岩手旅行記 後編①

前回の続き。

岩手滞在二日目

本当は岩手県二戸市にある国産漆の生産地〈浄法寺町〉や古墳群に行きたかったのだけど、岩手県は47都道府県面積ランキング第2位の広さを誇る県で、とにかく広い。ペーパードライバーの私は一関〜浄法寺町の間を運転する勇気がなく、交通手段と所要時間の問題でまた次回に改めることにした。
そのかわり、県庁所在地である盛岡市を散策しながらお土産を買うと決めた。

前日と同じようにまた東北本線に乗り盛岡へ向かう。〈一ノ関駅〉から〈盛岡駅〉までの所要時間は約1時間半、距離は90.2km。ちょうど輪島〜金沢までが車で大体2時間で距離が100km超あるので、能登に住んでいた頃を思い出しながら電車に揺られる。
前日の疲れもありうつらうつらしていたらいつの間にか盛岡駅に着いていた。

JR盛岡駅

第一印象は「寒い。」盛岡市は一関市より北にあるので当然かもしれないが、前日には感じなかった寒さをこの旅で初めて感じた。しかも天気予報は雪、最高気温は5℃。風が吹くと凍えそうなほど寒かった。散策しようとした足を思わず引き返し、駅ビルで厚手のタイツを買った。
だけどその寒さも含め、初めて訪れた土地のはずなのになぜ懐かしさを覚えるのだろう。そんなことを考えながら、装備を新たにして気の赴くままひたすらに歩き始めた。

郷愁の理由

盛岡市内は雫石川が流れている。川向こうへ渡るための大きな橋がかかっている箇所もいくつかあり、そしてどこを向いても遠くに山が見える。「行ったこと、住んだことのある街のどこかに似ているはず。」と、懐かしさを覚える理由を記憶の中から探していたら、散策を始めてあっという間に2時間が過ぎていた。

お昼時になったので寒さ凌ぎも兼ねて盛岡市内で古くからある喫茶店〈ふかくさ〉でモンブランケーキセットを、そしてどうしてもお米が食べたかった私は〈盛岡市役所〉にある食堂でご当地グルメっぽい「ソースカツ丼」を食べた。その間に雪雲が去ったようで、店を出た13時過ぎには青空がどんどん広がり始めた。



そして鉛色の雪雲から覗く空を見てやっとどの街に似ているか分かった。それは慣れ親しんだ石川県金沢市の雰囲気だった。
金沢市内には犀川と浅野川という大きな二つの川が流れており、川の流域沿いに茶屋街や繁華街が形成され、そして遠くに白山や立山が見える。雪国特有の寒さで体温が奪われていく感覚さえも似ている。だから私にとって落ち着く場所なんだと腑に落ちた。

陽射しを受けて煌めく雫石川

古き良きもの

盛岡では〈岩手銀行赤レンガ館〉にも足を運んだ。1911年の明治末期に盛岡銀行の本店行舎として完成し、1994年に現役の銀行として、初めて国の重要文化財に指定された建築。設計は東京駅で有名な辰野・葛西建築設計事務所によるもので、辰野金吾氏の建築としては唯一東北地方に残っているものだそう。100年以上の永きに渡り銀行として働き、そして盛岡の人たちにとってはランドマーク的存在として愛されてきたというのをガイドさんの案内で知った。

エントラスホールからの眺め

階段の意匠も、照明を吊っているレリーフ部分も全部屋異なっていて、建築に携わった職人たちの気概を感じた。
例えば、当時西洋では曲面のある木のレリーフを作る場合はヤスリがけで丸みを出すのが一般的だった。対して日本ではそのような曲面を出すのに特殊な鉋をわざわざ作って削り出していた過去がある。ヤスリだと木肌に細かい傷がたくさん入るけれど、よく切れる鉋で削り出された木は表面に傷がなく滑らかな肌になる。触ると「一目瞭然」ならぬ「一撫で瞭然」で全く違うので、興味がある方にはぜひ一度触れてみて欲しい。
他にも天井のモチーフは左官職人による漆喰細工で、精緻な模様をコテのみで仕上げたその技術力にずっと見惚れていた。

美しさを壊すもの

ただ、この建物も第二次世界大戦の戦禍の影響を受けた。そう「金属供出」によって。
本来2階部分の手すりは唐草文やアーチが優美な鉄製のものだったが、今も一部は木製のままになっている。この日最後に訪れた盛岡城址の本丸部分も、日露戦争で24歳で戦死した南部利祥(なんぶ・としなが)を偲び讃えるための銅製の騎馬像が本当はあったが、岩手銀行赤レンガ館と同様供出対象となり、1944年に旅立ってしまった。

銅像である主を失った台座を見たとき、南部利祥が戦争によって二度も殺されたように見えてしまって、私は何とも言えない悲しみと虚無感に襲われた。

美しいものを壊し奪うのはいつだって戦争だ。でもそれは今も世界中で起きている現実であることを忘れてはならない。

エントランスホールから。正面2階部分の手すりは復元されたもの。
ここの2階部分は金属供出により木製にすげ替えられている。いつか復元される日が来るだろうか。
盛岡城址本丸にて。主を失ったまま80年たった台座。

美術の類は生活に直結はしないけれど、「コミュニケーションツールかつ誰かの心を癒し豊かにする」影響力があると私は思う。その影響力は心に直接訴えかけてくるからこそ強い。実際に現在も戦争や独裁者を正当化するためのプロパガンダに利用されている。だから作り手は力を意識して使わなければただの暴力になる恐れがある。

そして漆の命をいただいて物作りをしている私にもそれは当てはまる。作り手であるなら「正しい心であるかどうか」を問い続けなければ。私は誰かの命を脅かしたり、間接的に奪ったり傷付けるようなことに絶対に加担したくない。誠実さを積み重ねてやがて地層になるようなそんな人間として生きたい。

悲しみは私たちの手で終わらせようよ。

岩手旅行記後編②(最終日)に続く。

おまけ

載せきれなかった写真をDonuts.のInstagramに掲載いたしますので、是非ご覧ください。