Icoi Baseについて

〈hatis AO〉の平家は、私が入る前にIcoi Baseというグループが改装していた。そのメンバーの方達と連絡が取れて、11月末に店に来てくれることになった。

Icoi Baseにたどり着くまで、時間がかかった。

ポストに名前が残っていたり、水道の登録名から、私が入る前に「Icoi Base」という名前で平家を改装していた、ということだけわかっていたので、Instagramで情報を呼びかけた。

すると、〈No.13〉の野口さんがIcoi Baseのアカウントの情報を教えてくれた。単にInstagramで検索をかければよかっただけなのだが。

さっそく、DMで連絡をとった。Instagramにログインしているとは限らないので、期待薄だったが、メッセージを送ってから2,3日で返信が返ってきた。

一度お会いしてみたい、と伝えると、店に来てくれると返信がきた。メンバーは複数人いて、東京に住まわれているとのことだった。

日にちの都合を合わせてもらって、3人で横須賀まで足を運んでもらえることになった。後日、来れないメンバーが出たということで、別の4人で次の週の日曜日に予定が変更された。

理由


Icoi Baseのメンバーの方達に、訊いてみたいことがいくつかあった。

ひとつは、なぜここを改装していたかということ。

どんな想いでここをつくっていたのだろう。店を開いてから、ふとその疑問が心に浮かび上がってきた。

なんのために、わざわざ東京から来て横須賀で作業していたのか。

もしかして、岡山から〈hatis AO〉に至るまでの大切なピースがあるのではないか。それを埋めることによって、見えてくるなにかがあるのかもしれない。

もうひとつは、客間に塗った珪藻土の色に、青を選んだのか。その青が理由で〈hatis AO〉という店名の由来になった。

だが、直接訊く前からその理由の推察はできた。InstagramのIcoi Baseアカウントに改装の様子が残っていた。投稿から、横須賀の海と空の印象であることが窺えた。

外からきた私も、コーキも同じだった。横須賀の空と海から印象を得て、アウトプットをしている。

おそらく、横須賀に来て住んだ人の多くがそうなのではないだろうか。

また、〈hatis AO〉で引き継げることはないか。

Icoi Baseさんが改装してくたベースがあるおかげで店が営業できている。感謝も伝えたかった。

当日

当日。日曜日の朝はゆっくり珈琲を飲む。仕込みも掃除も、日曜日の朝はほとんど終わってるからだ。

朝8時。エリック・サティを聴きながら富士見町の街並を眺める。エリック・サティの音楽は、波打つ感情を鎮めてくれる。段々畑のような家々と、目の前の山が、風に揺れるのを見ていた。静かな空間。鳥の囀りか今日も聴こえる。

どんな人たちなんだろう。連絡してから2週間、この日を心待ちにしていた。

開店して、約束の時間の1時間前にアルパカさんが来た。アルパカさんは縁側の改装を手伝ってくれた人だ。ほぼ毎週、ウチに来てくれている。

アルパカさんの食事が終わって、メンバーの1人が先に来られた。その30分後、残りの3人が店に到着した。

スパイスカレーと珈琲をお出しして、食事をしながら5人で談笑した。

三崎から横須賀に移るとき、いくつか市内の古民家を内見した。ほとんどが使われていなかった家で、どこも影が落ちている。空気感が澱んでいた。中には元の持ち主の思念が残っている場所もあった。

だが、〈hatis AO〉の物件だけは違った。空気感が陽だった。最初は日当たりがいいからかな、と考えていたのだが、理由がわかった。Icoi Baseのメンバーがとてもいい人たちで、楽しく作業していたからだ。

場所は、人が過ごした時間を記憶している。見えない記憶が空間の奥深くに地層のように連なっている。

その雰囲気がそのまま店の営業につながっている。そのことを含めてお礼を述べた。

メンバーの方達は20代だった。ひとり建築に明るい方がいて、改装の設計図を見せてもらった。

店でIcoi Baseのやりたかったことを受け継ぎたいことと、いっしょになにかできないかと話してみた。快く引き受けてくれた。

その場にいたアルパカさんも縁側の改装に参加してもらっている。だから、この平家に深く関わるひとが一堂に会していた。

時折、私はこの場所に呼ばれたのだと思うことがある。Icoi Baseさんもアルパカさんも同じく引き寄せてられたのだ。場にはそういう力が働いている。運命の磁石とでも呼べるかのような。

だから私もここで店をして、多くの縁をつくることが使命なのだと思う。

オープンまでは苦しい道のりだったが、ここからはIcoi Baseさんを倣って、楽しんでいこう。