ヨソモノについて

「いろんな感性の人がいるのね」。

穏やかな五月晴れの日だった。絹のようにやわらかな午後の光が、風と共に部屋に入り込んできた。hatis AOは今日も暇だった。近所に住む常連の女性と、延々と話していた。その女性は横須賀市外からの移住者で、もう何十年と横須賀に住んでいる。

「ヨソモノ」を著した木内さんが、「衣笠が好きだ」という一文を見て、意外そうに受け取った。好きになりそうな場所ではなかったのだろう。

では。同じ街でも、感じ取り方、受け取り方は、それぞれ違う。もちろんその女性も、長らく住んだ街なのだから、心の奥底では、衣笠は好きなのだろう。

衣笠

衣笠のダンスホール

やすきは、衣笠商店街が好きである。鎌倉や湘南方面に向かうとき、電車賃を安くあげるため、衣笠駅を使う。京急よりJRのほうが安いからだ。衣笠に行くたびに買うのが、〈デリカキング衣笠店〉のタレカツ。鶏胸肉を内包した衣の隙間に、鶏皮が挟まれている。そこに甘いタレをかけて、白い紙袋に包まれて渡される。口にすると、豊潤な旨さが口に広がる。休みの晴れた日に出かけて、西友で買ったビールと共に食べれば、こんなにご機嫌な日はない。

衣笠商店街の中で、ファルセットのような甲高い声をあげるおっちゃんが、客の呼び込みをしているのを、よく見ていた。〈鈴木水産〉の衣笠店だ。ここの鈴木水産は、モノが異様に安い。鱈の白子やら、謎の魚卵が安く売っている時がある。昆布と共に醤油と酒と味醂で煮込めば、酒のつまみにもご飯のおかずにもなり、2〜3日はもつ。ファルセットのおっちゃんはこのところ見なくなった。喉をやってしまったのだろうか。

衣笠商店街は、お年寄りが多く行き交っていて、活気がある。やすきがかつて住んだ神戸の水道筋商店街と、よく似ていた。地場の喫茶店、八百屋、ドラッグストア、パチンコ屋。人の行き来があるところは、街が生きている。

やすきの地元、岡山県津山市の商店街は、死に絶えている。お年寄りですらまともに歩いてはいない。いま、日本の地方に多いシャッター街の典型だ。

高速道路のインター近くにできたイオンに人が吸い込まれて、資本によって地元の店は駆逐されたといっていい。木内さんに衣笠駅は死んでますよ、と言った不動産屋さんの言葉など、とんでもない。横須賀では信じられないような寂れ方が、西日本の田舎にはある。それが日本の現状だ。やすきの目から見れば、衣笠駅は生きている。可能性はまだまだ残っている。そう言い切れないような諦めと怠惰がつづくシャッター街が、数多く他の地方にはある。

衣笠ひとつとっても、三者三様、感じることが違う。それは当たり前なのだけれど、こうやって身近なことが文章になることによって顕在化して見える体験は、初めてのような気がした。これが、本になるということか。

安心

上町の風景

「ヨソモノ」はインタビューが掲載されている上町の〈Amis〉で購入した。他の店より、横須賀の地場の本屋さんで買いたかったからだ。仕込みが少ない日。早朝に上町方面に出かけ、〈Well Coffee Stand〉さんで横須賀マップの構想を話ししてから、〈Amis〉に寄った。朝9時だった。「ヨソモノはありますか」と店主の稲葉さんに声をかけると、笑顔で「あるよ!」と答えて、本を差し出してくれた。

「いつも朝10時から開けるんだけど、早く開けてよかったよ」。

と稲葉さんは言う。まるで、このタイミングでやすきが手に入るように、神様が取り計らってくれたようだった。たまたま、著者の木内さんがその日に〈Amis〉に寄って、やすきが本を手に取ったことをご主人から聞いたという。

〈Amis〉のご主人が青山ブックセンターに勤めていたことは聞いていたが、稲葉さんという名前だということ、ヴァージニア・ウルフが好きということを初めて知った。やすきも、ヴァージニア・ウルフを敬愛していた。

〈コーヒーロースト豆工房〉の松嶺さんも、横須賀コーヒーフェスでご縁があった。意気投合して、初対面で抱き合ったのを覚えている。〈RRROOOM〉の鈴木ご夫妻の話も、藤野さんから聞いていた。このZINEに掲載されている人の多くが、やすきと何らかの関わりを持っている。

みんな、横須賀に、この街に生きている。インタビューに載る人も、載らない人も、みな等しく同じ時間軸で生きていて、それぞれの日常が有機的な線で重なり、街という奥行きに交響し、日々を紡いでいく。

深田台や上町の写真も、富士見町で暮らしているやすきにとって、見たことのあるものばかりだった。橋本裕貴さんによる横須賀の写真は、どこか寂しく、しかし強烈な印象を伴って、情景が心に入り込んでくる。

〈貴光不動産〉が写っている、夜の平坂の写真。黄色と、斜めに入った青の地に、白の文字。ああ、そういえばあるなあ、と思い起こさせた。やすきは店が終わってから、夜に平坂のスパイス屋さんに買い出しに行くので、よく見慣れた光景だった。

この写真を見ていると、同じ街に暮らしているのだ、と、安心に似たような感情が湧いてくる。この写真たちを見て、いつも見ている風景だ、と感じる人はどれくらいいるのだろう。

写真が紙に刷られると、SNSでの共有というより、視点がひとつ増えるような感覚で、刹那に消え去っていくタイムラインより、心に鮮明に残る。

紙媒体の力。

ヨソモノが見せてくれたことは、この街に、横須賀に同じ時代に生きている、という空からの視点だった。版を重ね、大きな反響を読んでいるヨソモノは、一人一人の印象が違うだろう。やすきは、安心感を得た。

この本を作ってくださって、ありがとうございます。