2024年11月5日〜11月7日、岩手県へ二泊三日の一人旅へ行ってきた。
旅に出たきっかけは前回投稿した記事の通り。
出発
旅の初日。東京駅発「やまびこ」の始発列車に飛び乗った。400km超の距離が2時間半で一ノ関駅に着くことを予約してから私は初めて知った。それまで平泉はずっと遠くに存在する桃源郷のような場所だと思っていたからこそ、こんなにも『近い』ことに正直驚いた。
結局私が行けないと思い込んでいただけで、タイミングと余裕が揃いさえすればいつでも行けたのだ。
寝る間もなくあっという間に一ノ関駅に着き、宿へ荷物を預け、ダッシュで東北本線に飛び乗る。
何せ一時間に一本あるか/ないかの電車なので、どうしても逃すわけにはいかなかった。
ダッシュの甲斐あり、無事目的の電車に乗ることに成功し初日の目的地〈中尊寺〉へ向かった。一ノ関駅から平泉駅までは電車で約10分ほど。その先は目的地までバスやタクシーに乗るか、レンタサイクルか、徒歩かのどれかを選ぶことになる。
幸い然程寒くもなく晴れ間が覗いていたことと、道中に種々様々な遺構もあったので私は約30分歩くことにした。歩くのは好き。自分のペースで止まったり早めたりができるし、心の赴くまま進めるから。
余談だが、私が輪島に住んでいた頃は北陸新幹線開通前で、陸路で輪島から横浜へ帰るときはバスなら10時間、電車なら金沢から一度越後湯沢駅で乗り換えをせねばならず5時間超はかかっていたため、そこと比べると片道5時間以内で行けるところは感覚的に近く感じる。初めてタイへ行った際も、約5時間のフライトで着いたので『海外なのに輪島より近いじゃん』と思ってしまった。
ちなみに輪島は、行けるタイミングになったら行く。住んでる先輩が「来て欲しいタイミングになったら呼ぶから!」と仰っていたので、その気持ちを尊重し、待つことにしてる。
夢の中へ

〈中尊寺〉に着いた。
目的の本堂および〈金色堂〉は山の頂上付近にあるため「月見坂」と呼ばれる坂を登る必要があった。
この坂が急で、しかも砂利道だったので滑りやすくまあまあ歩きづらかった。ただそれ以外に本堂へ行く手段はないのでただひたすらに上を目指す。

今回の旅の目的は「亡き祖母の足跡を辿る」でもあったので、この坂を登っている間、祖母のことを思い出していた。
私の記憶の中の祖母は足腰が弱り腰も曲がっていたので『おばあちゃんもこの坂を登ったんだよな。足辛くなかったのかな。』と心配をした。今更心配しても祖母はもうこの世のどこにもいないのに。
それともずっと行きたかったという中尊寺に着いてワクワクしながら登ったのだろうか。もしそうならばうれしい、そう思った。そんなことを考えながらこの先の景色を想像した。

邂逅
※わたくしミカはご本尊やご神体を撮るのを良しとしておりません。畏れ多いのが一番大きな理由ですが、寺社仏閣は静かに祈りを捧げる場所と考えているためです。したがって本堂内部は撮影していません。悪しからず。

無心でひたすら頂上を目指したのでどのくらい時間が経ったのか分からなかったが、それは突如として眼前に現れた。
奥州藤原氏初代清衡公が建立した中尊寺の本堂。
図らずも今年は建立してちょうど900年に当たるのを本堂に入って知る。
中にはご本尊である如来さまがいらっしゃった。
目が合った瞬間、いや、本堂に入った瞬間から思わず膝を付き手を合わせずにはいられなかった。
多分5分か10分くらい茫然としながらただただ静かに祈り続けた。時折ご本尊と目を合わせて、会話をしているようなそんな感覚が近い。
この感情は今まで生きてきて初めて味わうものだった。ネガティブ由来でもポジティブでもない。
神様や仏様はいるかもしれない。でもいたとして人間の世界に介入するほど暇じゃない存在だと思っているタイプだったので、旅から帰ってきて一週間経った今も未だにこの気持ちを咀嚼しきれないでいる。
この気持ちの正体を知りたくて帰宅してから数人に訊ねたのですが、「もしかしたら人間が本来本能的に持っているプリミティブ(原始的)な感情なのかもね」と言われたのが今のところ一番しっくり来ている。
あとは完全に後付けなのだが、祖母との思い出を辿るキッカケをくださってありがとうございます、とかもあるかもしれない。
ただいずれにせよ私にとってすごく大切な感情の一つなのは間違いなく、言葉に当てはまるのが野暮なような気もするし、大切すぎて「伝えるけど誰にも渡したくない」からこそ敢えて言葉にしたくない節もあるかな…。
とにかくこんな気持ちになったのは初めてだった。


前半②「中尊寺金色堂と高館義経堂編」へ続く。