期待裏切るありすぎるスリル
時代かきまわすスタイルはイル
さびしーさびしーさびしー夜に開くページ
そこが今日も同じマンガとは限らない
誰が書いてるかわからない
まぶしーまぶしーまぶしー白紙開くページ
無限選択肢移転掲載誌次元飛び越える未見最新作必見
『お楽しみはこれからだ』
ラッパー、ECDはがん闘病中でしたが、1月24日に亡くなりました。劇団『名無し人』に加入し、87年にラッパーとして活動開始。さんぴんCAMPの主催者としても知られています。『J-RAPは死んだ 俺が殺した!』という冒頭の開催宣言が有名です。
日本のヒップホップのパイオニア
日本のヒップホップシーンの聡明期を知る人物。今では数多くの高校生がラップを楽しんでいますが、その基盤を作った人物です。SALUもLui fuaも唾鬼も彼がいなかったら生まれていないかもしれません。
その実験精神が映像にも残っています。
これは88年の映像。ターンテーブル1つで、レコードをループし、レゲエ風に原発のことについて歌っています。当時は相当実験的なLiveだったのでしょう。勇気が必要な行為です。未だに日本のヒップホップで政治的なことを歌っている人は少ないですが、そのパイオニアの1人でもあります。
よく言うんだけど、いとうせいこうさんとかタイニー・パンクスのお二人とか、近田春夫さんとか、もともとそれまでもサブカルチャー界、音楽界とかで活躍をされていて、そういう人がラップにハマッてヒップホップをやりましたっていうんじゃなくて、本当に……まあ石田さんも演劇界とかでいろいろとやられていたりとか。リーマンズとかね、メンバーにいたりとか、そういう時代もありましたけども。まあ、がっつり世に出だしたのはラッパーとしてのキャリアが最初。だから要するに、はじめて日本で登場した純ラッパーキャリアっていうか。まあ本当に純ラッパーとしては第一号と言って
いいと思いますし。
(宇多丸)
どうですかね……。でもラッパーとしては影響されてなかったかもしれない。言葉を詰め込んだ速いラップのやつとか、あとスチャダラっぽいやつとかは多かったけど、石田さんみたいな渋さのあるやつはいなかったなあ。
(サイプレス上野)
黒人ばっかりのNYのヒップホップ・シーンの中にエルPがいる感じと、自分より若い人達の中で活動してた石田さんのアウトサイダー的な立ち位置はちょっと似ている気もしなくはない。
(東京ブロンクス)
政治的活動、反原発
次は2015年のSEALDsとのデモ映像。SEALDsの演説はラップの影響を受けたと言われます。リズムに乗り、同じフレーズを反復する。アジテーションとして大きな効果を生み出しました。
また、ECDは1960生まれ。日本で初めて商業用原子力発電所を作ることが決定したのは1959年だったそうです。
アル中、文筆業
ECDは一度アルコール中毒になり、アーティスト活動もできない時期がありました。その経験を基にした、『失点インザパーク』という著者もあります。また、CD-Rでのアルバムも。
亡くなるまで、最後の最後まで多くの曲を作り続けてきました。後年では、加山雄三の作品をリミックスした曲が話題となりました。音楽に対する純朴な思いを語った曲です。音楽がECDの人生にとって、とても大切だったことがわかります。
Remix元である加山雄三が追悼の意を表し、こうコメントしています。
軽快なリズムに詞をのせていく、僕はこの音楽が大好きです。
まさか、自分が作った曲がリミックスされ次の時代へ羽ばたいてくれるとは思いもしませんでした。日本においてこのジャンルを牽引し続けて来た君の功績は本当に素晴らしいものです。
そして、病床にありながらも現役を貫き、ターンテーブルを回す姿にみんなが勇気をもらえたと思います。君の背中を見た後輩たちがきっと語り継いでいってくれることと思います。
(加山雄三)
キングギドラのDJ OASISがECDの音源をまとめたMIXを発表しました。耳を傾けて、ご冥福を祈りましょう。
#ECD #HipHop #原発