『私はなぜ書くのか』 マルグリッド・デュラス マルグリット・デュラス(1914–1996)はベトナムに生まれたフランス人女性の小説家。牡羊座。 自伝的な小説『愛人(L’Amant)』が1984年に発表されると、その名は一躍世界に知られ、代表作となった。その後も小説にとどまらず、映画や戯曲など多くの作品を発表している。多作な作家といえよう。 仕事終わりに、追浜の図書館に立ち寄ると、この本とたまたま目が合った。すこし頁を繰ればユルスナールを批判しているデュラスの言が見えて、そのまま借りることにした。ユルスナールは、その文章のうまさから、やすきが尊敬する作家だった。 本書はイタリア人記者であるレオポルディーナが1987年にデュラスをインタビューし、「ラ・スタンパ」紙に掲載されたもの。 気難しいデュラスを説き伏せることからはじまり、パリのアパルトマンの、原稿や物がぎっしり置かれた彼女の寝室まで向かうことになる。 本書は、デュラスが持つ、うっとりと聞き惚れたくなるような声から語られる、彼女の半生が収録されている。 やすきはデュラスの存在を知らなかったが、ユルスナールをディスっていることが気に掛かり、読むことにした。愛人をはじめとする、作品も目にしたことがない。 だが、受け答えから迸る彼女の知性、乾いた価値観、喪失を拠点とする壮絶な人生に、惹かれた。即興で、ここまで知的に、ブレることなく言葉を紡ぐことができるのか。かといって論理的になりすぎず、芸術、哲学、文学、政治、倫理、愛について淡々とした語り口に、頁を繰る手が止まらなかった。 喪失からはじまる人生 デュラスはサイゴンから数キロ離れたザーディン省にて生まれた。禁忌と神秘が重くのしかかった森が原風景で、その印象が彼女のエクリチュールに影響している。雨、ジャスミン、肉の臭い。 貧困の中で育ったデュラスは、兄との近親相姦、それによる愛憎、中国人の愛人、父の喪失、母との距離、そういったものに取り囲まれて育った。 非常に困難で、どろどろとした10代だった。数学の教師として働いて父は早くに亡くなった。彼女の作品は、父への手紙だと話す。 本書を通して感じたのは、彼女の人生が、まるで蠍座を象徴するかのようだということだった。アルコール依存にも苦しみ、極端で過酷な人生だったと言える。だからこそ、彼女は書くことができたのだろう。いや、書かざるを得なかったのだ。 やすきはそういった世界は苦手なのだが、ドライで、感情に浸らない言葉が、妙に肌に合った。同じフランス人女性のエレン・フライスを思わせるトーンだった。知に生きるフランス人女性は、乾いて、すこし捻くれてしまうのだろうか。 ユルスナールだけでなく、サルトル、カミュ、ゴダール、ロラン・バルト、ロブ=グリエ。錚々たる面々が彼女の口から語られる。文学、哲学、批評、映画──各分野で歴史的な功績を残した人物ばかりだ。この時代のフランス文化は、確かに花開いていた。今では神格化されている彼らを、デュラスが辛辣に批判する様子もおもしろい。 書き言葉のような表現を、どうしてこうも話しながら思いつけるのだろう。デュラスのように話せるようになりたい。 そう考えると同時に、彼女の拭えない喪失感に同情するものがあった。作家としての成功とは別に、人生において、自分が存在しないと思える晩年というのも辛いだろう。 『私はなぜ書くのか』 マルグリッド・デュラス、レオポルディーナ・パッロッタ・デュラ・トッレ、ルネ・ド・セカッティ(註釈)、北代美和子(訳) / 河出書房新社 2014年 2200円(税別) むすびつくこと 『アフリカ哲学全史 』/ 河野哲也 室生犀星による高村光太郎の回想 HOME