八月十七日から二十一日にかけて、やすきは地元である岡山県へ旅に出た。
Universal Radioのhiclyくんと〈calme〉のわかなちゃんが、倉敷へ行きたいと考えていて、津山まで一緒に同行しないか、と6月ごろから提案してくれていた。
やすきは、ここ二年は地元に戻っていない。店を開いてからというものの、盆も正月もなく働いていたので、帰る暇もなかったからだった。日取りは2人と相談して、盆明けの時期に帰ることに決めた。
亡くなった祖母と父に手を合わせに行かなかればならない。遺産相続で問題が伯父も去年末に墓に入った。お墓参りは、hatis AOが一本化できた暁に報告する腹づもりでいたが、もうできるだろうし、行ける内に行くのもいいだろう。
乱数調整

相変わらずガス欠状態で、体は重く、疲れやすい。心は前向きになっているのだが、体がついてこない。片付けや改装、クラウドファンディングなどできることを小さく進めていたのだが、どうもギアが入りきらない状態が続いていた。この旅で、切り替わってくれれば、という願いもあった。
八月十七日。土曜日。甚だしい暑さが続いている。身体がアイスクリームのように溶けてしまいそうだ。
店に冷房も入れたことだし、ひさしぶりに土曜日の営業。営業再開して二回は割と良かったのだが、この日は利益がギリギリ出るほどの集客だった。前日に台風が神奈川県を通り過ぎて、いつも利用している上町のスパイス屋が閉まっていたのと、このところお米の品薄が続いていて、仕入れが大変だった。
やすきは翌日、十八日の日曜に出発すると思い込んでいたが、実際は十七日の夜に出発する手筈になっていた。勘違いを察してか、hiclyくんが夕方、店に出発の日時について知らせに来てくれた。
ちょうど、きゅうさんとミカさんがhatisの窓側の席で話をしていたタイミングだった。窓を開けると風が入るので、冷房をかけるより涼しいのではないか、という説が出回っていた。
やすきは慌てて、店を閉めて旅の準備をすることにした。きゅうさんとミカさんに事情を説明すると、気を利かせて二人とも帰っていった。朝、安浦の魚屋さんの近くの家で解体があったので、木材や古時計をもらうことになっており、富士見町から降りて回収しに行った。
下着などを鞄に詰めて、出発できる準備をした。hiclyから電話がかかってきた。先程の様子だと、慌てているだろうから、集合時刻を一時間遅らせてくれた。おかげで、気を落ち着けることができた。
この日。偶然にもスミーさんが紅茶農園の手伝いに九州へ旅立つ日だった。スミーさんも、台風でフライトを1日ずらし、この日に出発することになっていた。羽田空港へ行く前に、hatisに寄ってくれて、これからの展望の話をした。目に輝きが宿っていた。
スミーさんは、この旅で大きく変化するだろう。この旅のきっかけも、hatisで土器をつくるさかいさんがスミーさんに紅茶農園を紹介してくれたからだった。
hiclyくんが「乱数調整」と称したが、不思議な偶然の重なりがこの旅では発生するのだが、よくよく考えると、旅の前から既に始まっていたことを、この時のやすきは知る由もない。