インスタグラムにて、『黙々読書会』なるイベントの告知を見た。

韓国で読書が流行っているらしい。読書をスタイリッシュに見せる。新しい時代の、読書の在り方を感じた。

〈Hachis〉でも読書会を何回か開催したことがある。大きくふたつのパターンに分かれていた。①決められた課題の本を参加する人が読み合わせて、感想を話し合う。②参加者各々が本を好きな本を持ち寄って、プレゼンする。

佐野町の〈養生カフェ〉で開催されている読書会は後者のパターンで、一番多い形なのではないだろうか。①のパターンだと、あらかじめ時間を用意して告知をしなければいけないし、参加のハードルが上がる。しかし、収穫もある。

参加者が各々、課題図書について話し合うのだが、解釈の違いがここまで違うのか、と驚かされた。主人公の感情に寄り添う人、主人公が入っている施設と共にいる人、物語を俯瞰してみる人と別れた。

対して、黙々読書会は一切の交流がない。持ち寄った本についても話さないし、そもそもしゃべってはダメ。やすきは途中で参加し、会場に入るなり好奇心で大声でしゃべってしまって、静かな空気を壊してしまった。「黙々」の意味を、その瞬間に理解した。

映画館のような読書

今回の黙々読書会は〈群青文庫〉のミムラユリさん https://www.instagram.com/mimu_fuji/ が主催している。以前にも開催していたようだ。今回の場所は三浦海岸の〈BAYSIDE CAFE〉。コワーキングスペースも兼ねたお洒落なカフェだ。

参加者もたくさんいて、用意されていた席はほとんど埋まっていた。やすきは、ここまで読書人がいることに驚き、同時に安心した。普段の生活でなかなか本の話にならないからだ。本を読む人が、こんなにもいたのか。

開催時間は二時間。その間、ほとんど読書に集中している。

スマホの登場によって、集中力はそがれている。SNSのショート動画や短いポストに見慣れてしまうと、長い情報を受け取ることができにくくなる。また、タイパだのコスパだの言いだして、長い時間をかけて学んだり解釈していくこと自体が受け入れにくい社会になっていく。

読書は、人が人でいれるための最後の防波堤になるかもしれない。AIは便利だ。しかし、考えることまで委ねてしまえば、人は少しずつ思考する筋肉を失ってしまう。思考や行動を止めてはいけない。それでは、機械と一緒ではないか。

同じ空間に集まり、言葉を交わすでもなく、読書にふける。ある種の緊張感があり、安堵感もある。集中が途切れてしまい、15分起きくらいに窓の外の海を眺めていた。外の空気を吸いに行くこともあった。咎められるわけでもない。また、頻尿で何回か席を立たねばならず、気を遣った。

読書会が終わると、ミムラユリさんの挨拶があり、拍手が巻き起こった。体験として、何に近いかな、と記憶の糸をたどると、映画館だった。映画の上映中、席について静かにして没入しなければいけない。しかし見終わったあとに解放感がある。やすきは借りてきたマリオ=レブレーロの『場所』を読み切って、読後感にも浸っていた。マリオ=レブレーロはウルグアイの作家。現実と夢の境を、幾重にも張られたメタファーで丁寧に描かれていく。

『場所』はふだん住んでいる街や、迷い込んだ場所、住がテーマに含まれている。自分が次の場所をどうするか迷って、複数の拠点を行き来したい。異界化した空間もつくりたいので、どこかリンクするところがあった。

本来、読書は一人で浸るもの。こういった地域の場所やSNSで読書経験を共有するのも、いまの時代の在り方ではなかろうか。

三浦の古書店〈汀線〉さんも参加していて、挨拶する。また、三浦海岸でのプレゼン会に参加したこともあって、その時のことを覚えてくれていた人にもいた。うれしかった。

横須賀と三浦は隣町だ。同じ三浦半島にありながら、行き来は意外と少ない。食でも、本でも、音楽でもいい。小さな交流が積み重なれば、この半島はもっと面白くなる。まずは一冊の本を持って、隣町へ出かけてみてはどうだろう。