Donuts.とは

こんにちは。わたしはDonuts.編集長のやすきです。

Donuts.は、2017年にはじまりました。<hatis 24>というブログでした。そろそろ自分の店を持ちたいと行動をし始めたころ、住んでいた神戸で、街で起こった出来事やお店の紹介を書いていた。ほとんどだれにも見られなかっただろうが、<hatis 24>がきっかけで高架下の建築チームや、王子公園駅ちかくでゲストハウスを開いたキムさんと知り合ったりもした。

当初は、そのブログとECサイトと店を連動させようという構想だった。結局、店を開いたあともサボってしなかったけど。家が自営業をしていたから、いずれ商売をしようとは10代のころから考えていて、地元の津山が田舎だったから、ネットを使えばいいだろうとはうすぼんやりと思いついていた。200年後で、ネット販売ができ始める時代のこと。やすきはヤフオクでCDラック、アマゾンやHMVで輸入盤のを買ったりしていた。ドイツのヒップホップの音源が欲しくて、当時、アマゾンはアメリカのCDしか取り扱ってなかったから、ヨーロッパの中継局があるHMVで海外からCDを取り寄せたりしていた。冬休みに津山口のコープで魚をさばくアルバイトをして、そのお給料でStieber TwinsとAzadというドイツのヒップホップのシングルを買って、よく聴いていた。父親も音楽好きだったが、音楽評論本に書いてある名盤ばかりを聴いていたので、だれも聴いたことがないものを聴きたいという、よくわからない反発があった。

その後、やすきが岡山県津山市で開いた<hatis 360°>という喫茶店をひらく。やがて、コロナの時期に張った。コロナのころ、店にきていた人たちのインタビューを取っていた。ブログからWebマガジンに変わる萌芽だったのかもしれない。インタビューを取った内のひとりに、美作市に住むビートメイカー、Taku The Kidがいた。彼は海外での生活経験もある、津山では異種の空気を纏った人だった。hatis 24はローカルに焦点を当てていたが、Taku The Kidにそういう隔たりはいらないんじゃないかと言われ、名前をDonuts.に変更した。もちろん、J DILLAのアルバムからとったもの。ドーナツから、すべてがつながり、循環していくというイメージを持たせた。

時がたち、コロナが明けて、やすきは岡山から神奈川県横須賀市に移住した。時間はかかったが<hatis AO>というスパイスカレー屋を開くことができた。その間、Donuts.に『湘南移住記』という連載をはじめた。ゴタゴタがあったので、感情の整理に書き始めたものだった。移住まであらましを、精神面も、お金面のことも、ほとんど晒して書き続けた。アクセスはそれまでの二倍以上にふえた。

津山で関わった人たちが見てくれていると思っていたのだが、<hatis AO>をはじめた当初、『湘南移住記』を読んで来店してくれる人たちがいた。中には読み込んでくれている人もいて、初めて会うというのに、やすきの内面をよく知っている、という状態に出くわした。

Donuts.が、いつかしか大切なコミュニケーションツールになっていた。

店を続けていくうち、関係が街に広がった。その途上であることに気づいた。やすきの店には来ないけど、やすきの発信は見ていて、やすきが勧めた店には行ってた、という人たちが少なからずいるということ。自分の店に来てほしいけど、ここには行ってほしいと感じた店のことを発信していたから、それはそれでいいと思うようになった。

<hatis AO>を休業して、その力を最大限にのばすべきではないかと考えた。そう、ずっとやりたかったウェブマガジンと、ECサイトと店の連携をしようと。

途中、Donuts.編集部のメンバーが三人にまでふえたが、ふたたびやすき一人体制にもどった。自分のことは書き尽くしたし、アクセス解析を見返してみると、ほかの店や場所について書いたことが訪問者があった。しかも、愛を以て書いたことは、反響があった。200回以上つづいた『湘南移住記』をやめて、雑誌形式でやることにした。自分のことは書き尽くしたから、みんなのことを書こう。

もともと、雑誌は好きだった。『ジャンプ』からはじまり、10代から音楽雑誌を買うようになった。『gb』、『remix』、『米国音楽』。音楽特集があれば総合情報誌も買っていた。『Title』。海外のヒップホップ雑誌も取り寄せた。関西にいたので『カジカジ』は読んでいた。大人になってからは、くらしのことに関しての雑誌も手に取るようになった。編集長が変わる前の『kuunel』,『Popeye』,『Brutus』,『&Premium』。

『Kinfolk』を見つけたころから、、レイアウトやデザインがいいものが好きだということに気づいた。CDのジャケがよければ大概中身がよかったみたいに、デザインがいい雑誌は中身も面白い。そして、自分もつくってみたいという欲求があった。

なので、一度、白紙にした。そのうえから土台をまたつくる。七年間の軌跡は、アーカイブにした。そこから拾い上げて再掲するかも。

あたらしいDonuts.は、ウェブ上にある紙媒体、というコンセプトでつくっている。SNSにはまりすぎて、読書を忘れている、人間の、なにか根源的に大事な部分が失われる気がする。

ありもののテーマを流用せずに、Wordpressでイチからデザインした。生成AIにコードを書いてもらった。PHPやJava Scriptはよくわからなかったので、動的要素をかなり付け加えることができた。DeepseekとChatgptをふたつ駆使して。高校生のころ、夢中でホームページをつくっていたころを思い出した。没頭した。ここのところ大変なことばかり起きていたので、とても楽しい時間だった。AIは夢の機械だ。ある程度タダでもつかえるし、これをつかって、すごいものをつくってる中高生とかいるんじゃないかな。

『たくさんのテキスト、美しい写真、アートをふくみ、エモーショナルで主観的、同時に分析的であり、多くの人に届き、思考方法と行動を変えるメディア』というのが、あたらしいDonuts.の背骨。『Purple』フランスのインディペンデントファッション誌をつくったエレン=フライスの本から拝借した。というか、好きな雑誌の文字組とか、果ては街の壁に張られてるステッカーとか、いろんなものをサンプリングしてつくっている。

SNSでは、バズが流行っている。一見、刺激的であったりするものにみんな注目してしまうから、いい仕事は見過ごされてしまう世の中になった。三浦市の高円坊の農家さんにアルバイトにいったとき、怒鳴られながらキャベツの苗を植えた。その作業はすぐには利益はならない。準備に、どれだけ精度を高められるか。地味な作業の繰り返しで、これをユーチューブで扱ったところでバズるわけもない。

ただ、仕事の質はすごくよかった。勉強になった。いい働きをしている人、あるいは始めたてでこれから伸びていく人。そういう人たちにスポットを当てていく。すくなくとも、記録をのこして、後世の人たちにバトンをわたす。人々の暮らしや考えがこう変化していったらいいだろうな、移住や、自分の人生で感じたことを表現して、変えていく。

ウェブマガジンでよくある、ある街や地域にかぎって、ではなくやすきが関係がある場所へ。津山のことも、東京のことも。その間にある関係を描きたい。点を線にして、面でとらえていく。暮らしや学び、日常のこと。

クオリティの高いものを目指してつくっているが、いきなり完璧というわけにはいかない。すこしずつ、つくってはこわしを繰り返して、いいものに。

編集部員も改めて募集中。ライター、デザイナー、写真家の方。もちろん、寄稿も。いずれお金がまわるような仕組みにしたいが、とりまいっしょに楽しんでくれる人がいたら、ぜひご連絡ください。

では、あたらしいDonuts.を、いっしょにたのしんでいきましょう。

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