土星逆行の終焉

「それでは、書類ができましたら自宅へ郵送します。」

保健所から来た2人の女性を玄関で見送ったあと、どっと畳に倒れ込んだ。あぁ、やっとここまで来たのか。まだまだ内装も手を加えなければいけないという状況だけれども、ここまででさえ大変だった。

営業許可が、これで下りる。この後、もうひとつ不備のやりとりがあったものの、保健所の担当の方が気を効かせてくれて審査を続行してくれた。

気がついたら津山の店を閉めてから2年が経とうとしていた。そんなにかかったのか。実感が湧かない。

横須賀はすでに秋模様をみせている。夜は寒くなりはじめた。ホントに店ができるのだろうか、と心もとなく過ごしていたが、やっと地に足が着いた感じだった。

これで良かったんだろうか、と去年の選択を後悔している部分もあった。でも、横須賀や三浦に仲間や友達もできて、新しいものをみせてもらってる。

畳から起き上がって、外へ出かけた。気が安らかだ。用もなく、うみかぜ公園まで歩いていった。猿島が見える。寒くなり、公園でグランピングする人は減った。

頬を通り過ぎる風に、ああ、いい場所へ来た、ということを教えてもらった。

逆行

土星の逆行が10月23日で終わった。遡ると、6月5日から始まった。

その頃の私というと、体調を崩し、医者に入院を勧められ、店の水道の工事が必要と、本当にオープンできるのか、という状況だった。

この5ヶ月で、その時の仕事のおかげで、多くの仲間を得ることができた。難局を乗り切ったといっても過言ではない。

漢方を勧められて入院は逃れることができたし、アルパカさんのおかげで水道工事はしなくてよくなった。費用的に、20万円くらいは浮いた。今の私にとって20万円貯めるには3、4ヶ月はかかる。

土星の逆行は問題解決の調整期間だという。まさにその通りだった。世間では、安倍元総理暗殺にはじまる統一教会の件や、社会の闇が暴露される流れで、膿を吐き出そうとしている。大きな転換期だ。

小さなことだけど、職場の同僚たちとよく飲んだ。お金も時間も節約したかったが、なんか時間を過ごしたくなる人たちだった。

津山で店をしているときも控えていたので、本当にひさしぶりだった。

飲みの席で生まれた話もあるし、なにが起こるかわからないことだ。

まあ、楽しかった。

2年

さらに翻ると、水瓶座に木星とともに土星入りしたのは2020年末。

2年前。

2年前の私は津山で店をしていた。祖母が11月に亡くなり、相続のことがあって、店を閉める決断をしたのが11月末。

ちょうど、店が活気づき始めた頃だった。

店を閉め、鏡野町の工場と、津山口のホームセンターで働いた。私と元女将、3匹の猫の移住資金を蓄えるため。

元女将は毎日、お弁当をつくってくれた。相続のことでもめて、精神的に疲弊して、元女将に辛く当たってしまった。いまでも後悔している。

元女将のことをもっと信じれば良かった。

日誌をつけ始めたのもその時期。感情の整理に手一杯だった。日誌のおかげで、アクセスが倍増したけど。

翻って、今の自分にできることは、自分を信じること。それから、人を信じる。

人を信じてないなあ、という人にもこの1,2年で出会った。他人は自分の鏡なので、自分の弱さが引き寄せたものだと思う。

土星入りからこの2年は試練も試練。気がついたら横須賀で店をはじめている。

判断の誤りが多かった。まず、感情に左右されないこと。冷静さはこの先も経営でも人生で必要になる。

だけど、いざとなれば自分の意志で行動し、動く力はつけた。DIYもできるようになったし。

同時に気づいたことは、1人で動いていたけど、それには時間的にも労力的にも限界がある。定めた目標の分量が多い場合、いろんな人の手を借りる必要がでてくる。今は多くの人に助けてもらっている。

そういう仲間を得たことが、宝なんじゃないかなあ。神戸や津山の仲間も、来てくれたお客さんも。人に恵まれている運を持っていることが私の才能のひとつ。

大きいことを為そうとするなら、仲間が必要になる。これはルフィも異論がないだろう。

寂しさもへった。店の営業終わり、<No.13>にいくと、たまたま友達もきて、その日初めてあった人など、5人で珈琲を啜りながら喋った。仕事のこと、車のこと、花火のこと、福島の原発事故のこと。

三浦から横須賀に来たころは寂しかった。なぜか、三浦では寂しいという感情が生まれなかった。

津山では持家だったので出来ていた。いまは、自分の力で、見知らぬ土地へきて、新しくやろうとしている。

だから、新しい物差しを手に入れる、という2年間だったのかもしれない。

失ったものもあるので、あの時の自分とは、また違うなあと思う。

残り半年。土星の総仕上げ。来年の3月、どう変化しているのだろうか。