タイミーのアルバイトで、富士見町から武山まで一時間以上かけて歩いたことがある。横須賀西部と呼ばれる地域の手前。
やすきが暮らしている谷戸は、山が低く、森の中に住んでいるような感覚に陥る。
やすきの地元の津山は、盆地だ。四方に聳える山は標高が比較的高く、遠大な印象を受ける。武山は、そんな故郷を思い出す山々があった。
武山のさらに手前、衣笠十字路のバス停を南に降ると小矢部というエリアがある。西部から北部への行き道で、周囲に住んでない限りは通り過ぎるだけ、というような地区だ。
アルバイトがなければ、やすきは〈好日〉さんを見逃していたかもしれない。衣笠の高架下をくぐって、南に向かって歩いていたやすきは、向かって左側のやや高い場所に、看板を見つけた。どういう文字が書かれていたかわからなかったが、ああ、こんなところにお店があるんだな、という認識を記憶の箱に閉まっておいた。

後日。体調を崩し、休職したスミーさんが、hatisに一泊して、ねむれず、早朝から動き出して、うみづり公園で横須賀で紅茶の店をやろう、という話になった時。
勢いそのまま商工会議所へ、空き家店舗の補助金の話を伺いに行った。対応してくれたのは村尾さんという、やすきも以前にお世話になった方だった。
こちらの情熱を伝えると、スミーさんを応援してくれると話してくれた。補助金以外にも話が飛び火して、横須賀の動向を情報交換していると、村尾さんから〈好日〉という中国茶を出すカフェがある、ということを聞いた。場所は衣笠の南のようだった。
あ、あの看板の店か、と糸がつながった。
〈好日〉の存在をやすきがミカさんに伝えると、やすきよりも先に、ミカさんとスミーさんが伺った。ミカさんは〈好日〉をとても気に入って、ご友人と何回も訪ねている。
横須賀市外から来た方でも、〈好日〉は安心して勧められる。まるで葉山にあるお店のように、品があり、慎ましい。
静謐
やすきは、〈好日〉に向かった。いつものように、歩きで、ひとりで。
訪れたのがいつごろであったか、おもいだせない。ただ、曇りで、ひどく蒸し暑い一日だったことは覚えている。気分も雨雲のように灰色だった。店を休業する前で、心が枯れていた。
潤うなにかを求めていたのかもしれない。
富士見町から佐野八幡神社を通りすぎ、宇東川公園からつづく道を往った。この道は、道路ではなく公園だそうで、車が進入できない。動物を模した椅子や、柵に囲われた街路樹が道の真ん中を占拠している。すごく縦長な公園。やすきは、好んでこの道を選んでいた。
歩き始めて40分は経ったろうか。小矢部の、山が深くなり始めるあたり。エィビィの隣に、〈好日〉にたどり着いた。心が虚ろで、木々の緑が白昼夢のように見える。
看板を頼りに、入り口まで向かった。
やすきは不躾にも、開店前に門を叩いてしまった。店主さんは、戸惑いながら迎えてくれて、やすきは店内に入らせてもらった。
店内は薄暗く、簡素でしっかりしたテーブルが並んでいた。テーブルの上に、ポットが置かれている。選び抜かれた調度品、家具。ほとんどが、年月を感じさせる木製のものだった。
空間に配置されたひとつひとつが調和し、えもいわれぬ雰囲気を醸成している。

やすきは席についた。太陽が出ていなかったとはいえ、酷暑で、ここまで来るのにも水分をうしなった。見かねた店主さんが、水とアイスを差し出してくれた。

メニューが差し出された。まるでスペシャリティコーヒーのように、銘柄が産地や風味に分かれている。明確な個がある、ということだ。
自分の好みと、お茶の風味の傾向が把握できれば、お気に入りの銘柄を見つけることができる。深く歩けば歩くほど、自分の好きにたどりつく、嗜好品ならではの楽しみ方。

やすきは、以前から興味を持っていた、白茶を頼んだ。自分の店でも出したかったが、どうすれば入手できるのかわからなかったものだ。

しばし待って、お茶がサーブされた。テーブル上のポットからお湯を注いで、すこし待ってくださいと指示があった。
茶葉をお湯にひたし、成分が抽出され、茶海に移す。ちいさな茶器を手に取る、という行為が、高い文化に触れていると感じさせた。
一口、含む。その瞬間、肩にそっと手を置かれて、なにか囁かれたような気がした。身体中のこわばりが解け、力が抜けた。
ああ、なんでこんなにも焦って、気張っていたのだろう。
硝子の向こうの木々を眺めながら、静寂が訪れる。白茶は、舌の上に芳醇さが膨らんで、まるでミルクティーのような味わいだった。
お茶の仕事。改めて味わった。
縁側の奥に本棚があり、須賀敦子の全集があった。一冊、手にとって読み耽る。自分のためだけに時間をもったのは、ひさしぶりだった。
街中から離れて、自然溢れる場所にある素晴らしいお店です。みなさまぜひ。
好日 中国茶カフェ
場所:横須賀市小矢部3-3-3
営業時間 12:00~18:00 月火定休
Instagramhttps://www.instagram.com/tearoom_kojitsu/