湘南移住記 第六十一話 「東京自転車紀行」

東京、6:30着。定刻通り、新宿駅着。

バスロータリーから自転車を降ろし、冷たい東京の朝雨を前で途方に暮れていた。自転車で三浦まで向かおうとしていたのに、予想外の雨。どうしよう。

女将がAmazonで三浦市の住所にふとんを注文してくれた。指定は夕方の4時から6時。それまでに到着しておかなければならない。受け取らないと、畳で寝ることになってしまう。

距離的には75キロ。時速20キロと見積もっても4,5時間はかかるだろう。なるべく早めに出発しておきたい。

女将がで休んどきなよ、と近場のマンボーという漫喫を探してくれていたが、時間がもったいないので、コンビニでカッパを買って出発した。吉田とナルちゃんに新宿駅の〈Belg〉という喫茶店を薦められていたが、寄らなかった。いつでも、来ようと思えば東京に来られるのだ。

南に向けてペダルを踏む。Google MAPを参照にしながら東京の街並を走った。東京を自転車で移動する、人生で初めての体験だった。

東京は自転車で走りやすい。なぜなら道路に自転車用ナビラインがあるからだ。例え車が何車線あったとしても、通行側の左端に自転車が通っていいゾーンがある。大手を振って自転車をこいでいいわけだ。これは津山にはない。というか、西日本で見たことがない。こういう部分も東京は進んでいる。

新宿駅から渋谷へ。ここまでは細い道を走って、距離を稼ぎづらかった。渋谷に着くまで1時間は費やしただろうか。テレビでよく見ていた、緑色の高架に、渋谷を感じた。

渋谷はカルチャーの発信地で、華やかな場所ではあるが、露路をのぞくと、薄汚れたビルディングもある。ディズニーランドの裏側を見ているみたいで、おもしろかった。自転車だと、街の裏側の部分がよく見える。

気がつくと、白金台に迷い込んでいた。港区白金台に住んだことがない者でも、お金持ちが住むエリアという知識はある。子供たちが朝の通学をしている。信号の上に、白金の丘学園という標識が見えた。

おそらく私立の学校であろう白金の丘学園には、どれだけのお金持ちの子供が通っているのだろうか。想像もつかない。白金の丘学園は、日本で一二を争う地価であろう港区に、広大な土地を所有していた。どんな教育をしているのか。

ここまで小さい道を走っていたので、とても時間がかかった。荷物も、リュックとカバンがあり、走行には向いてなかった。カバンを左の肩にかけていたがずれて落ちてくる。首から下げたりしたが、タイヤに当たらないように左ハンドルに巻き付けるとこに落ち着いた。

さらに進み、国道1号線に出た。国道1号、つまり日本で初めての公道。どうやら、東京〜横浜間に横渡る道路を指すようだ。この道路は広く、横浜までほぼ一直線なので、効率よく進むことができた。自転車で横浜で向かう人の集団に出くわす。

やっと東京を抜け、バットホップで有名な川崎に着いた。小向仲野町の公園で休憩をとる。朝10時くらいだった。女将がつくってくれた弁当を食べた。塩昆布を混ぜた玄米、鶏肉とズッキーニの炒め物、小さい卵焼きが2つ。これほど元気のでる食事もない。ちかくに川崎競馬の練習場があったが、辿り着けなかった。

公園の近くを、綺麗な女性が2人歩いていた。治安が悪い川崎に、この2人は暮らしているのか。川崎に住んでいたナルちゃん曰く、川崎の中でも治安のいい場所もあるそうだ。神戸で言うと、北野や岡本など高級住宅街もある一方、長田などエリアもあるという感覚だろうか。

横浜は気持ちよかった。昼過ぎになり、晴れてきたのもあったが。風が気持ちいい場所は大好きだ。鎌倉と同じように、横浜も好きになれるかもしれない。桜木町の、ゴル麺というラーメン屋で、卵エスプーマ肉つけ麺を食べた。

オコゼが東京のラーメンは不味いと言っていた。これは何かというと、関西と関東の出汁の違いがある。関西に生まれ育ったオコゼには、関東の風味が合わないのだ。

私も神戸在住時、東京に来て、新宿の麺屋武蔵本店でラーメンを食べたが、なんだ、こんなものかと思ったものだった。おそらく美味しいラーメンだったのだが、その時は関西の味に慣れていていたので、そう感じたのだ。同じ日本の同じラーメンでも東西で味覚の文化が違うのはおもしろい。

横浜のラーメンは美味しかった。津山のラーメンは関西よりの味付けではなかったのだろう。Instagramで東京のラーメン屋をチェックしていたので、楽しみができた。人生はいかに楽しむかだ。

南下して、横須賀に入った。横須賀の手前、金沢区が1番良かった。幻想の夏休みのプールに浸かっている気分になる。森内さんはこの辺りに住んでいたらしい。

途中、ラッパーのレイトくんから連絡がきた。Instagramのストーリーに東京から自転車で向かう様子を見てくれたらしい。レイトくんは金沢にいると思い違いをしていたのだが、東京に住んでいるそうだ。三浦海岸に引っ越す計画もあるらしいので、もし近所になったり嬉しい。

この時点で昼の3時。荷物の受け取りに間に合いそうなので、逗子のルートを選んだ。京急六浦駅から神武寺駅を通る山道。霊気を発している、厳かな緑だった。逗子は海もあり、豊かな山もある。

今年3度目の逗子駅に到着。ゆっくりしてみたいが、いつも通り過ぎてしまう。海岸側に出て、海際を走った。

見覚えのある場所に出た。逗子と葉山の中間地点にある、渚橋の交差点。3年前の記憶が鮮やかに蘇ってきた。ここは葉山をこえて三浦方面に向かう方面と、トンネルを抜け逗葉新道の横須賀に向かう方面との分かれ道だ。

3年前、ずっと来たかった鎌倉。2日目に葉山のCavanというバレアリックなカフェに自転車で向かった。その時と同じルートだった。初夏の海岸を自転車で往来して、気持ちよかったのが記憶に残っていた。

あれから3年。まさかパートナーを引き連れ、神奈川に住む未来は予測さえしなかった。いつか住む、とは心に決めていたが、こんなに早くに実現するとは思わなかった。

3年前の俺、そこから6転くらいあるが、結局お前は店を開いて神奈川でやることになってお嫁さんになるであろうと人とここにくるぞ。楽しみにしとけよ!と逗子の真ん中で叫んだ。心の中で。

結局、三浦の家に着いた頃には夕方の5時をすぎていた。東京出発から11時間も自転車のペダルを漕ぎ続けけていたことになる。荷物の受け取りには間に合わなかったが、再配達で受け取ることができ、泥のように眠った。

過去から時間が経過するのではなく、未来が現在に飛び込んでくるという考えになった。デブラージの『盲目時代』という曲に、今、いいマインドでいることができれば、いい未来を呼び込むことができるというラインがある。

明るい未来をつくる。そのために私は理想を思い描く。いいイメージを思い描いて、それを信じる。みんなで、いいイメージをしましょう。それが合わされば、いい未来が作れるはずです。