2025年6月20日から29日の9日間、藪木七海さんによる写真と短歌展「永遠ばかりの箱庭」が開催された。
展示までの経緯を綴る。
藪木さんとの出会いは7年前に遡る。岡山県津山市のアートギャラリー〈PORT ART&DESIGN TSUYAMA〉で、やすきはスタッフとして働いていた。Portは立ち上がったばかりで、航路を定めようと、関わる人みんなが右往左往としていた。なにしろ、スタッフのほとんどが現代美術に明るい、とは言えなかった。
コーヒースタンドも併設されていて、飲食関係者はいた。〈水路珈琲〉のシロくんに、やすきは珈琲の手解きをしてもらった。
PORTは本館と別館があり、別館での初めての展示が、藪木さんの写真展。当時、藪木さんはまだ学生だった。
その頃も、最新鋭のカメラではなく、被写体はあったものの、線が曖昧で、抽象的な写真を撮っていた。きゅうさんが藪木さんの写真を「絵みたい」と言っていたが、その感覚は最初から一貫してあったと思う。
縁が重なり

その後、やすきはPORTから独立し、津山で〈hatis 360°〉という店を開いた。そのことを知らずに、藪木さんは突如に店を訪れた。当時、属していた劇団のフライヤーを配りにきたのだった。
結局、その演劇はコロナの蔓延により中止されることになる。その代わり、藪木さんはhatisで写真の展示をした。冬の寒い夜、みんなで集まり、朗読劇もしてくれた。
展示が終わった後、藪木さんは東京へ旅立った。やすきが神奈川に拠を移す1年前のことだ。
やすきが横須賀に移り、〈hatis AO〉を開いてからしばらくして、藪木さんから連絡があった。半年前ほどのことで、展示会をさせてという内容だった。
6月の終わりがけ、ようやく展示がはじまった。
展示中、藪木さんは幾度も東京から横須賀へ足を運んでくれた。集客に苦戦して、申し訳なかったが、それはそれで、常連さんたちとだらだらと話す時間が、白昼夢のように通り過ぎて、素晴らしい時間だった。hatisっぽい。
藪木さんの友人も千葉から、埼玉からわざわざ横須賀を訪れてくれて、hatisのお客さんと交わることもあった。横須賀に人を呼べて嬉しかった。
津山から始まった縁が、横須賀を中心に水紋のように広がっていく。アートだからこそ、できること。
好きなアーティストの死。「悲しみかたがわからなかった」藪木さんは、短歌をつくることにした。
展示のテーマにあった死について、最終日にきてくれたミカさんは特に話し合っていた。お父さんの法要の日に寄ってくれた。
やすきも、横須賀に移住した大元は、父と祖母の死がある。
今回の展示に、膝をついて見入るお客さんが何人かいて、ああ、なにか受け取ってくれたんだな、と感じた。死がきっかけで、生まれるなにか。
言葉を尽くすより、一枚の写真をSNSにあげることによって、気持ちが伝わることもある。藪木さんとそう話した。hatisを訪れてくれて人が、藪木さんの写真と短歌に触れたことによって、なにか変わったことを切に願う。
