昨年に引き続き、横須賀でレゲエフェス、ヨコスカレゲエバッシュが行われた。今年はさらに規模が膨らみ、2daysにわたっての開催で、出演アーティストのラインナップもさらに豪華になった。
やすきは2日とも参戦した。
いままさに、横須賀にあたらしいカルチャーが根付いている。そう確信するには充分なほどの濃密さ。
1日あたりの入場者数は20000人を越えたという。横須賀にここまで人が集まるのか、というインパクトがあった。
自分たちの周りでも、20人集めるのも大変だし、マグフェスで60人で大成功、スパイス祭で100人が来てかなり忙しかった、横須賀コーヒーフェスでさえ1000人だ。その20倍の集客ということを考えると、とんでもない。
愛に溢れ

9月22日、日曜日。16:00ごろ。やすきは富士見町から会場である三笠公園へ、歩いて向かっていた。横須賀中央の街中はそこまで賑わっていないが、三笠公園に近づくにつれ、低音が響いているのが聴こえてくる。
会場は、人に溢れていた。比較的に年齢層は高く、子供連れも多い。ドレット頭で、ヤーマン、ヤーマンと挨拶しているのを、そこら中で見かけた。10代〜20代の若い人もちらほらいる。「横須賀まで1時間かかったけど、体感はそこまで長くなかった」と話す若者たちは、横須賀にくるのは初めてだったのだろうか。
人をかき分け、ステージの近くまでいく。
やすきが見たアーティストたち。
YOYO-C、三木道三。同郷のJ-Lexxx。Chehon、Home Grown、Spinna B-ILL、Rudebwoy Face、Hun-Kun、Pushim。レゲエが門外漢のやすきでも驚くような、凄まじい面子だ。
そしてそれをまとめたRUEED。
横須賀出身のレゲエアーティスト。卍ラインこと窪塚洋介の実弟で、てんびん座の男。さわやかな魂の持主。
RUEEDはメインステージに常にいて、次に出演するアーティストの呼び込みを行なっていた。Abema TVが撮影に入っていて、大きなスクリーンからその表情が伺えた。
スポンサーになっている起業も去年より増えていたし、プレッシャーはさらに増していただろう。ヨコスカレゲエバッシュに、故郷の横須賀に対する熱い思いと、同時に、抱いていた不安の大きさも言葉の端々から読み取れた。
だからこそ、関わってくれた裏方のスタッフ、仲間たちに感謝もひとしおのはず。アーティストも、長年の活動がないと呼べないであろう面々だ。彼の人格から発生する徳が、このフェスを象っていた。

約20年前。やすきの地元である岡山県津山市に、ごんご祭りという地元の祭りがある。そこに三木道三が来たことがある。
同郷のJ-Lexxxも、それを見ていたはずだった。シークレットで呼んでいた紅桜もそうだ。


20年後。まさか横須賀で、その三木道三のあとにJ-Lexxxはぶちかましていた。さらに、ジャパニーズマゲニーズも呼び込んでの『最後の一本』は、アンセムになっていた。
三木道三の『Lifetime Respect』も、会場のみんながサビを歌っていた。レゲエの枠を越えて、だれもが知っている曲だ。壮大な一体感を味わうのは、初めての出来事だった。
Rudebwoy Faceはクールだったし、Chehonの人気は凄まじかった。
最後のラバダブは、これでもか、というくらいポジティブなエネルギーの波の連続で、お客さんみんな楽しそうに揺れて、声を上げていた。
RUEEDが最後に「たのしかった?」と呼びかけると、隣でお父さんに肩車をされていた男の子が「たのしかったよ!」と答えているのをみて、ああ、カルチャーとは世代を、時代を越えて、受け継がれていくものなのだな、と感じた。音楽に、カルチャーに、こんな力があったなんて。
ヨコスカレゲエバッシュは愛に溢れていた。最後に出てきたMIGHTY CROWNも、「横浜レゲエ祭が終わって、これからはヨコスカレゲエバッシュの時代だ」と言っていた。そう、時代を変えたのだ、RUEEDは。
スクリーンに映る彼の顔には涙も、愛も溢れていた。
「死ぬ気でやるんじゃない。ずっと生き続けるつもりで、死ぬまでやる」という彼の言葉に、覚悟があった。
