ネットでうしなったこと、考えること

高校生のころ、家のPCにインターネットが接続されました。それからというものの多くの時間を費やした。チャットにBBSにはじまり、今はSNS。どれもこれもが断続的な連なりです。twitterは140文字くらい。

情報量が多くなってるから、次第に情報もインスタントな細切れになっていきます。ネットが発達したからって、僕らの脳の容量とCPUが急激に上がったわけじゃないですからね。

情報が簡単になりすぎてて、集中力が失われているなと危惧したのは20代のころです。頭悪くなってんじゃないかなあと。理解力は落ちているように思いました。なにより、本が読めなくなったのは哀しかった。

考える時間はたくさんあったのに、インターネットにムダに時間を遣ってしまい、さらに脳の力も落ちる。今思えばすごい悪循環だった。もったいなかったな、と思います。

今はスマホが普及し、数多くの人がそうなっています。パチンコみたいなゲームやったり、LINEでつながってみたり。

過去は過去でテレビが思考停止装置の役割を果たしていたのでしょうから、考えないことは何も今に始まったことではないのでしょうが。思考というチキンライスに覆いかぶさる卵は、いつどこにでもあるということです。

『「考える人」は本を読む』(河野通和•著)は考えてこなかった自分にグサッと刺さる本です。著者は雑誌『考える人』の元編集長のメルマガをまとめた本。

第1章には本を読むことの章。『それでも、読書をやめない理由』には情報社会の弊害と、本を読むことについての対比について記されています。「現代人は表面的な情報ばかり頭に詰め込まれ、深い思考や感情を犠牲にしている」という精神科医の引用などザックリきちゃいます。あいたー、という感じです。

続いて、『脳を創る読書 なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』(酒井邦嘉•著)という本からの引用。

「長時間にわたって一冊の本に熱中することで開かれる静かな場で、人々は自分自身の方法で物事を関連づけ、自分自身の方法で推理や類推をし、自分自身の考えをはぐくむ。本を深く読みながら、彼らは深く考えてもいるのだ」

読書は抵抗でかつ瞑想とも言えるそうです。これからはネットサーフィンを辞めて、読書に費やましょう。このウェブマガジンを見るのは有益なのでよしとします。