ルーナーフォークの手引き Runa folk 呼び名と区分 境界は曖昧だが、ダウナー・フォーク(より暗く沈んだもの)、アシッド・フォーク/サイケ・フォーク(幻覚的な質感のもの)、フリーク・フォーク(2000年代にこれらを参照した新世代)という区分もある。 価値の基準 レコードコレクターの間では、数十万円以上するようなオリジナル盤も存在する。スウェーデンの研究家パトリック・ルンドボリの盤ガイド『Acid Archives』で網羅され、価値基準が定まった。 再発のこと 近年では、ヨーロッパのカルト盤レーベルが再発し、リマスターを施され、サブスクでも聴けるようになった。正規にライセンスを取り、本人に対価を払うレーベルと、無断で出すブート再発に分かれる。 掘り手が盤を発見する 噂が広まる レーベルが権利者(本人や遺族)を探し出す マスターテープを探してリマスターする 詳細なライナーノーツを付けて出す 再発よりも、インターネットが存在を発見する例も多かった。2000年代の音楽ブログに上がった盤起こしの音源やDiscogs、YouTubeなど。盤から吸い上げられたデータが神話化した例もある。 主要レーベル レーベル拠点 アメリカ Numero Group代表作:編集盤『Wayfaring Strangers』シリーズシカゴ Light in the Atticこの特集では:Jim Sullivan『U.F.O.』シアトル Drag Cityこの特集では:Gary Higgins『Red Hash』シカゴ Orange Twinこの特集では:Sibylle Baier『Colour Green』ジョージア州アセンズ ヨーロッパ Guerssenこの特集では:Dave Bixby『Ode to Quetzalcoatl』スペイン、リェイダ Finders Keepers英、マンチェスター Trunk英、ロンドン Wah Wahスペイン Music From Memoryオランダ Bureau Bドイツ Souffle Continu / Born Badフランス RUNĀ FOLK・はじめの8枚 ルーナーフォーク入門 ひとりの部屋で録られ、長いあいだ誰にも届かなかった歌たち。碇ヴァージニアが、最初の8枚を選びました。気になるジャケットを押してみてください。 Ode to Quetzalcoatl ★ 月から帰ってきた人の告白 Ode to Quetzalcoatl Dave Bixby ミシガンの若者が、アパートの居間で4トラックに録った自主盤。ルーナーフォークの「王様」と呼ばれる一枚です。 レビューを読む U.F.O. ★ 砂漠に消えた男のデビュー作 U.F.O. Jim Sullivan 小さな自主レーベルからわずかに出たきり、幻になった一枚。6年後、彼はニューメキシコで姿を消しました。 レビューを読む How Sad, How Lovely ★ 台所で録られた、50年代の宅録 How Sad, How Lovely Connie Converse シンガーソングライターという言葉もなかった頃、ニューヨークの台所で録られた歌。届くまで半世紀かかりました。 レビューを読む Red Hash ★ 服役前の40時間で録った一枚 Red Hash Gary Higgins マリファナで捕まった青年が、刑務所に入る直前に仲間と録音。発売されたとき、本人は塀の中でした。 レビューを読む Parallelograms ★ 歯医者さんから生まれた奇跡 Parallelograms Linda Perhacs 歯科衛生士が、患者だった映画音楽の作曲家に見出されてつくった一枚。発売当時はほとんど誰にも聴かれませんでした。 レビューを読む Dreaming With Alice ★ 19歳がイタリアで見た夢 Dreaming With Alice Mark Fry 絵の勉強でイタリアにいた英国の青年が、裸足でレコード会社を訪ねて生まれた一枚。アシッド・フォーク屈指の稀少盤です。 レビューを読む Just Another Diamond Day ★ 馬車の旅で書いた、ささやきの歌 Just Another Diamond Day Vashti Bunyan ロンドンを離れ、馬車でスコットランドの島を目指した旅の途中で書かれた歌。ほとんど売れず、30年眠りました。 レビューを読む Colour Green ★ 息子が見つけた、母の宅録 Colour Green Sibylle Baier ドイツの女優が家でオープンリールに録った歌。30年後、大人になった息子が家族への贈りものにしました。 レビューを読む ジャケット画像は、紹介・批評を目的として各再発元・権利者の商品画像から引用しています。 碇ヴァージニア|Donuts.編集部が生んだ架空のレビュアー。港町の古道具屋で店番をしながら、夜な夜な誰も知らないレコードを聴いている。レビュー中の思い出話は創作ですが、盤とアーティストについての事実は本物です。 文 = Donuts.編集部 ★ 月から帰ってきた人の告白 『Ode to Quetzalcoatl』 Dave Bixby|1969 / Guerssen再発(2009) デイヴ・ビクスビーは、LSDでひどい体験をして、しばらく人とまともに話せなくなっていました。本人いわく、月まで行って、地球へ戻る引力をつかまえそこねたんだそうです。そのあと地元の宗教的な集まりに身を寄せて、ひと月半ほどで一気に書いたのが、このアルバムの歌です。録音はアパートの居間。聴いてくれる人がいないので、マイクとテープレコーダーをお客さんだと思って歌ったと語っています。わずかしか刷られず、ネットに上がった音源で伝説になりました。2009年にスペインのGuerssenが本人と契約して再発し、本人にもきちんとお金が届いたそうです。彼は今もアリゾナで暮らし、インタビューにも答えています。 「Drug Song」一曲目。自分のしてしまったことを、ほとんど報告するように歌う、飾りのない告白です。 YouTubeで聴くDave Bixby ― Drug Song (文=碇ヴァージニア) ★ 砂漠に消えた男のデビュー作 『U.F.O.』 Jim Sullivan|1969 / Light in the Attic再発(2010) ジム・サリヴァンは、マリブのバーで毎晩歌って、熱心なお客さんをつかんでいた人です。映画『イージー・ライダー』にも、ちらっと顔を出しています。このアルバムで演奏しているのは、ビーチ・ボーイズなどを支えた凄腕のスタジオ・ミュージシャン集団、レッキング・クルーの面々。弾き語りの人なのに、どこか広い砂漠の映画のような音がするんです。1975年3月、ナッシュヴィルを目指して車で出た彼は、ニューメキシコのサンタローザ近くで消息を絶ちました。車は乗り捨てられ、モーテルの部屋は使われた形跡がなかったといいます。シアトルのLight in the Atticが何年もかけて足取りを追い、2010年にようやく再発。謎は解けませんでしたが、歌は届きました。 「U.F.O.」アルバムの顔になるタイトル曲。リンク先はアルバム全編なので、まずは一曲目からどうぞ。 YouTubeで聴く(アルバム全編)Jim Sullivan ― U.F.O. (文=碇ヴァージニア) ★ 台所で録られた、50年代の宅録 『How Sad, How Lovely』 Connie Converse|録音1954ほか / 発表2009 コニー・コンヴァースは、1950年代のニューヨークで、ギターを抱えて自作の歌をうたっていた女性です。1954年、友人の漫画家ジーン・ダイチが、自宅の台所で彼女の歌をテープに録りました。同じ年にテレビにも出ましたが、何も起きませんでした。やがて音楽から離れてアナーバーへ移り、学術誌の仕事をしていた彼女は、1974年、家族や友人に手紙を残して車で去りました。その行方は、今もわかっていません。2004年、ダイチがラジオでその録音を流したのがきっかけで、放送を聴いた二人の若者が音源を集め、2009年にようやくアルバムになりました。テープのヒスノイズごと、どうぞ。 「One by One」ラジオで流れて、すべてが始まった一曲です。 Bandcampで聴くConnie Converse ― One by One (文=碇ヴァージニア) ★ 服役前の40時間で録った一枚 『Red Hash』 Gary Higgins|1973 / Drag City再発(2005) 1972年の秋、ゲイリー・ヒギンズは服役が決まり、残された時間で仲間を集めてスタジオに入りました。およそ40時間で録り上げたそうです。レコードが出たとき本人は塀の中で、ツアーも宣伝もできず、ほとんど誰にも届きませんでした。何十年もあと、あるミュージシャンが焼いたCD-Rがレーベルの人の手に渡り、その人が本人を探し当てます。コネチカットで暮らしていた彼の手元には、マスターテープも残っていました。2005年にDrag Cityから再発され、彼はまた人前で歌うようになりました。ささやくような声に、チェロやフルートがうっすら重なります。時間がないとわかっている人の歌は、なぜこんなに静かなんでしょうね。 「Thicker Than a Smokey」一曲目。変則チューニングのギターが、夜の空気をゆっくり揺らします。 YouTubeで聴くGary Higgins ― Thicker Than a Smokey (文=碇ヴァージニア) ★ 歯医者さんから生まれた奇跡 『Parallelograms』 Linda Perhacs|1970 この盤を教えてくれたのは、店の常連のおじいさんでした。「娘が好きでね」と、古いCDを置いていったんです。リンダ・パーハクスは、ロサンゼルスの歯科衛生士でした。患者のひとりが『エデンの東』の音楽で知られる作曲家レナード・ローゼンマンで、彼女のデモを聴いて、スタジオへ連れていったそうです。本人は子どもの頃から、音を色や形として感じていたといいます。声が幾重にも重なるタイトル曲は、まさにその「見える音楽」です。ところがレコード会社はラジオ向けに音を削ってしまい、宣伝もされず、彼女は元の仕事に戻りました。30年ほどたって、ポストに届いた一通の手紙から再発が始まり、2014年には44年ぶりの2作目を出しています。 「Parallelograms」声が重なって、ほどけて、また重なる。ヘッドフォンでどうぞ。 YouTubeで聴くLinda Perhacs ― Parallelograms (文=碇ヴァージニア) ★ 19歳がイタリアで見た夢 『Dreaming With Alice』 Mark Fry|1972 マーク・フライは19歳のとき、絵の勉強をするためにイタリアにいました。ある日、裸足でRCAのイタリア支社を訪ね、自作の歌をギターで聴かせて、契約を取ったそうです。録音は地下室のホームスタジオで、4トラックのテープレコーダーを2台使って行われました。タイトル曲が短い断片に分けられて、アルバムのあちこちに挟まっているのが面白いところです。夢の中を行ったり来たりしているような気分になります。発売当時からほとんど知られず、本人はずっとあとになって、ネットで海賊盤が出回っていることを知って驚いたといいます。彼はその後、画家として生きてきました。近年はイタリアで見つかったマスターテープからの再発も出ています。 「The Witch」夢の甘さの中に、少しだけ影が差す一曲です。 Bandcampで聴くMark Fry ― The Witch (文=碇ヴァージニア) ★ 馬車の旅で書いた、ささやきの歌 『Just Another Diamond Day』 Vashti Bunyan|1970 / 再発2000 ヴァシュティ・バニヤンは60年代のロンドンで、ローリング・ストーンズのマネージャーに見出されて歌手デビューしました。でも、シングルは売れませんでした。1968年、彼女は恋人と馬に荷車を引かせて、スコットランドのスカイ島を目指す旅に出ます。その道のりで書いた歌を、プロデューサーのジョー・ボイドが録音したのがこのアルバムです。フェアポート・コンヴェンションやインクレディブル・ストリング・バンドの面々も参加しています。売れ行きはさっぱりで、彼女は音楽をやめて子どもを育てました。90年代の終わり、ふと自分の名前をネットで検索して、自分の歌が知られていることに気づいたそうです。2000年に再発され、2005年には35年ぶりの新作を出しました。 「Diamond Day」一曲目。なんでもない一日を歌っているのに、なぜか胸にしみます。 YouTubeで探すVashti Bunyan ― Diamond Day (文=碇ヴァージニア) ★ 息子が見つけた、母の宅録 『Colour Green』 Sibylle Baier|録音1970〜73 / 発表2006 古道具屋で誰かの古い手紙を見つけると、いつもこの盤のことを思い出します。シビル・バイエルは、70年代のはじめにドイツで女優をしていました。ヴィム・ヴェンダースの『都会のアリス』では、船の上で歌う姿が映っています。そのころ彼女は、家でオープンリールのテープレコーダーに向かい、ナイロン弦のギターと声だけで歌を録りためていました。やがてアメリカへ渡って家庭を持ち、テープはしまわれたままになります。30年ほどたって、息子のロビーが家族への贈りものにCDをつくり、その一枚がダイナソーJr.のJ・マスシスの手に渡って、2006年にアルバムになりました。本人は最初、とても恥ずかしがったそうです。 「I Lost Something in the Hills」丘で何をなくしたのか。聴く人それぞれが考えればいいと思います。 YouTubeで探すSibylle Baier ― I Lost Something in the Hills (文=碇ヴァージニア) 閉じる むすびつくこと ルーナーフォークについて ひゅーまん 『歩こう』 / SPARTA 『Changes In Air』/ Kara-Lis Coverdale HOME