明日4月25日、私は36歳になる。誕生日前日なのでこの一年を振り返ってみようと思い、筆、ならぬキーボードを叩いている。結論から言うと『こんなにキツかったのは人生のどん底だった28歳以来』でこんなことになるなんて…と思うことが多い一年だった。
辛いことをダラダラ書くのは疲れるので先に言うと、まず父が亡くなったことによる相続の整理を一人で背負って完遂してしまったことが一つ。もう一つが離婚調停中だということ。今は後者がかなりキツいということのみを述べるに留める。
そんな日々の中時々起こる小さな幸せによって息継ぎが出来て生き永らえたなあと思う。それはこの後に書く「友人たち」や「人生の先輩たち」のお陰。
昨年の誕生日当日
この頃はもう既に育児が限界を迎えてて、とにかく「この子を死なせないように、私が命を守らなきゃ」その一点だけで何とか自分を保ってた。
覚えているのは、昨年の元旦に「能登半島地震」で直属の先輩が火災で亡くなったこと。輪島に住んでいる友人知人お世話になった先生やバイト先のご夫妻…といった大切な人たちが、被災し避難をしたり泣く泣く輪島を離れる決断を下すと言った話を聞いて涙を流したこと。『自分にできることが何なのか』で頭がいっぱいだった。それは今もだけど。でも無計画に飛んで行ったところで足手纏いになる。だからせめて『輪島で教わった技術を絶やさないこと、それが今私にできる恩返し』だと思い至りチャリティーリングを作ってた。
そんな日々をずっと過ごしてきた中の誕生日。当日は外勤日だったので普通に仕事して、疲れて帰ってきて、我が子を保育園に迎えに行って普通のご飯食べて、寝かしつけてで精一杯だった。でも自分で買った誕生日プレゼントをおろした気がする。
あとは一年に一回しかない日くらいは、『いつもならしないことを敢えてしよう!』と言うことで、夫に「2時間だけ時間をください」とお願いして、初めて〈エデン横浜〉(以降エデ横と呼ぶ)に行ったのはよく覚えてる。
引っ越した今だから言えるけど、旧自宅からエデ横までは徒歩15分圏内だった。そして同じDonuts.編集部員の十夢さんが足繁く通っているお店だから『きっといい場所なんだろう』と思って勇気を出して足を運んだ。
袖擦り合うも多生の縁
今日は先に私の性格について書く。
私は基本的に話すのが苦手。穴があったら入りたい。人間怖いよう…動植物や物と対話する方が向いてる。
漆に関する話の時だけは仕事モードになるから唯一すらすら話せる。それ以外ではとても人見知り。その場に一人でも知り合いや友達がいれば話せないこともないけれど、それでも思ってること全部顔に出るから恥ずかしいし、これでも一応隠そうと頑張ってはいるけれど、それよりも爆速で緊張が高まりすぎて言わなくてもいいこと言っちゃって、『あ゛ーーー』ってなることが本当に多い。でも間接的に私を知っている人からは、どうやら喋らなければ私は厳しい女王様みたいな人と恐れ多くも思われていることが近年特に増え、むしろそっちになりたいのになかなか難しい。特に『好き』の感情を隠すことが一番難しい。大人だから隠さなきゃいけない場面も増えてきたのに…。
その点文章は一歩引いた目線でいられるので、まだ向いているかも。
人と話すのが超苦手な私が、エデ横に勇気を出して単身で乗り込んだこと。これは普段ならあり得ないことだった。
その日は「本のソムリエします」がテーマだった。ドアの前まで来て『やっぱり引き返そうか』と数秒悩んだ。
だけれど『ここまで来たんだ、退路を断って進むしかない、じゃなきゃ運命なんて何も変わらない』とドアを開けた。
中には常連さんたちが数名いて、皆さま男性。
正直『あ、これ負け戦かも、私異性と話すの一番苦手やんけ』とかつて受けたセクハラの類が走馬灯のように流れ、血の気が引いた。でもありがたいことに皆様とても紳士で、その心配はすぐ消えた。何なら当時のオーナー・きりさんが、初手で私のことを『本当は苛烈な人』と見抜いてくれた時に、この場所は安心できる場所だと確信した。そしてあの日はとても楽しかった。ひとえにご一緒してくださった皆様のお陰。
結果私はエデ横が大好きになり、挙句昨秋にまさか自主企画「ちょっとしたパーティー」を開催するに至るまでになるとは想像もつかなかった。
そこからDonuts.のやすき編集長やDonuts.部員の皆と知り合い、友達の友達が増え、仲良くなって出かける…みたいなことが色々あった。その時間の一つ一つがどれもかけがえなくて、常に心に纏い続けている重たい鎧を脱げる瞬間だった。夫とのあれこれで傷付きボロボロになった時も(これは現在進行形だけど)、本当に温かい言葉だったり、言わずともそっと見守ってくれる人たちがいると分かっただけでも私にとっては大きな救いになってる。35歳は辛かったけど、人の優しさを知った一年でもあった。
誕生日を祝えること
大切な人たちを何人も見送っていると、誕生日を祝えることってすごく貴重なことだと痛感する。世間一般では「また歳を取ってしまった」なんて老いへの憂いばかり聞くけれど、それは本来とても贅沢なこと。生まれることも出来ずに亡くなる命もあるのだから。だから明日の誕生日が私にとっていつもとは違う種類の幸せな日になるといいな。そのためにいつもと違う選択をする。
最後に35歳の私へ。「いつ倒れてもおかしくないほどの苦痛」と主治医に悲しいお墨付きをもらう状態にも関わらず、ずっと辛いことから逃げずに戦ってくれたこと、本当はとても弱いけど、それでも強く在ろうとしてくれてありがとう。折しも今年は巳年で私は年女。蛇のように脱皮して生まれ変わろうね。そのために36歳の私は頑張ります。