【La Mort】(仏)-「死」または「死神」。またマルセイユタロットの13番目のカードでもある。英語では「Death」に相当する。
今、私は猛烈に悔しい。自分に対して強い憤りを感じている。
なぜならこの停滞した7年間を省みるほどに「あの時こうしていれば、今日目の前に来たチャンスを掴めたかもしれない。いや、掴みに行ってた」と腹が立っているからだ。
これは私の人生において今も治療中の抑うつ病との長い付き合いの記録である。
すべての始まり
7年前、私は当時付き合っていた恋人の子を身籠り、そしてその子は産まれる前に亡くなった。
その事実に元恋人は始め「結婚しよう」と言った。でも赤ちゃんが亡くなった直後、相手の態度が急変した。
私は我が子の父である元恋人とこの後悔や悲しみを、共に乗り越えたくて電話越しに涙ながら「ただただ悲しい。私がお母さんなのに、せっかく来てくれたのに守ってあげられなかった」と話した。
相手からの答えは「今、その話をされると落ち込むから止めて。そもそも君に子供を産ませたくなかったし、それに俺は親の死に目でもどんな時でも仕事をする。あと迷惑だから」で言葉を失った。
『この人に何を言っても無駄だ』と思い、事情を知っている僅かな友達に話を聞いてもらいつつ、何とかその月は生きながらえたが、今思えばそれがすべての始まりだった。
ちなみにその元恋人は数年前親族を亡くした際に仕事をブッチして音信不通になり、共通の知り合いの方から「連絡が取れないので住所を知っていませんか」と私のところに連絡が来た。
何が“俺は親の死に目でもどんな時でも仕事をする”だよ、できてねえじゃねえか。
その点、私は荒天と産休育休以外で漆の仕事を休んだことは一度もない。それこそあの子が亡くなった直後も。
動かない身体
毎日、もういない我が子のことを思い続けた。
『あの子を助けられなかったのに、なぜ私が生きているんだろう』『死ぬべきは私だった』という思考に支配され、始めは喉を通らなかっただけの食事も、そもそも食べる意味が見出せず自ら食を断った。
脳がまるでコンピューターウイルスに感染して思考を乗っ取られたような感覚になり死ぬこと以外考えられなくなった。その内「餓死せよ」と頭の中の誰かが私に言った。もう抵抗する力もなかったので、それに従い多分5日間くらいベッドの上で泣き続け食事を摂らなかったように思う。もう二度と目覚めたくなかった。或いはこれが悪い夢だったら良いのにと思いながら横たわっていた。そもそも動力源である栄養を摂ってないため、身体が石のように重く指先1mm動かすのもしんどく、声を出すなんてもっと困難だった。
でもふとした瞬間に本来の自分の思考が戻ってくる瞬間もあった。
そのときは確か「どうせ死ぬなら最期に美術館に行きたい。ウィリアム・モリス展がやっていたはず」と思い立ち、ふらふらの身体で道中死んでもいいやと思って出かけようとした。それが母に見つかり長姉に素早く「ミカがどこかへ行こうとしてる、このままじゃ危ないから付き添って」と命じた。
事情を知っている姉はすぐに私に同行してきた。うざったく思ったが母の悪い予感は的中する。
1週間ぶりの外気と電車の中に立ち込める人間の汗や香水や服といった生き物由来の臭さに酔った私は、途中駅でドアが開く瞬間「あ、吐く」と言って気を失いホームに向かって倒れた。素早く姉が支えてくれたらしく頭部外傷などは負わなかったが、30秒から1分ほど呼びかけに反応しなかったらしい。気付いたら駅のホームの椅子に座っていた。
「なんで食べないの!タイミングが悪かったら轢死してたよ!」姉は涙ながらに怒っていた。もうその時には「死」しか思い浮かばず、考えることもできなかった。
でも普段気が強くて、私たち妹を父の横暴から守ってくれてた姉が、目に涙を溜め込んでいるのを私は初めて見た。そして本当に愛しているなら、大事に思うなら、人は相手に対してこういう言葉と態度をかけるのだと知った。
同時に元恋人はその点において結局最後まで自己保身のことしか考えてなかったとも気付いた。でも今更気付いたところであの子の命は帰ってこない。
そしてやっと「自分の心が壊れた」ことを自覚し、精神科に行くことを決意した。
※1 この寄稿文は不定期に綴ります。
※2 精神疾患は気合いで治るものでもなく、弱いから罹患するものではありません。医療機関への受診をお勧めします。