湘南移住記 第230話 『クリスとの思い出 pt.1』

hatis AOにたくさんの人が集まってくれるようになった。東京や横浜など横須賀市外からも、埼玉や千葉からも、私の地元である岡山からも、果ては海を隔てた外国から。

以前、岡山県津山市でやっていた〈hatis 360°〉でもそういうことがあった。

津山の隣町である美咲町がアーティストレジデンスという取り組みをしていた。外部からアーティストを招き、町に滞在してもらいながら、街の至る場所に作品をつくってもらう、というもの。

美咲町に、大垪和という地域がある。標高400メートルの山間地に、750枚の美しい棚田が広がっている。〈ココペリ〉さんという自家製酵母のパン屋さんがあり、車で一時間以上かかる岡山市からでも、わざわざ人が来るくらいだ。神奈川に移住した後に知ったが、〈ココペリ〉のご主人は横須賀の長沢が地元だった。

この地域には、どちらかというと県外からの移住者が多かった。

秘境と言っても差し支えないこの地域に、なぜ遠くから移住してくるのだろう。都会の人が言う便利とはかけ離れている。様々な店舗が密集する大型ショッピングモールもなければ、駅も遠い。なにより、岡山-津山線は電車ではなく汽車だ。一時間に一本出ているかどうか。

大垪和にアートとヨガの楽園〈キッサコ〉という場所がある。元幼稚園の建物を改装して、楽画鬼さんとスカット☆リンダ氏のご夫婦が経営している。その周辺は、使われなくなった家屋の壁に絵が描かれていて、地球が芸術の星になればなあという理想が具現化していた。

楽画鬼さんとスカット☆リンダ氏はフランスに滞在していた。パリはリベリ通りにある廃ビルを不法占拠して、アートビルにしてしまった一派がいる。

楽画鬼さんとスカット☆リンダはその一派に属していて、その人たちを美咲街にアーティストレジデンスで招聘した。

その一派が、津山にあったやすきの店にある時に来てくれた。10人はいただろうか。来店してくれたのは、大垪和でカレーコンペがあって、やすきも出品し、優勝した流れがあった。コンペの時も、みんなフランス語で会話していた。この耳で聞いた、生まれて初めてのフランス語だったかもしれない。

フランス人と言っても、私たちが想像する白人だけではなく、移民も多いから、いろんな人がいた。マダガスカル出身の黒人アーティストがいて、彼は店の美品に絵を描いてくれた。まるい地球にみんな手を繋いでいる絵。桃色が印象的だった。

あれから4年後。横須賀で、やすきは奇しくもフランス人を迎えることとなる。

発端の光

hatis AOのご近所に、土器を作りに横須賀に東京から移住してきた、さかいさんという方がいる。さかいさんはhatis AOによくしてくれていて、東京からのお客さんを連れてきてくれていた。

ある日、さかいさんはある一人の女性を連れてきた。それがクリスだった。クリスは、フランスのメスという土地から、日本に陶芸を学びきていた。

メスは、人口が10万人ほどのフランス北東部にある盆地の町だ。2000年前から史実に記述されており、カエサルによってローマ帝国に編入されるまで、ケルト人が住んでいたという。

リーグ・アン(フランス一部)のサッカークラブがあることでも有名。かつて、元日本代表のゴールキーパー、川島永嗣も所属していた。

町の規模や、地理、歴史が深い、など、様々な条件で、私の地元の津山に似ていた。

さかいさんがクリスをはじめて連れてきてくれた夜。二人ともスパイスカレー を食べてくれて、いろんな話をした。日本の宗教、主に神道の話になった。岡山の美咲町で行われる奇祭「護法祭」について、さかいさんは英語でクリスに話してくれた。

話しているうちに、さかいさんは大垪和の人と繋がっていたことがわかった。それも奇妙な縁だった。

やすきは谷戸会で教わったサルサダンスのステップを踏むと、クリスはたのしそうに笑っていた。

それが最初の夜で、話は次の夜に続く。