれがみのもんたのお宅よ」と教えてもらったことを覚えている。 ゲストハウスにもどると、たくさんの宿泊客が囲炉裏を囲んでいる。日本人だけではなく、中国人、ドイツ人と、多種多様な人種、お国柄の人たちがつどっていた。 はじめは、輪に入るのが恥ずかしくて寝室で寝ていたのだが、途中から寄り合いに参加してみた。すると、受け入れてくれて、すぐに打ち解けた。中国人は気前のいい人で、お酒を振る舞っていた。ドイツ人はギターを弾いていた。話を聞くと、お医者さんらしい。 後に津山でもそういう人と出会うのだが、外国では半年ほど密に働いて、半年休みをとって旅に出る、という働き方が認められているらしい。半年間は暮らしも何もなく、ただ詰めて過酷に働いているだけ、だそうだ。 のちに知ったことだが、アウトドアブランドのパタゴニアでは社員の人生経験が企業に反映される、という考え方から、推奨もされている。日本と考え方が大きく違う。このブランドは、鎌倉にギアを修復する部門があるのだが、なぜ鎌倉を選んだのか、わかる気がする。 男女合わせて20人はいただろうか。中国人によって振舞われたお酒を片手に、話が花開く。とてもたのしい時間だった。とても。国も職業も素性も、ここでは関係なく、ただの一個人でしかなかった。 翌日。ほとんどの宿泊客は旅立って、新しい宿泊もきたが、やすきを合わせて4人。ゲストハウスのスタッフさんも入って、ごはんを作ることになった。梶原にダイエーがあって、材料を買ってくる。昨日から連泊している日本人の男性が中華料理を振舞ってくれた。今は保険の仕事をしているが、昔は料理人だったらしい。横浜に住んでいるが、刺激を求めに、このゲストハウスにたまに泊まると話していた。旅でなくても、宿は泊まっていいのだ。 ゲストハウスのスタッフさんは二人、場の空気を取り持とうとしていた。ふたりとも20代の女性だった。片方は眼鏡をかけていて、その方とよく話した。公務員をしていたが、心が病んでしまい退職。次の道をどうするか思案しているところ、このゲストハウスでボランティアを見つけ、働いている。 この夜は密な感じがした。保険屋さんとは連絡先を交換した。岡山にもどったあと一度連絡をとったが、やすきがどこで知り合ったか覚えてない様子だった。 鎌倉ゲストハウスでの連泊が終わり、旅立ちの朝。眼鏡の女性が「たのしかったです」と見送ってくれた。やすきは礼を言った。眼鏡の女性が、ゲストハウスの男性スタッフにすこし厳しめの口調で指示を受けている場面を見た。この方が次の道を見つかるよう、近くの神社で願った。 この、鎌倉ゲストハウスでの経験が、のちの〈hatis AO〉にもつながっていく。店であったことは話さないように心がけているが、みなそれぞれ悩みを抱えている。だれかの逃げ場、居場所を作りたかった。この文章を記しながら、鎌倉ゲストハウスの夜が影響を与えてくれた、と顧みている。 どこのだれともわからないやすきを、受け入れてくれたあの場所を。梶原のダイエーも、鎌倉ゲストハウスもなくなってしまった。あの記憶がいまだに輝いていたから、いま、横須賀にやすきはいるのかもしれない。 むすびつくこと 〈ファリーヌ〉の明太ハムチーズサンド 〈KotodamA〉りょーちんインタビュー 前編 鎌倉への旅② 江の島篇 黙々読書会 @三浦海岸BAYSIDE CAFE HOME