茶の雪(ブラウン・スノウ)
飲み物ではなく、アクティビティとしての珈琲と紅茶を比較したとき、一番大きな違いはなにか。
僕はそれを、「加工過程の有無」にあると思う。加工過程を消費者側が握ることが出来るかどうか、という方が正確か。
珈琲は生豆を仕入れられる、なんなら生豆で輸入するのが主だが、紅茶はすでに紅茶となった後のものを買うことがほとんどだ。
我々は当たり前に、出来合いの茶葉で茶を淹れている。
では、紅茶はそのまま畑で収穫できるのか。そんなことはない。大雑把に言えば、発酵過程(これも、納豆やキムチなどの「発酵食品」の発酵とは違うので非常にややこしいのだが)と乾燥過程を経ないと紅茶はできない。
ではどこで紅茶を作っているのか。農家である。
細かい生産体制こそ異なれど、中国・インド・スリランカ・日本では、概ね農家(または農家と契約した者)が紅茶の加工を担っている。ケニアなどの新興産地でも同様だろう。
つまり、各農家は「茶工場」を自前で持っている、ということだ。機械も補助金が多少出るとはいえ、すべて自前で用意しなければならないという。とんでもない話である。
だがとんでもないのは出費だけではない。メンテナンスも当然自前でしなければならないのだ。

一日目は軽く畑と水俣市街を案内され、二日目に茶工場に通された。
何をしているかは、一瞬でわかった。
なぜならそこは、むせ返るようなアッサム系の茶の匂いが充満してたからである。
少しはたくだけで、茶と埃が入り交じったモノがひらひらと舞い降りる。
「ついこの間まで何十キロと生産してたんで結構すごいことになっていて。」
天野さんは平然と言うが、工場というものをクリーンなものだと思っていた人間にとっては軽いカルチャーショックがあるものだ。
天野さんが、タンクローリーのタンク部分のような形をした機械に手を触れながらこう言う。
「このままじゃ当然お茶なんて作れないので、掃除をしないといけません。壁から天井から機械から、全部掃き出してください。」
今回、茶道楽こそすれど茶の生産現場を知らず、卸レベルの買付が行えない僕が、農家で一週間お世話になって勉強させてもらう対価が、これだった。
なんというか、無謀とは言わないが、途方もない作業だと思った。フルリモート・デスクワーカーだった僕に、こんな作業をやりきれるのだろうか。でも、それでもやれる限りは尽くさないと、美味しいお茶はできない。しかもすでに対価は約束されている。やるしかないのだ。
だからせめてもの足掻きとして、僕は「それ」を一人で「茶の雪(ブラウン・スノウ)」と呼ぶことにした。何故ならこれから何日か、これに塗れることになるのだから。雪遊びしていることにすれば幾分か気分も紛れるだろう。
深淵を覗き込む

掃除一日目は、ひたすらに天井・壁をはたき、床にこんもりと積もった「茶の雪」を「除雪」することになった。とにかく量が多い。この日だけで10kgは除雪したはずだ。
柄を倍に伸ばした魔改造ホウキをひっくり返し、脚立に乗って背伸びしながら天井をはたくものだから、背筋を非常によく使った。作業直後から筋肉痛になった。
だが、結構やったと思ったのだ。思ったのだが、翌日からが本番だった。
それは、機械の裏に入り込んだ茶の雪を掃き出すために、エアダスターを片手に潜り込んだときだった。
工場の建屋は簡素な木の骨組みに、トタンとプラ板で屋根と壁を作った簡素なもので、木の骨組みが露出している。だから当然骨組みの上にも雪は降り積もり、僕はそれをホウキではらいながら作業をしていた。
それでふと、気になって壁と骨組みの間の隙間に、軽い気持ちでエアを当ててみたのだ。
その瞬間、視界は吹雪に見舞われた。
骨組みと壁の間に、大量に雪が詰まっていたのだ。
当然、本物の雪とは異なり、勝手に流れ出ることはない。これらも露見した以上、すべて掃き出す必要がある。
まずい、と思った。終わらないのではないか、と思った。
これを終わらせないと紅茶の加工ができない。僕は紅茶の加工の見学ができない。
だから終わらせないといけない、と思った。
けれどこれを見なかったことにして、品質が下がったら、天の紅茶の評価が下がり、もしかしたら来年には飲めなくなっているかもしれない。
だから終わらせることを最優先にしてはならない。
半ば恐慌状態になりながら、今まで掃除していた箇所もすべてエアを当てる。掃き出す。掃き出す。掃き出す。
何日かかるのだろう、どうやったら見積もれるのだろう、今までやった箇所の一箇所でも完璧といえる場所はあっただろうか、そもそも完璧とはどう定義するのだろうか。
ITエンジニアとしての経験で、脳内に計画表を展開し、作業計測と要件定義を並行して進めようとするが、「わからないことが多すぎる」という結論になってしまう。
天野さんに相談しようにも、来客対応が立て込んでおり、ほとんど相談できない。至急相談しないといけないか、と言われると、状態はそうそう悪化はしないからそうでもない。だからこそ、今声をかけられない。
きつい。きつい。終わりが見えない。二日目はその先に怯えながら作業を終えた。定時になると無理やり作業を切り上げられる、ホワイト農家だった。
二日目の夜、少し落ち着いてからゆっくりと現状を整理した。炎上しているときこそ、タバコ休憩のように無理矢理にでもチルを作らなければ身が持たない。それは僕や、会社の先輩が身を以て体験してきたことだった。
そもそもなぜ、「終わらせなければならない」のか。
天野さんからは特段納期の指定はなかった。当然、遅れれば遅れるだけ、加工を見る時間がなくなるのだが、それだけだ。
つまり、今の現状を「遅れ」と定義しているのは僕自身だ。
そして、「遅れ」は何にせよ受容しないと話が始まらない。
だからまず、僕は加工現場を見れない可能性があることを受容する羽目になった。
しょうがない。元の案件が大きすぎたのか、アサインメンバーのスキルが不足してたのか、その両方なのだ。炎上しないほうがおかしい。
その上で、僕は僕自身のために、この炎上を収束させたいと思った。
いつもの光景に、少し落ち着くことができた。戦闘モードになれた、というのが正しいか。
だからまずは、戦闘モードを維持しつつ、体力・気力切れにならないことを最優先に置くことにした。
食事は残さずちゃんと食べる。さらに腸内環境と筋肉を維持するために、ヨーグルトとプロテインは欠かさず摂る。
睡眠の質を守るために、サプリをしっかり飲む。
筋肉疲労をなるべく解消するために、朝起きたらラジオ体操をし、夜寝る前にはストレッチをする。
体力の回復のため、とにかく早く寝る。なにかしたかったら早く起きる、仮に起きれなかったら諦める。
作業中の集中力維持のため、Spotifyに音楽をダウンロードしておき、作業中は聞き続ける。
PC作業は体力の損耗が著しく低いため、徹夜でもなんでもして収束を図ることがある。
しかし茶の雪との戦いは体も使うので、一日無茶して二日駄目にするとダメージが大きい。
だから全精力を使おうとした結果、健康的な生活習慣が発生した。
やっぱりデスクワークって人間がやるものではないな、と思った。
祈りの姿勢
中一日、休みという名の交流会参加日があった(ここの話も大事なことを聞けたので、#3で書きたい)が、合わせて2日ほど、そんな生活で稼働した。
機械の中、歯車の間、モーターの隙間。ありとあらゆるところに茶の雪は潜み、そのたびに確認作業はやり直しになった。
けれど僕はそれに対してあまり焦りを覚えなくなった。

あまりにも遠大に見える目標が、僕の姿勢を変えた。
僕は「進捗を出す」ために作業をするのではなくなった。
ただ、万が一にも不良品が出ないように、それだけのことを意識し続けた。それ以外の意識は音楽と共に流し去るようになった。
色々なことを思い出していた、と思う。川から流れた後の水を海に探しに行くようなもので、あまり正確には辿れないのだけど。
かつて勤めていた会社で、「環境整備」という時間があり、ひたすら掃除をさせられたこと。
禅宗の修行では、寺で何年も寝泊まりし、毎日生活をやり続けたこと。
漢方の先生に「生活を組み立ててください、そしたら良くなる」と言われたこと。
昔仲良かった人に、「壁に向かって拝み、お題目を上げれば救われる」と言われ、試しにやったら確かに気分が軽くなったこと。
そしてお題目を差し替えてもあんまり効果が変わらず、気持ちが冷めたこと。
昔茶を飲んだ思い出。まずい茶葉にあたった思い出。同じディンブラでも全然味が違うものを飲んだ思い出。
茶葉乾燥機に茶葉を運ぶベルトコンベアが、なんだか家の近所にある教会とシルエットが似ているような気がする。
時間の感覚は消え失せ、僕の思考は収束していた。あるいは、トランスしていたかもしれない。
ともかくその意識の中で、「これは祈りだ」と思った。
お茶の神様がもしいるのであれば、何度も何度も掃除するのは、その神様に祈りを捧げるようなものだ、と思った。その様は禅宗の修行僧や、修道院の修道女達に重なるように思えた。
もともとは共同生活を営む上で、仕方なくやっていたことかもしれない。だがそこに「祈り」以上の意味を見出さず、そして徹底的にやることで、心を守ることができる。
時間軸の外側で、没頭することができる。
きっと、かつての僕にはこの祈りが足りていなかった。
システム開発という仕事は、少なくとも作業者として参画する分には祈る暇などなかった。計画に従って進行するように頭を使い、計画に乱れが生じれば対策する。その繰り返しだったから。
いつしか祈りを忘れ、生活が崩れ、身を持ち崩していたのだ。
台風の影響で早めに帰らなければならなくなった。予定より一週間早く帰ることになり、掃除は結局終わらなかった。
それでも機械周りは完璧と言っていいほど掃き出せ、残りは茶を運び込むコンテナ周りだけだった。

最終日、帰りの車に乗りながら、天野さんの奥さんと少し話をした。
「すみません、終わらせられなくて」
「いえいえ、こんなものですよ。いつも一週間じゃ終わらないんです。」
「……僕は力になれてましたか?」
「……普段だったら旦那がずっとやってて、畑見たりお客さん呼んだり出来ませんでしたから。」
「……それなら、よかったです」
品質こそわからないし、きっと天野さんは僕が帰ってからも掃除をしてたのだろうが。少なくとも、祈った甲斐はあったらしい。