水を飲むように音楽を聴いてきた。なぜ、世間の人が自分と同じように音楽を必要としないのだろうか。周囲と話を合わせるために音楽を聴いてるのか。不思議だった。
30歳を越えて、自分の心が人より脆いことを知った。父が毎晩、なぜ1人でビールを飲みながらジャズのレコードと向き合っていたのか、理解できるようにもなった。
やすきは音楽に言葉は求めなかった。音そのものが持つ情動、あるいは形が、波打つ心に錨を打ってくれる。
幼馴染に沼という人物がいる。彼が「ブルーハーツを聴いて、もっと自由でいていいと思い直した」と影響を受けた、と話して、驚いた。言葉を求めていないので、音学が思想に影響を及ばさない、と考えていた。
思春期にハマったDragon Ashも、そこから掘り下げたヒップホップも、音が哀しいから、という理由で聴いていた。
やすきは、音楽を糧に生きてきた。命の本源となるものに、意味を見出せるのだろうか。音楽が人生に与えてくれた影響を、いまいちど顧みる。
1.Deep impact / Dragon Ash feat.ラッパ我リヤ
中2の夏。やすきは幼馴染の西山くんの家に入り浸って、同じく幼馴染の沼と3人でダビスタという競馬ゲームに明け暮れていた。西山くんの部屋は日中でも赤いカーテンを閉めていて、陰に映える深蘇芳が印象的だった。
薄暗い部屋でダビスタのブリーダーズカップをやっていると、聴きなれない音楽が、ラジカセから流れてくる。その音楽は、やすきの心を突き刺した。これはなんの曲か。すぐさま西山くんに聞いて、帰りに津山にひとつしかなかったTSUTAYAに行って、Deep Impactのシングルとルーマニアモンテビデオのアルバムを買った。ルーマニアモンテビデオはコナンのED曲が好きだったから買ったのだが、あまり聴かなかった。
この曲を境に、やすきの音楽人生がはじまる。
14歳から15歳にかけて聴いた音楽が、その後の人生で聴く音楽に最も影響を与える、という記事を読んだことがある。ミクスチャーバンドであるDragon Ashを多感な頃に聴いてよかったのは、その後、ハウスやブラジル音楽など、ジャンルを渡り歩くき、やすきも同じような道筋を辿って行った。
この曲を聴いた15年後。ラッパ我リヤと、神戸のイベントで一緒になって、打ち上げで飲んだ。西山くんちで聴いた曲の衝撃の先に、そんな未来があるとは思いもしなかった。
ああ、そうか、人生に影響を及ぼした曲ということは、そういうことか。
2.Keith Jarret / I Loves You,Porgy
父はジャズを愛していた。ビートルズに始まり、20代はロックを聴いていたが、30歳の頃から聴き出したらしい。父は全共闘のころ、真っ只中の京都にいたので、ジャズ喫茶に憧れがあったのだろう。
家で、僕たち家族が夕飯を囲み、アニメを見ている横で、父はセシル・テイラーとか、ノイズのようなフリージャズをかけていて、うるさいなと内心に感じていた。
ジャズが小さい頃から身近にあったからか、やすきは17,18の頃から聴き出した。違和感はなかった。最初は、クラブジャズやレアグルーヴを聴いていた。父と同じものを聴きたくなかったからだ。19の頃、岡山のレコ屋で、ロシアのジャズのレコードをディグって悦に浸っていた。
20を越えて、父とお酒を飲みながらジャズのレコードを聴くようになった。いろいろ聴かされて、明らかに他のジャズミュージシャンとは違うレコードがあった。波打つようなピアノに、卓越した技術と、情動が込められている。それがキース・ジャレットだった。
父はECMは好きではなかったし、このアルバムは持ってはいなかった。この曲が収録されている『メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー』はよく雑誌でも取り上げられる。
慢性疲労症候群に陥ったキースを、当時の伴侶であるローズ・アン・ジャレットが献身的に世話をした。そんな妻に捧げられたこのスタンダード曲集は、キースの気持ちが伝わってくる。
34のとき。父の葬式で、ジャズスタンダードの『枯葉』を弾いてもらった。(元女将にシャンソンの曲だと言うことを教えてもらった)。どんな偉大なジャズミュージシャンの音源よりも、美しかった。放射線治療で弱った父を、母は毎日、車で1時間以上かかる病院へ車で通い、死のそばにいた父を看病していた。
今も、ジャズを聴くときは、父の魂といっしょに聴くようにしている。父が四谷のジャズ喫茶、『いーぐる』の後藤雅洋さんの本を持っていたから、現地まで赴いた。そのとき、そうしようと決めた。ジャズが、肉体が滅んだ父とやすきを、いまでもつないでいる。
3.Nujabes / Beat Lament The World
あまり行きたくない高校をやっと卒業し、浪人を許されず、あまり行きたくない大学に行くことになった18の春。やっと、人の噂ばかりされる地元と家族から離れることができる。この曲をMDウォークマンに落として吉井川の河川敷をあるいて、心が軽くなった。
あの時の春風の軽やかさと共に、この曲はやすきの心に刻まれている。大事な曲なので、ふだんはあまり聴き返さない。
Nujabesは後年、由比ヶ浜に居を構えていた。鎌倉の海側を歩くとき、この曲を作った意味がわかる。
交通事故でNujabesは2010年に亡くなられたが、その魂は世界中に散らばって、意志を継ぐ者たちによって音は作られ続けられている。舐達磨のバダサイも言及していた。
4.Bahamedia / Spontaneity
Bahamediaはアメリカ出身の女性ラッパーで、本名はレイチェル・ナイト。彼女は独自のスタイルと力強いリリックで知られていて、特に社会問題や個人的な経験をテーマにした曲が多い。おうし座。1996年にリリースされた1stアルバムより。
ヒップホップがやすきに与えた影響とはなんだろう。ビートをつくり、ラップをするようにもなり、多くの友達ができ、多くの出会いが、やすきを変えてくれた。
神戸時代。加納町にPi;zというクラブがあって、そこに入り浸っていた。100人も入れば一杯の箱で、薄暗くて、華やかな場所ではなかった。華やかなクラブは象ビルと呼ばれた建物に入ってて、神戸のお洒落な人たちが踊っていた。
Pi;zはあって七癖くらいの人たちが集って夜な夜な遊んでいた。!!! Monday というフリーのイベントに、やすきはよく通っていた。フリースタイルも、ビートもそこで先輩に教えてもらった。
この曲は、そこでよくかかっていた。地下への階段を降りて、入口でみんなと話して、中に入るとみつどめさんというスタッフがジャンベを叩いていて、Dumboという手作りのインセンスの瑞々しい香りが漂っている。薄暗くて、人はまばら。あの時代のあの雰囲気を、この曲は表象している。追憶と共に。
ヒップホップは良いも悪いもある。人間関係のトラブルも多かったし、ヤーさんスレスレの人たちもいたから、恐い人は恐かった。
学んだことがあるとすれば、筋を通すこと。ことお金が関わることは。感情的にならないこと。きちんと謝ること。
恐い人もいたけど、みんな音楽が好きだったから、根っから悪い人はいなかった。ストリートより、商売してた方が悪い人に遭遇する。
5.Steve Hauschildt / 『Strands』
コロナ期の世界は、みんな家に篭っていて、精神を癒すためか、アンビエントが流行していた。コロナ禍が明けても、その兆候は止まらない。
やすきは2021年に最初の店を閉めて、移住費用を派遣の仕事で賄おうと働き始めた。今はもう日雇いの仕事で、その日限りの現場と同僚と働くことに慣れたが、繊細な神経の持ち主には、最初はきつかった。
アンビエントを聴き始めたのは、横須賀へ移る流れになってからだ。hatis AOでもよくかけている。
エデンにいると、心に不調を持った人たちとよく出会う。やすきは、アンビエントを寝る前に聴くことによって、精神のやすらぎを得ていた。不思議なほど、よく眠れるのだ。幸いなことに、音楽に副作用はない。
サブスクで次から次へと流れてくるので、アーティストや曲名がまったく覚えれないのだが、この曲は、聴き始めの頃の記憶と相まって、形までもはっきり覚えている。
6.植松伸夫 / 『仲間を求めて』
やすきのベストゲームは『タクティクスオウガ』か、『FF6』だ。劇中につかわれている曲の中でも、ボス戦の曲くらい好き。ラストダンジョンが面倒で向かわずに、いつまで経っても崩壊した世界の夕空を飛空艇で飛んでいた。
幼き頃、多くの時間を過ごしたゲームの世界で流れていた音楽に、私たちはどれだけ影響を受けていることだろう。
『仲間を求めて』という曲名は大人になってから知ったが、今も仲間を求めて動き続けているのかもしれない。
7. Akusmi / Divine Moment Of Truth
あるとき、hatisに風変わりなお客さんが訪れた。風変わりといっても、人格が変わっている、ということではなくて、やすきが出会ったことの少ない人種の人だった。
その人の名前はクリスと言って、フランスのメスという街から日本へ陶芸の勉強をしにきた女性だった。
クリスは音楽が好きで、hatisでかけていた曲に反応し、やすきに「あなたはこういうのが好きだろう」、とフランスのアーティストをいくつか教えてくれた。
横須賀にいたのは一時期だけで、今は岐阜で陶芸の勉強を頑張っている。今でもたまに、お気に入りの音楽をInstagramのDMで共有している。
めっきりしなくなった音楽の話を、まさかフランス人とするとは思わなかった。クリスが勧めてくれた音楽は、たしかにやすきが好きで、1人では辿り着けそうなものばかりだった。自分の好きを拡張してくれる、という経験をひさしぶりに得られた。感謝と敬愛をこめて。
8.Sam Gendel / 『Track One』
サブスクをつかうようになって、それまでしなかった、新譜を聴く、という行為をするようになった。Sportfy は次々にリコメンドが流れてくるため、素晴らしい楽曲との出会いが産まれたが、数が多すぎて、アーティストと曲名がさっぱり覚えれなくなった。
溺れるような情報量の波に、現代ジャズミュージシャンのサム・ジェンデルは特別な輝きを放っていた。彼の作る音楽のどれもが好きだった。ここまで一致するアーティストはいままでいなかったんじゃなかろうか。
曲やアルバムを繰り返し聴くことはすくなくなったけど、このアルバムは何度も何度も聴いた。岡山の店でもよくかけていた。
グリッチのような感覚もあって、幽玄で、高尚な水墨画のような曲。影響というか、ただ単に好きです。
9. Milton Nascimento / 『君がなれたすべて』
ブラジリアン・ミュージックは、好きなものが多すぎて決めきれないけど、この一曲を。
表題に、人生においてとても重要なことがこめられている気がする。歌詞も。
10. WANDS / 世界が終わるまでは
ある先輩ラッパーのアルバム製作を手伝ってて、どうもアルバムの芯になりそうな曲が、『アニメのエンディングぽい』と他の先輩ラッパーに評された。
中学生まで、アニメをよく見ていて、本編もそうなんだけど、無意識にエンディングが好きだったのだと、その時に気づいた。その週の放送が終わるさみしさに、浸っていたのだと思う。
宇宙の画面が入るエンディングのアニメが好きだったのだが(ロスト・ユニバースだった気が…)、思い入れもあってスラムダンクとさせてもらった。
スラムダンクの舞台が湘南であることは、移住してから気づいた。このEDで花道がボールをつきながら帰る夜道の光景も、藤沢か、鎌倉。流川が自転車を漕いでいるのは、鎌倉の由比ヶ浜。
スラムダンクもNujabesも鎌倉も、人生で特別に好きになったものがみな由比ヶ浜が絡んでいる。
集中力がなくなって、アニメが5分とたたず飽きるようになってしまった。今はもう大人でも当たり前にアニメの話をするが、没入することができなくなって、エンディングの哀愁を追うことは、もうない。
このエンディングを観ると、今も胸が締めつけられる。