なぜ紅茶屋がコーヒーフェスの手伝いをするのか

僕ことスミーは、<TeaCross>という紅茶専門店を開いた。
その前から2年程度、茶道楽として<エデン横浜>でイベントをさせてもらっている。
生粋の紅茶党だ。珈琲はたまに、<No.13>の野口さんに会いに行ったときに飲んだりする程度だ。

そんな僕は11/2~4開かれる<横須賀コーヒーフェス>でボランティアスタッフとして参加する。
わざわざ自分の店を閉めてまで。
おかしい、と思う人もいるだろう。僕もまあ変だとは思う。
なんでか、というのを「恩人の付き合いだ」と言ってしまうのは簡単だが、実のところ「コーヒーフェス」というイベントは、「僕が紅茶を淹れる理由」に通じるのだ。
今回はその話をしようと思う。

なぜスミーは紅茶を飲むのか

食べログ <ムレスナティー代々木上原>より引用

僕は紅茶が好きだ。とりわけ、イベント等で飲み比べをするのが好きだ。
一番最初に紅茶を知ったのは<ムレスナティー 代々木上原>だったが、一人で1時間半粘ってフレーバーティーを10杯飲んで楽しさに目覚めた。周りは奥様方やカップルが談話しているのに、一人でカウンターで紅茶のフレーバーメモを取っていた。最終的にお店に名前を覚えられるに至った程度には、変だ。
逆に、家では実はあまり紅茶を飲まない。抽出の研究をしたいときや、パックで買った茶葉のテイスティングをするときは別だが、そうでない限り朝に必ず1杯飲む程度だ。

飲み比べという遊びは、紅茶に出会う前からよくやっていた。
一時期小田原に住んでいたのだが、駅前にあった「神奈川の地酒を全部そろえている」と謳っているおでん屋に毎月通い、レギュラーメニューは全種類制覇した。
他にもバーでラム・ウイスキーを色々飲ませてもらったり、クラフトビール好きの知り合いに、クラフトビールを飲ませてもらったりもした。
「飲み比べ」という遊びをするために紅茶を使っている、という表現が正しいと思っている。

飲み比べをすると、「こっちのほうが好き」「こっちはあまり口に合わない」というものが出てくる。
最初はフィーリングでしかないが、そのうち「なんで自分はこれが好きなのだろう」という問いが自然と浮かぶ。
もちろん、その答えはすぐ出るものではない。飲めば飲むほど答えが変わることだってある。
それでも答えを探ろうとすると、自然と味覚・嗅覚が研ぎ澄まされていく。
それこそが飲み比べをする意味だと、僕は思う。

飲み比べをすると何が起きるか

お店が自信を持って打ち出している、ハイクオリティのものを飲み比べる。きっと自分の好きなものと、そうでないものの差というのは微細になる。
微細な違いを感じるために、集中して、自分の味覚・嗅覚を研ぎ澄ませる。
その姿勢というのは、何もグルメのためだけにあるわけではない。

友人と遊んでいるときに、ふと感じる違和感。
仕事をしているときに、ふと感じる違和感。
そういったものに気づかず(あるいは意図的に)無視していると、知らず知らずのうちに無理がたまっていく。
その無理はいつか決壊するかもしれない。少なくとも僕は何度も決壊し、学校に通えなくなったり働けなくなったりした。

飲み比べをする前は、なんで自分が駄目になったのかわからなかった。やらなければならないことは、眼の前にたんまりあるのに、それが解決されていないことが理解不能だった。(視点がぐちゃぐちゃで、すごく変な日本語だと思う。けれど、確かに僕はそう思っていた。)
僕は感覚を封じ込めて、論理的最適を求めて動きがちだったのだ。

飲み比べをして、感覚に集中していくうちに、今まで無視していた違和感というものが無視できなくなっていった。
システム開発という仕事に思っていたこと。
チームで開発するときに思っていたこと。
友人との付き合いで思っていたこと。
そういったことを、相手に言うかどうかは別として、自分の中で整理をつけずにはいられなくなった。
温泉に日がな一日籠もり、考え事に飽きるまで考え尽くしたことも何度もあった。
一つひとつをリフレインし、分類し、解析し、他人に話せるまで理解しようとしていた。(単純に、「他人にわかりやすく説明する」ために考えるのが好きなのだ。)

そのうちに、自分だけが我慢しても何も改善できないな、ということに気づいた。
相手と建設的に話をしたい、という姿勢を取ることを前提に、自分から見えたこと、自分が思ったことを口に出すのが大切だと学んだ。
そして同時に、相手が何を感じたのかも尊重するのが大事だと思った。

他人は自分の鏡だと言うが、きっと僕は紅茶や日本酒、ウイスキーやラムを通じて、「鏡を見つめる」練習をしていたのだろう。
飲み物は勝手には変質しない。それに対して、与えられた感覚を素直に受け止めて、自分もそれに対して感想を打ち返す。
そういうことが自分には必要だったのだろうと思う。

だから僕は、もしそういうのが必要な人がいるなら届けばいいな、と思って<TeaCross>を設計している。
もちろん、紅茶としてある程度美味しいものを出すのは大前提だ。だから、特に向かい合う気がない人が、ただ「全部美味しい」と思って帰っていくのも、それはそれでいい。
けれど、一口飲んでから小首を傾げるような仕草が見えると、緊張感と同時に嬉しさも込み上げてくる。
その違和感は、どこから来たのだろう。僕はその水先案内人になれるだろうか。ドキドキ・ワクワクの冒険の始まりだ。

こだわりのある人々

第一回横須賀コーヒーフェス参加者のみなさん。横須賀コーヒーフェス公式Twitterより転載。

話をコーヒーに戻そう。
スペシャリティコーヒーを出す人たちは、優しくて熱量のある人たちが多いと思う。
そうでなくては何十キロと生豆を仕入れては焙煎するような仕事はなかなか出来ない。
普段から主張するわけではないが、3種類ぐらい飲んでから丁寧に感想を伝えると、大体水を得た魚のように、「自分の好きなコーヒー」の話をしてくれる。

コーヒーフェスに参加する店舗さんたちは、大体自分の珈琲にこだわりを持っている。
彼らはきっと僕が紅茶でやったような言語化を、更に突き詰めてやっている。
だからこそ、「自分が感じたこと」と「相手が感じていること」の差をより明確に感じ取ることができるはずだ。
その差こそ、僕が<TeaCross>で届けたいものだ。
僕は紅茶を使うが、珈琲を淹れてくれる人がいるなら、珈琲を通じて感じ取るのもいい。

横須賀は決してアクセスがいい土地とは言えないだろう。
そこまでわざわざ来たのだから、「おいしかったね」で終わらせてほしくない。
香りなのか、舌触りなのか、味わいなのか、余韻なのか。あるいは全然違う、インスピレーションの話になるかもしれない。
なんでもいい、とにかく自分が気に入ったポイントを、言葉にしてみてほしい。
そうしたら、きっと帰る頃には少し自分のことがわかるようになっている。

そして、自分にとって大切なことがわかったのなら、それを大切にしてほしい。
あんまり大切でないことは、ぼちぼちやったらいい。
そうしたらきっと、人生が少し自分ごとになって、自分にとってよい方向に変えられるようになる。

僕は2日・3日にボランティアスタッフとして参加する。
葉っぱのネックレスを首から下げているボランティアスタッフがいたら、それはきっと僕だ。
もしこれを読んでいる人で、そういう人を見かけたら、ぜひ「今日飲んだ中で一番好きな珈琲」の話をしてみてほしい。
僕は決して珈琲の専門家などではないけれど、店舗さんの珈琲はまあまあ飲ませてもらうので、なんとなく話を聞くぐらいは出来ると思う。
お越しいただく皆さんにとって、「自分のこだわり」を見つけるいいきっかけになれば幸いだ。