嘘と虚栄 その1

Text by Tajima Mika(annon)

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先日Hatis air vol.09にて
「愛について」語るスペースを開いた。
盛り上がって結局我々は2.5時間近く話したと思う。

その1
https://x.com/hatis24/status/1803404877504323987

その2
https://x.com/hatis24/status/1803419178122273038

話し合いの中で現時点での私の中の愛の定義は「見返りなく自分の命を賭けても、引き換えにしても守りたいと思うこと」だろうという結論が出た。


そして私自身が「愛してる」という言葉が嫌いだとも発言したと思う。
仮に言われた場合は嫌悪感も抱くし、吐き気もするし一気にその人のことを嫌いになる。

正直このテーマについて語るのは難しかった。
私自身が「愛」というものをあまり信じていない。
というよりは「言葉」を信用していないし、嘘に対してとても潔癖だという前提がある。

そこに至った二つの事件について書き記す。
そしてその両方に父が関係しており、私が父を許すことも受け入れることも二度としないと決めた要因でもあり、同時に心の中の大きな傷でもある。

ミカ、小1時点での話

実父は私が5歳の頃に食道癌の診断と余命3ヶ月から半年の宣告を受けた。


そのため食道は全摘、胃も若い頃に患った胃潰瘍での切除手術で少ししか残っておらず使い物にならないため残存部を切除。
父に関しては正直興味がないので、十二指腸を残したかは忘れた。


食道及び胃を全摘するということは、すなわち消化器官がほぼ無いということ。
なので失った消化器官を補うために、大腸の一部を切除し(Dr.曰く、なんでも大腸は割と鈍感な臓器らしい)食道と胃の替わりに大腸を繋ぐという大手術をした。


それでも3年生きられるかどうか…という状況だった。

長くなるので割愛するが、父はDr.ですら「意味が分からない」謎の回復を見せ結論から言うと2024年現在も79歳になるが存命である。

その手術から2年後、私は小学生になり、父は自宅療養になっていた。


元来DV野郎であったが、入院後帰宅してからはそれが悪化し「俺はもうすぐ死ぬんだ」を盾に私たち家族に暴言や悪態で我々を苦しめた。

でもまだその頃は「嫌いだけど、どうせあと1年くらいで死んじゃうなら、最期のお願いくらいは言うこと聞いてあげるか」と純粋に思っていた。

そしてある日。

いつものように登校する際のこと。
私は家の鍵の所持をまだ任されていなかった。

母は父の治療費と私たち娘のために朝から夜遅くまで働いていたし、それに父が基本的に療養中で在宅しており、鍵がなくても家に入ることが出来るからだ。

もし、私の下校時間に例えば具合が悪くなるとか、通院などで予め留守になるのが決まってる場合は鍵をある場所に置いていくか、そういう場合だけ私が鍵を任される約束だった。
でも万が一落とすのが怖いので、基本的には私は鍵を持たない派だった。

その日の朝、私は父に向かって「今日は鍵を持って行かないから、出かけるときは必ず鍵を置いていってね。約束だよ!」と指切りをした。
「絶対だよ!」と3回は念押ししたのを今も鮮明に覚えている。3回目は玄関の前で。

午後3時。下校すると家に鍵がかかっていた。
いつものところに鍵はなく、念のため他の場所も見てみたけれどやはり鍵はなかった。今みたいにスマホや携帯がない時代だから、どうして父が不在なのかも分からず途方に暮れた。

そこから段々と不安と悲しみが押し寄せてきて声を出して泣いた。泣き声を聞いた団地の人たちが心配して「ミカちゃんどうしたの?お家に入れないの?じゃあおばちゃんの家で待ってても良いのよ」と声をかけてくれたが、父はすぐ帰って来てくれると思うと信じてその申し出をお断りした。

『もしかして急に具合が悪くなって、鍵を入れる余裕がなかったのかもしれない。きっとそうだ、そうに違いない、生きるか死ぬかの場面じゃ鍵のことまで考える余裕がなかったんだよ』そう自分に言い聞かせた。
ICUで沢山の機械に繋がれてた父を見ていたし苦しむ姿は容易に想像できた。 

でも待てど暮らせど父は帰って来なかった。
その内に日は暮れ夕方になった。晩秋の肌寒さがより一層私を心細くさせた。

それでも父は帰って来なかった。
時計もなかったからランドセルを背負ったまま何時間待ったのか最早分からなかった。

そして完全に夜になったとき、部活帰りの姉が帰って来た。夜6時半頃のことだった。


開口一番「なんでミカちゃん家の中にいないの?!」と言われ事の次第を告げた。

姉の顔を見たら、安心感と父が何故かいない不安、寂しい気持ちと不安、色んな感情が噴出して私はわーわー泣いた。


でも運悪くその日は姉も鍵を持っておらず(だって父がいるはずの日だから)、今度は二人で父の帰りを待った。


でも一人きりで待っていた時よりは悲しみを受け止めてくれる姉がいてくれたから寂しくなかった。

そうこうしていたら笑顔の父が煙草を吸いながら帰って来た。

私はとても驚いた。
「なんで元気なんだ」
「なんでDr.に禁止されている煙草を吸いながらそんな笑顔でいられるんだ???」
「急変したかもと心配したのに」
人間本当に驚くと言葉が出てこないのだなとこの時思った。

対照的に姉は
「なんで家にいなかったの?」
「出ていくなら鍵を置いていく約束してたでしょ?ミカちゃんずっと泣いてたんだよ?」
と父を問い詰めた。

返ってきた答えは「パチンコに行っていた」だった。しかも「勝ったから良いだろ?」と開き直られた。勝って景品で取った煙草を吸いながら帰って来たのだ。


心底嫌いになった。
いや、嫌いなんて言葉じゃ足りない。軽蔑と憎悪でいっぱいで同じ空間にいること自体が不愉快な存在に成り果てた。
その時に以前から感じていた父への不信感が決定的になり「あぁ、この人は私が指切りまでして何度も念押しした約束を簡単に忘れて自分の欲望を優先する人なんだ」と。

思い返してみれば、病気発覚前も発症後も色々言われた。
父の車で車酔いすれば「俺の車が汚れるから吐くな」
風邪で高熱を出したときも真っ先に「俺にうつすなよ」と宣い、我が子への心配よりも常に自分自身が一番だった。

ホームドラマの中のキャラクターや保育園の友達たちは当たり前に親からの愛情に包まれて嬉しそうで、そんな幸せそうな場面を心の中で対比しては『この人にとって私の存在と約束はパチンコと車以下なんだな』と思ってしまった。

以来口約束を二度と信じられなくなった。
人は言葉では何とでも言える。だから私は相手を言葉で判断するのはもうしない。そのかわりに行動と態度で相手の人間性を見ることにした。
父のことは「生きてる検体」以上の感情を持てずに今もいる。

その2に続きます。