湘南移住記 最終話 『銀杏』

2025年11月21日、16時13分。例年通り、秋が足早に通り過ぎていく。今日は暖かった。やすきは自室にて、パソコンと向きあっていた。

佐野町の<養生カフェ>に行っていて、近所のおばあちゃんたちから銀杏をいただいた。津山の実家にいたころ、封筒で入れて電子レンジで温めて、よく食べていたことを思い出した。

電子レンジがないので、フライパンで炒った。茶色の殻を歯で砕いて剝くと、エメラルドグリーンの実。極彩色の小皿に殻を捨てている。灰色のスウェットに、堀ノ内のハードオフで購入した180円のセーターを着ている。

BGMは、Jay Daysの「Between The Swells」を選んだ。気分はニュートラルで、遠くから鴉の声が聞こえる。夕刻、いつもの静かな富士見町。

湘南移住記を終えることにした。ここ数日、頭に浮かんだことだった。特にどこかに辿り着いたわけではないが、日常の中で、この日誌を終える。気がつくと、もう四年もこの日誌をつつづけていた。

はじまりは、津山で<hatis 360°>を経営していて、父と祖母が亡くなって、店を閉めて神奈川へ移住しようと決意したとき。精神がキャパオーバーになって、自分が持っていたメディアであるDonuts.に書き綴っていた。

日記癖

今年の七月。店舗のメンテナンス、メニューの内容など、現状のままでは<hatis AO>を続けるのは難しい、と判断して、店を閉めてアルバイトに専念してお金を貯めることにした。ひさしぶりのアルバイトだった。

それまでしていたはずのアルバイトが嫌で嫌でたまらなかった。ここ数年、店のためにものすごく我慢してバイトに行ってたのだなと気づく。

辛くて辛くて、手元にあったmidoriの小さなノートに、日記を書いていた。そのノートには、店のアイディアとか、出したいメニューの価格表が書いてあってが、雑多にそのときの気分と、2022年、こちらにきて初めての鎌倉での派遣仕事に就いていた時分のことを書いていた。やすきは苦しいと、日記をつける癖がある。

振り返ると、日記をつける習慣がついたのは大学生のころ。大学の授業は90分と長く、ヒマだったのでノートに日記をつけていた。熱心に授業を受けていると思われたのか、知らない学生に「ノートを写させてもらえませんか」と言われたことがある。これは日記になんです、と答えたが、多感な時期で恥ずかしかった。

この日誌に、内面の変化を晒してきた。あったことを全部書けていたわけではないが、精神活動については、ほとんど掲載されている。<hatis AO>の初期は、日誌をきっかけに来店してくれた人も多かった。始めて会うはずなのに、やすきのことを随分と知っていて、不思議な気分だった。

極私的なはずの日記が、まさかこうやって拡がりを持ち、出会いの発端になっているとは、思いもしなかった。

Donuts.は関係ができた人たちと、さらに深めるツールに変化していった。店の集客はほとんどGoogle mapになって、湘南移住記をみて来る人はほとんど来なくなっていた。

銀杏を食べ終えた。17時前で、玄米を炊飯器にしかけたのに、お腹がいっぱいになってしまった。今日の晩御飯は、玄米、中央図書館前の八百屋で買ったさつまいもとキャベツの味噌汁、から揚げ。八百屋でキャベツとさつまいもは100円、国産大豆の味噌はLIVINの西友で300円で投売りされていたもの。

結局、湘南に住むことはできなかった。その代わり、横須賀店を構え、数多くの仲間たちを得て、数多くの温かい応援に支えられ、暮らしを送った。アップダウンはあったけれども、穏やかな富士見町で過ごすことができてよかった。横須賀での営みの日々は、かけがえがない。

この4年間、日誌をつけてわかったことは、岡山の銀杏も、神奈川の銀杏も、美味しさは変わらない、ということだった。