だから私は爪を研ぐ

私は普段ネイルを塗っている。その理由は三つ。
一つ目は単純にどうしても落ちない漆汚れを隠すため。
二つ目は爪の保護のため。ここまでが実利的な理由。
最後の三つ目は「手の綺麗な人(手先の手入れが行き届いているの意)からプロダクトを購入したい」し、手を汚さずに制作することが一人前の条件でもあるから。

一人前の条件

漆のプロダクトを完成させるには、木地の調整、面を整え堅牢さを持たせるための下地を研いでは塗りを繰り返し、いよいよ液体の漆を塗ってからも理想のラインを追求するために納得行くまで塗って研いでを何回も何十回も繰り返す。そしてその過程でまあまあ手が汚れる。

お見苦しいですが、仕事後の手はいつもこんな感じで汚れてる。
漆は水に溶けないので石鹸で洗ったくらいじゃ落ちやしない。


以前恩師から「一人前の職人は手袋をしなくても手を汚さずに仕事を終える。そうなれた時が一人前の目安だ」と言われた。

では漆を始めて16年が経った今の私はどうか?と言うと、正直まだ少し手を汚してしまう。悔しい。始めたばかりの頃は知らぬ間に色んなところに付けてしまってたのと比べればかなりマシにはなったので、あと少しではあるのだろうけど。


それと同時に研ぎの作業は炭や砥石を使いながら、水で濡らした時の反射を利用しつつ指先で繊細な凹凸を確認して進めていく。こちらの作業は手袋をつけた状態では話にならないので必然的に素手で行う。となると、爪の間に炭や研いだ漆の粒子が入るので黒くなる。事情を知らない人がその手を見たら土いじりをしたように見えると思う。

憧憬

ここで一旦数年前の話を書く。


以前販売の仕事をしているときにとてもお世話になったヨソのブランドの店長さん(以降Sさんとする)がいる。Sさんは右も左も分からない私に百貨店でのルールを教えてくださった。Sさんの手元はいつもご自身でケアされて丁寧に塗られたネイルがとてもお似合いで、その手からお客さまへ商品を渡す姿は愛を送り出していくように私の目には映ったし、そのネイルの美しさが矢のように刺さり、やがてSさんは私にとっての憧れのお方になった。

その後漆作家として独立したが、私は自分の作品のことを我が子のように思っている。愛している。大切な我が子だからこそ、送り出すときは指先まで美しい私で在りたい。
そして商品をご購入いただいたお客さまの記憶に「あの方は手まで美しかったね」とその方の記憶に刺さりたい。
(これは昔「丁寧な暮らし」を謳って起業してる方が展示に来た際に、試着で商品を投げて返された経験がトラウマなのもある。自分にとっての大切なものしか丁寧に扱えないって正直どうなの?と思う)

そんなこんなで週に一度爪を研いで形を整えて、好きな色を乗せる。
そのときの気持ちに合う色を纏うと「なんだか今日の私の手は綺麗!」と生きる気力が湧いてくる。

今回はCANMAKEのネイルファンデーションの08番(限定品)を塗った。

戦うときは赤、癒されたいときは紫、落ち着きたいときはカッパーブラウン、やさしく&レディライクにいたいときは指先が延長されて見えるようなベージュを選んでみたり…最近は特にいい女で在りたい自分が勝っているのでベージュを選んだ。似合ってるかしら。いや、絶対に似合っている。なぜなら塗ったときに気持ちがとても高揚したから。

この手を汚して作品を作って、また綺麗に研いで塗って整えて、この先多くの我が子たちを送り出していきたい。そして憧れのあの方に少しでも近付きたいと思う。