湘南移住記 第236話 『自由』

一本松展望園から山をくだり、県道397号を経て、〈キノシタショウテン〉へ。

山を抜けると、田園の風景が、目の前に広がった。民家よりも、田んぼのほうが多い。区画整理されているのか、オセロ盤のように、田んぼも民家も整然とならんでいる。田んぼの向こうには山が連なっている。

田んぼには、同じ種類の草を育てられていて、hiclyくんはその草をチャミスルだと言った。韓国のもののようだ。

朝の澄んだ空気と、霊妙な光に照らされ、ゴッホが南フランスのアルルを描いたような、純朴な絵のように見えた。自然の中に、命の真理が読み解けるのではないか。「芸術を理解したいなら、自然を愛せ」と言ったのは、ヘッセだったか、リルケだったか。

やすきにとっては、見慣れた景色のはずだったが、久しぶりに見ると新鮮に感じた。神奈川の東部には、このような田園の風景は見当たらない。もっと、建物と建物が密接で、圧迫感がある。

三浦市も畑や緑に溢れているが、瀬戸内の風景とはまた違う。自然の広大さが、もっと自由に伸びている。横浜生まれ育ちのhiclyくんとわかなちゃんの目には、どう映っているのだろうか。

しばらく走っていると、〈ハローズ〉という岡山ローカルのスーパーが出てきた。田舎の生命線。以前、津山から牛窓へ向かう途中、何回も目にした建物だ。ベージュの下地に、赤と緑でロゴが描かれている。 

5年前の過去と、現在が交錯していた。

津山で〈hatis 360°〉をしていたころ、仲間やパートナーに岡山や近隣の、いろんな場所に連れて行ってもらい、さまざまな生き方をしている人を知った。東京圏から移住して、農業に従事する人も多かった。

神戸時代。広告代理店やら家具の会社で、正社員、契約社員として働いたものの、転々としてしまい、うまくいかなかった。心身ともに病んでしまって、誰も俺を知らない場所へ行こう、と本気で思い込んだこともある。

店を始めて、多種多様な生き方を知った。教えてくれたのは他県からの移住者がほとんどだった。正社員にならなければいけない、という呪縛めいた価値観が崩れていった。視界が開けてきたとも言える。生き方の多様性を、生まれ故郷の岡山が教えてくれた。

やすきは今、横須賀で店をやっている。変わったことは、多様性を教えてくれた、移住者たちと、立場がおなじになったということだ。

キノシタショウテン

〈キノシタショウテン〉に到着した。店の前の駐車場に車を入れていると、店のスタッフさんが笑顔で案内してくれた。

ふたりとも夜通しの運転で疲れていただろうし、やすきもやすきで、頭がふらふらしていた。

店内は白を基調とした清潔感のある内装。盆明けの月曜の朝だというのに、ほぼ満席だった。予約をしないと入れないということだが、運良く待ちもなく入店できた。店内奥の、小上がりのある一室に通される。靴を脱いで、ローテーブルの席に座った。

隣はリザーブ席だった。やすきたちの入店後に、関西からきたとおぼしき女性3人組が席についた。岡山なのに、関西弁を話していたから見当がつく。

珈琲豆は、産地から直接買い付けしたもの。種類ごとに。生産者の顔のステッカーが貼り付けてある。
珍奇植物が飾られている。
クロックムッシュセット 1500円。珈琲付き。野菜もパンも地元のもの。

わかなちゃんはトーストセット、hiclyくんはBLTサンド、やすきはクロックムッシュをたのんだ。

頭がぼーっとしていたので、話の内容は覚えていないが、hiclyくんが言うこと言うこと全ておもしろくて、無双状態に入っていたのを覚えている。3人ともテンションが上がっていて、ちょっとおかしくなっていた。

出店後。またhiclyくんとわかなちゃんの言い争いがはじまった。hiclyくんのたのんだBLTサンドの件だ。BLTは2つあって、hiclyくんは2つに分けて食べたのだが、本来は1つにしてガブっと食べるものではないかと説がでてきた。

わかなちゃんは、hiclyくんが食べ方について大声で話していたので、おなじものを頼んでいた隣の関西女子3人組に聞こえて恥ずかしい、と怒っていた。やすきさん、どう思います?と問われ、

「食べ方は自由でいいんじゃないかな」

と、答えた。