湘南移住記 第234話 『いとこの死』

ある、花冷えのする朝。寝室の窓を開けると、雲が澱んでいたのをおぼえている。鈍い光が視覚器官に入り込む。朝7時半。その日のバイトは、開始時刻が遅かったので、起床もいつもより遅かった。それ以外は、バイトに出る日の、いつもの朝。なんら変わりなく、変哲もなく、希望をもって働きに出かけようとしていた。

スマホを見る。めずらしく、母からのメールが届いていた。開封してみると、千葉のいとこが病気で亡くなった、二行のメールでの、素っ気ない報告。まるで業務上の連絡のようだった。目にした瞬間。えっ、と驚いて、すぐさま母に電話して詳しく聞いた。

このいとこは、記憶の限り、お互いに子供の頃に数回しか会っていない。元気な男の子で、名前が変わっているな、という印象だった。成人してからは会ってないないので、どういう人生を送っているのか、どういう人間になっているか。知る術を一つも持たなかった。

母によると、大腸を患って、とのことだった。享年、29歳。やすきよりも一回り若い。5年前に亡くなった父や大往生した祖父母とは訳が違う。

数回しか会ってないからか、悲しみは湧いてこなかった。可哀想とも思わなかった。残されたご家族の気持ちを想像すると、辛かろうに、と胸は痛みはする。去年も遺産相続で揉めた叔父が亡くなった。親族がひとりずついなくなっていく。

手向

京急本線の下り線に乗って、三崎口へと向かった。県立大学駅からだと、280円。今日は三浦で仕事だ。仕事開始の二時間前に出発したので、途中で三浦海岸へ寄った。野菜の仕入れができるからだ。地場の農家さんが、新鮮な野菜を安価で直売している。今日はニンニクの芽、唐辛子、あしたば。

野菜を買ってから、三浦海岸の砂浜に行った。防波堤に腰を下ろす。右手には剱崎が見える。東京湾の出入りの要所であり、灯台のある場所。眼前に金田湾が静かに広がり、向こうには千葉の房総半島が見えた。晴れだったら気持ちがよかったのだろうが、空は重い曇り模様を見せている。

やすきの心の内を、空は申し合わせたかのように表現していた。砂浜には誰も歩いていない。白波が機械的に行ったり来たりして、黒い電線が見えるばかりだった。

やすきは、海を眺めながら、いとこの死について考えていた。29歳というのは、若い。結婚はしていなかったらしい。家族を作りたかったろう。

悲嘆に暮れるよりも、死について考えることが、いとこへの餞になる気がした。海の向こうに千葉が見える。千葉はすごく遠い存在だったのに、気がつけば近い存在になっていた。

私たちは、生きているから笑い、悲しみ、生きているからこそ苦しく、生きているからこそ、みんなと繋ることができる。

生きていれば不足も出てくるし、仕事の愚痴もあろう。言いたいことも言えず、鬱憤は溜まっていくばかりで、不安が募る。しかしそれも生きているからこそ出てくる感情であって、死んでしまったら何も浮かんでこない。

だからこそ、一日一日を大切にして生きていかなければならない。遅かれ早かれ、私たちは必ず眠りにつく。あらゆる生物がそうで、宇宙だっていつか終わりが来る。宇宙に終わりが来れば、生そのものも存在できない。想像もつかないような時間の果てに、なにもかもが無になる時がくる。まるですべてが夢であったかのように。

仮に、技術の進歩で不老不死が実現できたとしても、死ねないのだとしたら、生きる必要もないのではないだろうか。永遠に生が続くのだとしたら、曇りの朝に起きて、疲れた体を引きずって、仕事に行く必要はない。店を開けることもないだろう。終わりが来るからこそ、生きてもいられる。

やすきは、立ち上がって、歩きはじめた。三浦海岸から、マホロバマインズの裏手を回って、現場である小網代まで向かった。神奈川にきて初めて住んだのが三浦だった。時間を逆行するようにキャベツ畑のある道を登っていった。hatis AOエリアマネージャーの十夢さんと古本屋〈汀線〉に、去年夏に行ったのを思い出した。

今日は本来は休みだったが、バイトが終わったあとに、やすきは店を開けることにした、きゅうさん、ヨッシー、あやさん、もりあい君が集まってくれて、楽しかった。そこでもやはり、命と死と、目に見えない存在についての話になった。

記憶が作られては、過ぎ去っていく。やすきは途方もなく、しかし、終着点がある道、歩き続ける。一歩一歩を大事にしながら。その果ては夢なのだろうか。