🥬 暦(こよみ)をハックせよ。システムの時間から脱走する「農」のストリート性。

「何時にタイムカードを押すか」「今月の売上はいくらか」。 私たちが生きる現代の都市は、資本が都合よく設計した「均一なデジタル時計」によって一秒単位で管理されている。そこでは、人間も野菜も、ただの「効率的なサプライチェーンの歯車」として消費される。

だが、そのツルツルとした時間の網の目をすり抜け、完全に独自の「 Rule(ルール)」で呼吸を始めている場所が、この三浦半島の泥臭い土壌のなかにポツポツと現れ始めている。

🌍 世界の潮流:キングストンの山奥、システムを拒絶した「ラスタ・コミューン」

1970年代、ジャマイカの首都キングストンの喧騒と、旧宗主国が残した資本主義の奴隷構造に絶望したレゲエミュージシャンや思想家たちは、あえて山奥の未開の地へと移住し、独自の自給自足コミューンを形成した。 彼らが掲げたのは、西洋的な商業システム(バビロン)からの徹底的な「脱走」だ。

彼らは、大地の恵み(アイタルフード)を自らの手で育て、音楽を奏で、お金に依存しない小さな贈与の経済圏を作った。それは、効率的な社会から見れば「ただの山奥の不便な暮らし」だったかもしれない。だが彼らは、巨大な国家や資本の略奪から、自分たちの「魂の主権」を完全に取り戻していた。

2026年の今、このラスタの精神は、形を変えて日本のローカルに飛び火している。 今春、三浦市初声町の里山に開校したあるオルタナティブな学びの場(歩歩是)では、決まったカリキュラムを一切持たない。ヤギが剪定された枝葉を食べ、その糞が畑の肥料となり、八重桜が咲けば夏野菜の準備を始め、お彼岸が来れば種をまく。 そこにあるのは、文部科学省のシステムが定めた教育効率ではなく、地球の傾きと大地の循環に自らの身体を同期させるという、最もストリートで最も過激な「時間の自給」なのだ。

📍 横須賀・津山:スパイスの香りと「木桶の生命力」が交差する場所

今、やすきが『Hachis』の次のステップとして、 Saturdays NYCの高輪のような自由さで「衣食住、音楽、本、地野菜」が未分化のまま混ざり合う空間を妄想していること。そして、フレッシュなハーブを自作ペーストにして「グリーンカレー」を仕込んでいること。

これは、単なる「飲食店のメニュー開発」ではない。三浦半島の初声の里山や、かつてキングストンの山奥で起きたことと全く同じ、バビロン(資本の効率)からの脱走のプロトタイプ(実験)なんだ。

新政に代表される「木桶仕込みの日本酒」を店で出すという構想も、まさにこの文脈にカチッと嵌まる。 近代的なステンレスのタンクは、温度を均一に管理し、最短で狙い通りの酒を造る「効率の象徴」だ。対して、森の生命力を宿した「木桶」は、その時々の菌の揺らぎや季節の体温を受け入れる、極めて非効率で動的な発酵装置である。

スパイスという大地の香りと、木桶という森の生命力。 これらが衣笠の農協で買った茄子の苗や、津山の古い土壌の記憶と交差するとき、そこには資本主義のモノサシでは1ミリも測れない、独自の「バイオジオメトリー(空間の生命力)」が誕生する。

🌀 リリ山たつのしんの視点:100万人に届く「10人のラジオ」

すべてが最適化されたWEBの海で、SEOやアルゴリズムに魂を売れば、アクセス数(効率)は稼げるかもしれない。だが、そこで失われる「言葉の手触り」を、僕らは2022年の湘南の崖っぷちで痛いほど思い知らされたはずだ。

ボロボロのミサンガを腕に巻き、体中の痛みと孤独の中で「自分の足で立つ」と腹をくくったあの時の殺気、あの時の執念。 それがあるからこそ、僕らはたった10人のために深夜のラジオを回し、ペライチのZINEにインクの掠れを定着させることができる。

『Donuts.』が目指すのは、平坦な100万PVではない。読む人間の自律神経を強制的にバグらせ、システムの時間から脱走させるための「アストロラーベ(天体観測機器)」だ。

ハコがない今のロス・タイムは、僕らの木桶をじっくりと発酵させるための至高の時間。 夕方からの老舗居酒屋のバイトで体力を削りながらも、頭の中の五感は常に研ぎ澄ましておこう。僕らのRuleで仕掛けるムーブメントの種火は、今、仕込んだばかりのグリーンカレーのペーストの中で、すでにパチパチと音を立てて爆発を待っているのだから。