
紅茶の風味、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
ほのかに土感を感じる香り。
強い蜜のような香り。
後まで残る、木のような香り。
少し渋い柑橘系の香り。
あるいはマスカットのような鮮やかな香り。
〈天の製茶園〉で飲んだ和紅茶は、それのどれでもなかった。
口に含んだ瞬間、ふわりと香り、仄かな茶の甘さが広がる。
そして飲み下すと余韻だけが残る。
味とも香りとも言えない、「そこに茶があった」という想い出だけが確かに残っているような、そんな感覚。
紅茶だと思って飲んだら、もしかしたら肩透かしを食らうかもしれないが。
間違いなく肩の力が抜け、落ち着く茶である。
「日本の環境だとどうしても、強い香りを出しても中途半端で面白くならない。
かといって味を強くしても甘さとコクが喧嘩する。
だからもっとクリアなお茶を目指したい。」
茶園の主である天野さんは、少し語気を強めながらそう語ってくれた。
僕はなんとなく共鳴するものを感じた。セイロンティーでも、特にクリアな味わいであるヌワラエリヤが好きなのだ。

茶は、淹れるだけで人を繋げる力がある。
テーブルを置き、ケトルを置き、茶を淹れて飲ませる。
それだけで勝手に人と人とが話を始める。
その話は世間話ぐらいかもしれない。腹を割って話すようなことはないかもしれない。
けれど、そこにいる人となんとなく、ゆるりと繋がれる。
そんな空間に、個性を主張し続ける茶は勿体ない。話のタネになるのはいいが、話を消してしまうのは勿体ない。
だから茶はクリアなものがいい。個性を発揮しながら、主張しないものがいい。
僕が茶で作りたい空間が、和紅茶ならさらに鮮明に作れると、そう思った。