やすき編集長の店〈hatis Ao〉にて開催された藪木七海さんの個展「永遠ばかりの箱庭」を拝見いたしました。
本当は平日に行く予定が、連日の空梅雨と暑さに例年より早く夏バテにやられ、残されたチャンスが最終日だけになってしまった。奇しくもその日は今年1月に逝去した我が父の追善供養の日。夕方に法要が終わり、「このタイミングを逃したらもう同じ展示は見れない」のが分かっていたし、藪木さんご本人が在廊しているからこそ行きたくて、家族を説得し横須賀へ向かった。
展示についての経緯は編集長が執筆したこちらの記事をご覧いただければと思います。
死、とは
今回の展示のキッカケが藪木さんの好きなアーティストが亡くなり、「悲しみかたがわからなかった」から短歌を書いたというのをお聞きした私は、ご本人にお伺いしたいことが一つあった。
それは『死とは何だと思いますか?』ということ。
この問いかけをした理由は、私自身の考える『死の定義』以外にどんな考えがあるのかを知りたかったから。
どんな答えが返ってきても否定する気はなかった。
藪木さんの答えを私が勝手にここに掲載するのは憚られるので割愛させていただきますが、私個人の見解だけ述べると『死は無である』と考えているし、それは揺るがない。
以下にその考えに至った理由を書く。

命が尽きる瞬間
数年前、私は自然流産をした。妊娠は二度目で、今度こそはお腹の中に宿った赤ちゃんを守ろうとすごく慎重に過ごしていた。でも妊娠が分かった直後のGWに不正出血が起こった。今産科はとても減っていて、私が初期の妊婦健診を受けていたクリニックも休日は当然診療しておらず(なので今3歳の息子の妊娠が分かった時は初めから24時間対応で産科医がいるクリニックを受診した経緯がある)、横浜市が提供している救急にかかるべきか相談窓口に電話したものの、大量出血が無いならば様子を見てくださいの答えで、なす術がなかった。
不安を拭いされないまま何とかGWを乗り切り、かかりつけ医で診察を受けた時は微弱ながらも心拍は確認できた。ただ不正出血があったこともあり通常よりも1週間早く次の診察に来るようにと言われ帰宅。そして忘れもしない5月13日、わたしは激痛と自分の出血による血の海を見た。
「どうかこの子の命だけは助けて」と同時に「ああ、これは流れていくのを止められない」と悟ってしまったふたりの私がいた。
出血のことを伝えて朝一番に産婦人科に駆け込んだが、もうエコーには赤ちゃんはおらず、子宮の中にはその残滓のみが映っていた。そのまま流産の処置をし、「赤ちゃんの一部だったもの」は稀に悪性腫瘍の場合があるとのことで生検に回る。私は「骨でも何でも良いので、私の手元に赤ちゃんは帰ってきますか?」と尋ねたが先生は答えを濁した。
生検の結果は異常なしで、流産の原因は「遺伝子異常」。現代医学でも説明できないこと、両親ともに健康であっても10人中4人は自然流産するし、最初から生まれないことが決まっている赤ちゃんがいるのをその日私は初めて知った。その話をする先生はとても悲しそうで辛そうだった。きっと今までたくさんの救えなかった命を見ているからだろうと思うと胸が痛んだ。そして私の赤ちゃんは体の一部を一つも遺さず、そしてどこに埋葬されたのか、そもそもちゃんと埋葬されたのかすらも今も分からないまま。
そのときに私は「肉体的な死は無である」「弔いは遺された人間が故人を想うための儀式でもあるが、遺族のための儀式という性格の方が強い」と強く思った。それが私の死生観。
もしも
神様がいるのなら、どうして無垢なあの子を救ってくれなかったのか。信じる者しか救わないのか、と恨んだりもした。
でもそもそも私は「神様がいたとして、人間の世界に介入するような存在ではない」と考えている。思い返せば自分の幸せを神頼みしたこと、一度もない。強いて言えば大切な存在…ここで言うと我が子たちや、無垢な存在、もう二度と会えない大切な人、そして今苦しんでいる人たちがどうか穏やかに過ごせるようにだけを唯一祈っている。