椎名林檎『正しい街』にまつわる追憶

父が亡くなったことで家庭環境が一変し、一年前には想像すらしていなかった渦中に私は居る。特にこの2ヶ月は慣れない事務手続きに追われ、選択と決断の連続で「これを波乱と呼ばずに何と呼ぶ?」と一人突っ込みながらも、荒波の中をもがいて進む状況はしばらく続きそう。

春は世間的にも卒業/入学、出会いと別れの季節なのは間違いなく、息子の進級に関する書類を書いているときにそれを強く意識させられた。新学期は何歳になっても慣れないし苦手だ。その折にふと18歳の私が故郷・横浜を離れ輪島へ発つ時の心境を思い出してしまった。この気持ちを執筆するのには椎名林檎(以下親しみを込めて林檎ちゃんと書きます)の曲『正しい街』無しには語れない。

2008年、4月

母校では今まで、石川県の大学に進学した人は誰もおらず、しかも私の進学先は「文化庁による人間国宝の技術を継承し養成する機関」という目的のもとに設立された場所なので厳密にいうと学校ではなく「国の機関」という立ち位置の方が近い。それもだけど、もっと単純に言えば「漆がやりたいから石川県の輪島に行きます」という生徒は私以外誰一人いなかった。

その結果、進学先の入試は高校卒業後の3月13日だったから、私だけ宙ぶらりんな状態で卒業をした。当時付き合っていた恋人には大層な不安と心配をさせた。とはいえ合格したら遠距離恋愛、落ちても翌年再受験すると決めてたから『私が横浜に留まる選択肢』を彼に一切与えなかった。

結論、私は石川県輪島市にある〈石川県立輪島漆芸技術研修所〉に合格し、晴れて漆の道への一歩を踏み出すことが出来た。
それは同時に彼とは離れ離れになることが確定した瞬間でもあった。

誰かに恋をしている自分が嫌い

旅立ちの日に私の母と彼が羽田空港までは見送りに来てくれた記憶はうっすらある。でもそれ以上に鮮明に覚えているのは林檎ちゃんの『正しい街』をiPod miniで聴きながらフライト時間を過ごしたこと。この曲自体が林檎ちゃんが18歳の時にデビューのために故郷・福岡から上京する際に、当時の彼氏に別れを告げた実体験を元に生まれたもので、輪島で漆の道を極めるために彼と離れることを決めた私の状態にダブって聴こえた。保安検査場では泣かなかったけれど、見送りがいなくなった飛行機の中で独りひっそり泣いた。私の瑣末な感情で母と彼を心配させたくなかった。

最終的に私の恋は、私が漆の道を選んだことが元で破局した。

幼い私は離れていても想い合えると思っていた。でも私たちの現実はそうではなかった。会えない時間が増えたことで当然すれ違いが生まれ、私は私で『色恋なんかで漆辞めますだなんて口が裂けても言えないし、言いたくなかった』し、そんな生ぬるい覚悟ならそもそも輪島に一人で行くことを選ばない。実際この道に入るまで沢山の大人たちや家族に言葉に尽くせないほど本当にお世話になった。その人たちの恩に報いたかった。

ただ私にも問題があった。私は恋をするとその人しか目に入らない。浮気だとかの問題が起きない限り、一度好きになったらその熱がずっと下がらない。そしてその状態を私自身が理性で制御することが出来ない。まず顔に出る。次に一緒に過ごす時間が欲しいと思ってしまう。そんな独り占めみたいなことダメなのにどうしてもその感情が消せない。だから私は恋をしている自分が嫌いだし、もっと言うと正直制御不能になる自分が怖い。

なので彼から別れ話を切り出されたとき理由なんか聞かなきゃ良かったのに、返ってきた答えは「重いんだよ」だった。彼が求めていた”女の子”は、寂しくなって自分の元へ帰ってきてくれるか弱さと、上手く甘えたり甘えさせてくれる普通の女の子だったんだよね。

自分の選択に後悔はないけれど、歌詞の一節『あの日飛び出した 此の街と君が正しかったのにね』と思ってしまう瞬間は今でも時々ある。もし別の道を選んでいたら私は可愛い女の子になれたのかなって。