風光のエクリチュール / ep.1『没頭』

エッセイを書くことにした。今までは、やすき自身の身の回りに起こったことを処理するために文章を書いて、幸運にも、それが波状に伝わっていった。

これからは、未来がこうなったらいい、という展望、考え、物の見方。あるいは、横須賀のこと、つながりを伝えていく。Donuts.編集部員もこの形式が好きだしね。

店を開いてから、文章に向き合う時間が苦痛になっていた。そうではなく、楽しみながら書いていこうと思う。やすきは言葉の人なので、人生を言葉を捧ぐ。

没頭する

寒肌の朝。いつものように富士見町は静かで、澄んだ空気が流れている。昨夜は風が強かった。ごうごうと、家屋を鳴らしていた。夜が明けると、風は止んで、光が木々を照らしていく。

県立大学駅から電車に乗る。通勤で、朝から電車は満杯だ。アプリを立ち上げ、Xのタイムラインを眺める。電車に乗車している人も、ほとんどがスマホを覗き込んでいる。まるで、催眠術にかかってるようだ。

タイムラインには様々な人の思い悩み苦しみが、140字以内に制限され、表現され、流れ続けている。仕事のこと、家族、人間関係、人によって様々。この日常の土石流から、社会の全体像を覗くこともできるだろう。

これが好き、楽しかった、ということを見かけることが少ない。フォローしているの性分によるだろうが、全体的にネガティブなものが多い。

致し方がないことだろう。与党は帳簿をごまかし、懐を潤わせさせている。党首が変われど、国民の暮らし向きが良くなっているわけではない。政府に対する不満、生活への不安が、他者への攻撃性に転化されている。

原理原則に立ち戻ると、自分が誰かに与えたことが、自分に返ってくる。誰かを愛せば、愛が自分に帰ってくるし、批判は自分に戻る。誰かを通じて攻撃することは、自分を攻撃することと変わらない。

タイムラインを見ていても、自分を責めている人は延々、自分を責め続けていることに気づく。意識の向きが固定されているからだ。どの人が何に意識を集中させているか。観察しているとわかる。

人間の心は、ある一点に向かっていく、という性質を持っているのだろう。スポーツ選手でも、勝利という点に集中する。勝利に向かうコンセントレーションが、ドラマをつくっていく。創作もそうだし、翻ると日々の仕事も。集中をすることによって、人は何かを成し遂げていく。

コロナの時期。この先どうなるかわからない不安を煽り立てたテレビなどのメディアが儲かっていた。

実際、長引く不況で治安が悪くなっているという側面もあるが、バッドなニュースを普段から目にしていると、健全な精神の運行さえ阻まれる。人は関わるものに影響を受ける。

目線を変えてみよう。スマホから目を離して、空を見上げてみると、どこまでも澄んだ空が広がっている。横須賀であれば、自然があり、光に照らされた枝葉を見ると、人生の美しさを感じずにはいられない。

意識の向き

意識して目にするものを変えれば、精神の向きも変わってくるはずだ。

やすきも、自分に目を向けることを忘れていた。hatisの売上が落ちると、外にばかりに出かけて、店の充実をはからなかった。今までも、自分に目を背け、逃げていた。

そうすると人目ばかり気になるようになる。攻撃されたくないから、人を批判する。自分は変化しない。いつまで経っても抜け出せない悪循環に陥る。

人のことが気になるのは、自分が自分の人生に集中できていないから。目の前のことに没頭すれば、人生は楽しくなってくる。

近頃は会う人会う人と延々、商売の話ばかりしていて、ああだこうだ言ってる内に、料理のアイデアも湧いてくる。やりたいことにフォーカスしていれば、目にする情報も変わってくる。

世間も見なければいけないが、操作された上辺の情報だけではなく、意図や本質にも気づかなければいけない。学ぶとしたら、インターネットよりも、書物の方がいい。

田舎にいたとき。ひたすらテレビと他人の話ばかりする習慣に辟易していた。しかし、そうなるように社会の大勢に仕向けられているから(その方が儲かるので)、お互いに気をつけていきましょう。

今でいうと、youtubeをはじめとする、インフルエンサーも。不安や怒りを煽ることで懐を温かくしている人たちに時間とお金を奪われないようにしましょう。海外でSNSの年齢制限が始まっているが、そうすべきだ。断絶を生む作用が大きすぎる。ほとんどの人が誤った使い方をしている。好き、心地いいを発信して行ったほうがいい。