〈musabi〉の米粉パン 神奈川県横浜市、能見台。 横須賀に住んでいると、近いようでなかなか訪れる機会のない街だ。タイミーのアルバイトで隣の京急富岡駅にはよく通ったが、能見台駅に降りたことは数えるほどしかない。 今日、私は米粉パンを求めて、久しぶりにこの地に降り立った。 私が住む横須賀市富士見町の地形は「谷戸(やと)」と呼ばれる。これは山間の侵食谷を指す東日本特有の呼称であり、そこで生まれ育った人々にとっては、アイデンティティの一部となるほど固有の空気が漂う場所だ。能見台のあたりでは、この地形を「谷津(やつ)」と呼ぶらしい。 かつてこの地は、東京湾に対し断崖絶壁でそそり立つ景勝地であった。平安時代の宮廷絵師・巨勢金岡が、ここから見える海のあまりの美しさにのけぞり、描くことを諦めて筆を投げたという伝説から、擲筆山の名も残されている。 1944年5月、太平洋戦争末期。現在の能見台駅の前身である「谷津坂駅」が開業した。当時、人家はなかったが、駅西部の軍需工場へ通う人々のために駅ができ、開拓が始まったという。 やがて街は變化し、かつての静寂な景色は広大な住宅地へと姿を変えた。駅の開業から約80年が経った2025年の冬。かつての人々と同じように、私もまた、仕事や生活の営みを抱えてこの辺りを歩いている。 駅を出ると、左手に大きなスーパーと、高低差のある地形が目に飛び込んでくる。ほとんど坂道だ。二年ほど前、金沢区の税務署へアルバイトに通った際、この坂を登った記憶が蘇る。 正面の坂をまっすぐ登っていくと、白い壁の店〈musabi〉が見えてきた。 2022年4月、パンデミックの後に開業した、九州産米粉を100%使用するパン屋さんだ。おにぎりも扱っているという。 店内はシンプルながら洗練されたレイアウト。サンドイッチの連載をはじめてわかったのだが、人気のパン屋さんは夕方にはほとんど商品が売り切れている。目指していくなら、午前中がいいだろう。 米粉パンハーフ 価格覚えておらず ほとんど商品がなかったので、米粉パンのハーフを買い、自分でサンドイッチをつくることにした。レジには温柔そうな女性がいて、対応してくれた。やすきの話を聞いてくれて、それだけでたのしかった。やさしいお店は、優しい人がやっている。その人と出会えて、来てよかったなあと、思えるくらいに。 家に帰り、米粉パンでぬか漬けのと味噌のサンドイッチをつくってみた。 美味しい。自然な甘みがある。 米粉ゆえにお米を食べているような感覚もあり、同じ発酵食品である味噌やぬか漬けともよく合う。パンは奥が深い。そこには、作り手の思想が如実に表現されている気がする。 どうせ食べるなら、こういう優しい人が作るものを食べて生きていきたい。そう思った。 むすびつくこと 〈みのり屋〉のごぼうサンド 〈nephew〉の生ハムサンドイッチ 〈前門飯店〉の餃子 〈farbiger Alltag〉のロッゲン HOME