湘南移住記 第二話 「段階」

なにしろ急だった。津山で根を張って長くやるつもりだった。津山に新しい風を吹かせたかった。はぐれもんだが、地元で自分にしかできないことをやりたかった。急に出ていかなくてはならなくなった。

3年前、神戸にいた時分にカフェを開業すると決めた。その時は『なにかやりたいけど一歩ふみだせない人』によく会っていた。私と同じくカフェをやりたくて、店を持つ話もあったが見逃した人。自分が作ったケーキを食べてもらいたくてカフェ勤務していた女の子。前の記事で周波数によって合う人が変わると書いたが、この時期の私はやりたいことに対し一歩踏み出せない時期だったのだろう。

住んでいた王子公園に、神戸R不動産で絶好の物件が出た。計画表を書いて国庫に申し込みお金を借りて開店すれば良かったのだが、一歩踏みとどまってしまった。実際に神戸駅の近く、元町商店街の終わり側にあるなんかの商工会まで足を運んだ。その近くにクラウドファンディングで作ったカフェがあって参考になった。しかし結局、津山の実家のビルの倉庫を使ってカフェを開くことを選んだ。寂しかったが神戸に2度目の別れ。

それから、父親を説得し倉庫を片付けてカフェ開業を目指す。紹介でPORTという川崎にできたアートギャラリーで働いた。帰ってきて1年以上費やした。津山に帰って1年後、すこし焦りながら7月3日に開業届けをだした。同じ時期に父親の食道癌が発覚した。父親を看取るために帰ってきたんだろうなと思った。PORTでは来るお客さん全員に話しかけていて、そのお客さんがhatisにも来てくれていた。水路珈琲の竹内さんにドリップを手解きしてもらい、香草工房の内藤さんにも鳥取のいろんな場所へ連れてってもらって出会いがあったな。内藤さんの行動力には学ぶものがある。アートの世界に触れ、今までにない角度の出会い。一緒に働いたスタッフにもお世話になった。たくさんの方に珈琲を淹れた経験も貴重だ。思えばここから対価を得て珈琲をお出しすることが始まってるのか。ありがとうPORT。外から来た人に津山を案内する、というのが最初の店の目標。一年して、ルートインやSNSで県外や県南のお客さんがちらほら来てくれるようになった。外から来た方に、ほぼ必ずPORTを案内していた。

PORTの飯綱さんにも学んだことだが、人となにかやるときはその人の能力ではなくその人自身をみること。その人の人間性を見て一緒になんかやりてえ!と思わなければやるべきではない。その時の私は自信がなく、また軸に欠けていたので誰かに頼ろうとしていた。自分がない人は他人に利用される。いままで散々味わってきたことだった。自分の人生の目的をはっきりさせて行動しない限りロボットと一緒で搾取されるし利用される。

祖父が死んだ時に感謝しながら死のうと決めた時からはやりたいことをやるという方針になった。人生で初めて意思を持てた。恐らくそういう生き方をしないと死ぬ時に後悔するからだ。そこからWebデザイナーを目指して20代後半から再び神戸に出た。結果はうまくいかなかった。自分のことしか考えてなかったのも原因のひとつだった。俯瞰して自分が見れてなく他人の気持ちも考えてなかった。Webデザインの勉強や努力も大してしてなかった。中途半端だった。

やっていくという気持ち

とあることで津山でミシュランを獲得した老舗ラーメン屋の創業者の方に話を聞いた。大阪で電気工事の仕事をし、津山で独立してみたものの顧客がつかない。家族を養っていくため、思い切って経験のないラーメン屋を始めた。38歳で。すごい決断だ。いま、私もパートナーと3匹の猫という家族を持って近い心境だ。「とにかく無我夢中だったので、お金のことは奥さんに任していいモノを作ろうということで頭がいっぱいだった。業者もよく怒っていた。常連さんが増えるまで地道にやっていた」と創業者の方はおっしゃっていた。

比較して、自分には責任感が足りてなかったのかもしれない。言い換えるとパートナーと猫のおかげで変わった。明らかに人生のステージが上がった。パートナーと店をやってく、という目標が出来てから店を気合いれて改装にして綺麗にした。利益アップのためお酒を入れた。お金のことで随分と喧嘩をしたが、それが嫌で行動が変わった。自分たちでなんとかする。その代わり好きな場所に住んで自分たちのやりたいこと、夢やヴィジョンを叶える。同世代の多くがしていること。

店を作る時もそうだったが、0から何かを作り出そうとした時に協力してくれる本当の仲間が現れる。そういう仲間と友達は一生大切にしていく。来ない人は来ないし、来る人は来る。津山の同級生だったり近所の人はほぼほぼ来てくれなかった。コロナを機に、波長が合うかどうかの傾向はさらに加速する。とBar Zackでお世話になったエイジさんもおっしゃていた。現に私もそうだった。一つ言えるのは、振り返って、素晴らしい魂をもった人たちと出会え続けていること。私の人生の宝だ。店をやって、さらに出会えた。神様と親と先祖に感謝です。ありがとうございます。

商売をすると3代目が潰すという。祖父が創業した実家の、3代目は私。が、祖母と父との約束で店の名前を残すことにした。これからの私の人生の背骨。だが、店を閉めたのも原因は家のことだった。合理的とは言わないし、感情に振り回されているので正しいとは言わない。ただ、筋を通して後悔しない選択肢を取り、店を閉めることにした。随分と葛藤したが、女将が背中を押してくれた。

時間が経ってから、店を閉めたことが悲しくなった。自分の分身でもあったので。工事をしてくれた丹後山アパートメントのつばさくんにも申し訳なかったし、常連さんの再開をのぞむDMも返信が辛かった。けっしてたくさんの客足があったわけではないが、来てくれたお客さんとの時間は自分の人生にとってかけがえない。

おばあちゃんとおじいちゃんが作り、父と母が残してくれた店で何かしたかった。私はここで育てられたのでここで始めることに意味があったのだと思う。「店の名前を残す」というミッションは、また私が会社を創ればいいのだ。魂を引き継いでいく。hatisの魂も。

帰る場所もなく、新しい場所で0から始めるというのはものすごいチャンスだ。スーファミ のRPGでよくあるシチュエーションだが、主人公は旅を経てエンディングには大きな成果と成長を遂げている。しかも私は奇天烈だが夢と志を共にするヒロインと猫もいる。一年半だが店の経験値もあるし珈琲焙煎などのスキルもついた。距離は離れるが神戸や津山に仲間もいる。クロノトリガーの「つよくてニューゲーム」である。残せるかわからんが店の備品もあるし。

今年は水瓶座に土星と木星のコンジャンクションで明らかに重要な年だ。人生の後半戦、ここで狼煙をあげなければなんともならない。個人事業主にはなれたが35には起業して社長になれてると思ってた。ここで勝負にでなければ。しかし今は心強い味方が隣にいる。自分の人生の役割を全うとしたい。コロナ後の世界。人が人らしく生きれる世界にする。