日記を書き続けるとナルシシズムに陥ってしまうと、犬養道子さんに教えてもらった。避けるために随筆を書くことにした。随筆よもやというブログを以前していたので、一文字変えてタイトルを拝借することにした。
つらい人、そうでない人
生きることの反対は死である。死が終わりだとしたら、生は元来楽しいものではないのだろうか?なぜ人は苦しみながら生きるのだろう。
以前、自分の店に来た3人のお客さんと人生の辛さについて語り合ったことがある。
2人のお客さんはいままで人生で悩んだことがないと言う。もう1人のお客さんと私は、生きること自体が辛いと言った。
この差はなんなのかを考える時、なぜ音楽を聴かなくて済むのか、ということにもつながる。
心の強弱ということがある。運動能力や頭の良さは数値化しやすいのでわかりやすいが、心は見えない。ゆえに数値化できない。
2人のお客さんは生まれつき心が強い。だからといって音楽を聴かないということではないが。音楽は心に寄り添うものだ。私の父も繊細な人だったので、いつも部屋で1人ジャズを聴いていた。
心の脆さ
自分で言うのもなんだが、私は心が弱い。すぐに傷ついてしまう。しかも、その弱さに大人になってから気づいた。
心はその人生や行動に強く影響する。
しかし、今の社会は見えない心を軽視している。今でこそエンパスなど当てはまる言葉ができたが、今までの歴史で繊細な人は多かった筈だ。
先日、水道橋博士と上祐さんの対談動画をYouTubeで見た。オウムに入った人は、悩みを抱えた人が多かった。
また、別の動画で養老孟司が東大理3の学生について話していた。偏差値としては高いが、頭のいい人は脆く、オウムに入信した人も多かったと。
心の脆さということがある。しっかり自分の心がどういう状態か把握して、生きていく必要がある。