<前門飯店>の餃子
横須賀市、追浜。
横須賀と横浜の境にあるこの工場街は、古くは相模国と武蔵国との国境でもあった。日産の工場を抱え、横須賀の活気と雇用を支えていたが、残念ながら2027年度末に閉鎖予定となった。
日産だけではなく、いくつもの企業が追浜に工場や倉庫を持っている。やすきは、住友重機械工業や、引越しの仕事で、通うことが幾度かあった。
古くからの横須賀市民から、昔はもっと繫栄していた、と話を聞く。ブラジル人が多くいて、ブラジル人向けの食材屋さんもあったという。いまでも、駅のすぐそばにビルがあって、二階にハラール向けの食材屋さんがある。店に出すための、ヒマラヤのスパイスドラムをそこで買った覚えがあった。いま、ブラジル人どころか、外国人を見かける機会は、中央より低いだろう。
つめたさとあたたかさの境界線上で
やすきは年末年始と、追浜に通っていた。衰退したとはいえ、追浜には仕事が溢れている。
朝の通勤。県立大学駅から追浜駅まで15分。その間に、ノルウェーの小説家、ビョルンソンの『アルネ』を読む。電車の中では、人々がスマホをとりつかれたように見入っているので、危機感を覚えることがある。インプットをSNSではなく書物を中心とし、文庫本を持ち歩くことにしていた。
朝は通勤、通学ラッシュ。駅を降りて、各々がそれぞれの持ち場に向かっている。やすきは、追浜の生活の中に、短期間だが混ぜてもらっていた。
夜、18時。冬至をすぎても、日が暮れるのは早かった。寒くなったねえ、と職場の同僚たちと話しながら、帰路に就く。夏島町から追浜駅まで、やすきは歩いて帰っていた。駅からまっすぐのびる一本の道、夏島貝塚通りをひたすらまっすぐ歩く。
両脇には綺麗なマンションが並んでいて、工場に勤める人たちが、ここで暮らしているのだろう。生活の街だ。いくつかのコンビニ、コインランドリー、無数の飲み屋。

地元の人に、町中華を食べ歩いている、と話した。飛び込みで入って、餃子とチャーハンを注文する。その二つはその店の根幹だろうから、基底を感じに行っている、と。
そうすると、地元民は<前門飯店>のことを教えてくれた。

駅前の陸橋を降りて、交差点を左に曲がると、路地裏に居を構えている。餃子が有名で、いくつかの種類があるが、ノーマルを頼んでみるといい、と教えてくれた。やすきは頃合いを見計らって、週末の金曜、一度のぞいてみたが、本日は予約で満席です、と店の前に張り紙があり、入れなかった。
二回目の訪問は木曜日だった。通りの古本屋、<ぼちぼち書店>で歳末のセールをしていて、倫理学の書物を手に取ってから、<前門飯店>へと向かった。
予約で満席の張り紙はなく、今度は無事なは入れた。お客は入ってなくて、店の奥は電気がついておらず、店内は暗かった。テレビも、音楽もかかっていない。男性が一人いたので、「やってますか?」とおののくように訊いた。席に通されたので、やすきは席に着いた。メニューを見て、餃子と麻婆丼を頼んだ。
店内は広い。入口の右に、百駿園と書かれた中国の絵が飾ってあった。金色の屏風で、山林に幾頭の馬が描かれていた。毛色がいくつか違っていて、中には白毛馬もいた。その下に、なんでも鑑定団に出てくる、いい仕事してますね、という人のポスターが二枚並んで貼ってあった。その人の名前は思い出せなかった。

トイレに行こうとすると、先ほどの男性とは違う、白髪の男性がトイレのスイッチの場所を教えてくれた。この人がご主人なんだろう。片言の日本語だった。事前にAIでつかんだ情報によると、北京出身らしい。

しばらくして、麻婆丼が先に到着した。スプーンを手に取る。大きい。花椒がふんだんに使われていて、辛味としびれが心地よく行き来した。ウマウマウー。
餃子が来るのが遅くて、注文が通っているかどうか、心配して厨房に聞いてみた。いま焼いているよ、とハンドサインで教えてくれた。席に戻るとすぐに餃子が到着した。

この餃子は本当においしかった。今までの人生で食べた餃子の中でも、特に。というか、餃子がここまで美味しいものだとは思わなかった。
食べ終えて、支払いに向かった。白髪のご主人に、「辛かった?」と聞かれた。おそらく麻婆丼のことだろう。食べるのが遅かったが、辛味より、量が多かったからだった。やすきは大食漢であったが、食べれなくなっていた。話しかけてくれるご主人の物腰には、茶目っ気があって、やすきはとても魅力を感じた。いい夜だった。