『The First Slum Dunk』を観て

映画『The First Slum Dunk』を観て、ネタバレありの感想。

2022年の師走、スラムダンクの映画が公開された。

もう何年の前から映画化のウワサはされていた。本当に映画になるのか、といった心持ちの人がほとんどだっただろう。

公開前の直前まで、情報公開はほとんどされていなかった。原作者の井上雄彦先生が監督として関わっている、という情報に関しては、早くから出ていた気がする。

YouTubeで数秒の予告動画が公開されていき、あ、本当に映画になるんだ、という実感が湧いてくる。数カットの情報から、映画の内容が山王戦であることがネット上で分析されていた。

桜木が坊主で、バッシュがエアジョーダン・1であること。試合中の湘北選手の位置関係から山王戦に間違いないとコメントしている人もいた。

実際、フルCGで、試合中の選手の位置は写ってない場面もすべて計算されているということだった。なんという精緻なディテールだろうか。

映画公開前に90年代に放映されたアニメーションがYouTubeで1日1話ずつ公開されていった。三春町の工場に勤めていた時で、毎日、仕事終わりに観るのが楽しみにしていた。

懐かしさも手伝ったのだろう、新しい映画はアニメ版と声優が違うと発表され、大バッシングが起きた。私と同じく、リアルタイムでアニメを見ていた世代は、あの時の記憶を大切にしている。

だが、映画は公開後、瞬く間に大ヒットとなり、多くの賞賛の声で埋め尽くされることになる。海を越えて、韓国でも大きなヒットになった。あれだけあったバッシングを作品の良さで黙らせた井上監督。かっこいい。

人生への影響

2023年2月。意を決して観に行くことにした。特にきっかけがあったわけではない。このタイミングで観に行くのでは人生に影響があるだろうな、という漠然とした予感だけはあった。

夜のドブ板通りを歩いて、汐入へ。コースカに映画館がある。私はそこに向かって歩いていた。コロナが落ち着いてもドブ板通りには人が戻っていない。

私は2021年に横須賀に来たので、全盛期のドブ板通りは知らないが、それでも寂しい感情に陥ってしまう。左右にはネオンが煌々と光り、細心のヒップホップが低音をきかせて鳴っている。今はちらほらとしか人がいない。

観に行こうか、と迷っていた。病気をしてお金を節約しなくてはいけなかったし、世間が騒ぐと、冷めてしまう自分がいた。

それほどまでに、私たちの世代にとって大きな影響力を持つ作品だった。だからこそバッシングも起きるし、ヒットにもなる。

私は横須賀に来て初めて映画を観に行った。いや、ここ数年、映画館まで行った覚えがない。神戸で「風立ちぬ」を観に行ったのが今思い浮かぶ記憶だ。後にお付き合いをした女性と観に行ったが、数ヶ月で別れた。以来、彼女と一緒に風立ちぬは観ないようにしている。

コースカの映画館は、綺麗で立派だった。チケットは無人機で販売されていて、今らしい。レイトショーは1400円で安くなっていて、ありがたかった。

20:40スタートの、1番遅い時間だった。席はD-4。前から4番目の席。20:20ごろに入ったが、私が1番最初の席だった。

緊張して、トイレに2回いった。尿道結石で、排出を促す漢方を飲んでいる。上映中も3回ほどトイレに抜けた。後ろの席の人が集中力が切れるのではないかと申し訳なかった。

20:40になると半分くらいの席が埋まっていた。斜め前には若いカップルがポップコーンを食べながら待っている。明らかにリアルタイムでスラムダンクを経験していない世代だ。

映画館の中はスピーカーが左右に3台ずつセットされ、大きな画面で見える。これが良かった。

バッシュがコートに擦れる音や息遣いがリアルに感じられる。ボールが弾ける低音が体に響く。まるで、山王戦があった広島のあの会場にいるかのような感覚になる。

リアリティ

そして、ついに本編が始まった。予告動画であった通り、子供がふたり、1 on 1の練習をする場面。リョータとその兄が沖縄にいる。父が亡くなり、リョータのお母さんが途方に暮れる。

最初のシークエンスだけで、度肝を抜かれた。あ、これはやばいもん出来てるわ、とそれだけでわかった。井上監督の新しい挑戦であることが、この冒頭のシーンで示されている。

つづいて、本題。湘北のスターティングメンバーが、鉛筆で描かれて、歩き出す。宮城、三井、流川、桜木、赤城。それを観て、ああ、本当にスラムダンクが映画になるのか、と何度目か思った。懐かしさというより、感嘆だった。そのアニメーションは恐らく、井上雄彦監督自身が描いたもののはずだ。

そのアニメーションで描かれた5人は、リアリティがあった。流川のふてぶてしさが画面により出ていた。ああ、みんなこういう人間だったのか、ということが、歩き方と呼吸で表現されている。

中学の時、バスケ部の公式戦の前に、必ず読んでいた山王戦。何度読んだかわからない。あの試合が、映像になる。半ば信じられない気持ちでいたが、ついに目の前に現実となって現れた。

試合と原作で描かれていないリョータの過去が交互に映されながら、映画はすすんでいく。

時系列がおかしくないように試合のシーンは省略されていて、特に台詞回しの工夫が多かった。それでも、リョータの過去を描きたかったのだろう。

主人公は桜木花道ではなく宮城リョータになっていた。私はリョータとミッチーのコンビが好きだった。

リョータは、原作ではほとんど黒子に徹している。激情家だし、派手好きだろうから、本来ならもっと得点に絡みたいはずなのだが、流川と赤城が得点源なので、ガードとしてパス役にほぼ回っている。

仙道に「俺なら止められると思ったかい?」と言い放ったシーンは宮城の立ち位置を表象していた。外のシュートはないけど、ドリブルで切り込んで、得点していく、という牧のようなプレイができるはず。

山王戦も、得点はフリースローの2点だけだ。しかし、この映画のすごいところは、原作を変えていない。最後は流川からのパスで、桜木が試合を決める。

それでも、リョータが主人公だった。最後のプレイにリョータが大きく関わっていたことを、スクラムを組んで伝達した。そのシーンが映画の中で最も重要だった。

「ダンナ、流川を見てて」とリョータが指示をする。この言葉を思い出しだけで、涙が溢れそうになる。原作好きな人は、響いたんじゃないだろうか。

キャプテンである赤城が「わかった」と、驚いたように頷く。そして、最後のプレイにつながる。

家族

映画を通して、私には母と弟の視点が欠けていたということに気づいた。

映画は、家族がテーマだった。井上監督は「リアル」でも、同様のテーマを描いている。父をなくすのは、桜木もリョータといっしょだ。バカボンドの武蔵もおなじ。

井上監督は自身の父と関係が薄かった、とツイートしている。それは井上監督にとって、傷でもあったはずだ。父が不在であることにより、なんらかが欠如して生きていかなければならない。

私も同様だった。父はいたが、アル中で、父親役が不在だった。父も祖父が父役をしなかったので、私と同じだった。

神戸時代はヒップホップの音楽活動をしていた。ラッパーは、家族関係が複雑な奴が多い。私が仲良くなったのは、きまって父親がいない奴。

そういう奴特有の傷とか、怒られなかったから自分への甘さがあるとか。無意識に共有するのだろう。

それでも、私と父は関係が深かったように思う。愛してくれていた。それはありがたいことだ。

リョータの父が亡くなってから、兄弟で母を支えようと、誓い合う。それを観て、ああ、俺はカマダヤの当代であることを自覚した。

カマダヤというのは私の実家がやっていた会社だ。亡くなった祖母と父からカマダヤの名前は残して欲しい、という遺志を預かっているので、それが私の人生の命題になっている。

私以外に、それをやる人間がいない。

リョータとお母さんの葛藤は、私と私の母の関係に重なるところがあった。相続の騒ぎで、家族の関係と向き合わなければいけないところまでいった。

私の感情を、弟だけが寄り添ってくれた。

あの時の母と弟の気持ち。映画を観ながら、考えていなかった自分を恥じた。そういうことを気づかせてくれた。

そして、いろいろあったけど、悲しかったけど、それでも前を向いて進んでいく。生きること。

ラストのシーンで、浜辺で、リョータがお母さんに「おかえり」と言われる。松の防風林があって、移住前に行った茅ヶ崎あたりがモデルだろうなと推察した。この映画を横須賀で、神奈川で観るとちがった意味もある。

スラムダンクからまたひとつ、大切なことを教わった。

上映終了後ろ、前の席に、私と同年代らしき女性が1人いた。メガネをしていた。夜、1人でこの映画を観にきたということは、自分の過去にあるなにかしらを解決しにきたように見えた。