湘南移住記 第239話 『軸2』

軸について、具体的にして考える。

やすきの軸はなにか。人生において、なにが大切なのか。

ひとはみないずれ死んでいく。生きているうちに、やりたいことはなにか。どういう風に生きていきたいのか。自分がどう在りたいのか。根本から見つめ直そう。

ひとつ決めているのは、実家の会社、有限会社カマダヤを継ぐこと。これはおばあちゃんの今際の際、手を取った時、そのために生まれてきたのだと感じたから。亡くなったおばあちゃんにも、父親にもカマダヤの名前は残して欲しいと言葉を遺された。遂行するのは、長男であるやすきの役目になる。人生は不思議とそういう風になっている。

会社を継ぐことは幼き頃からうすぼんやり考えてきたし、宿命とやりたいことが幸いにも一致している。その道筋から外れると、恐らくだがよりキツい人生が待っている。

やすきに限らず、ひとひとりひとりが、なにかやるべきことがあって生まれてきている。ただ、なぜか知らされることはない。自分で見つけていくしかない。見つけていくのも、道筋なのだろう。

hatis AOを個人事業主でやっていて、年の売り上げが1000万円を越えると法人成りすることも決めている。

浦賀で貿易の会社をしている社長に教わったことだが、年間1000万円以上の売上になると税金対策上、会社にしたほうがいいらしい。

その会社もその社長とパートが一人いるだけだそうだ。会社とはなにも従業員が何人もいて、という組織でなくてはいけない、ということではない。

意思あるところに道がある

経営者として生きること。これが一つの軸。どういう会社にするか。それは次回の日誌に譲ろう。

どう在りたいか。

やすき自身が、人としてどう在りたいのか。

亡くなったおじいちゃんは、後年、できないことが多くなっていた。だけど、最後。世話を焼いていたおばあちゃんに感謝しながら死んでいった。それを見て、感謝しながら死のう、と決めた。感謝して死ぬためには生を充実させなかればいけない。そこからやりたいことをやる、という人生を送るようになって、今に至る。この日誌にも何度か書いたことだ。

人はただ生きているだけでは人間になれない。みんな、人間になっていく過程にいる。それをお互いに学びに来ているのだろうか。

他人にもそうだし、自分にも感謝できているだろうか。やすきだけではなく、一人一人がそう。

人が人間として生きていくためには欠かせないもの。自分自身の意思が必要になる。

意思あるところに道がある。やすきの信条。

自分

健康まで差し置いて、何かをやる、というのも違う。年齢的にも、自分や、今の店のことを、身を犠牲にしてまで他の人のことをやる場合ではない。

振り返ってみるとゆうきくんが言ったことがわかる気がする。ビニール傘のように、自分をどこかへ置いて忘れてきた。それを、取り戻しに行かないと。なぜなら、自分はビニール傘のように代わりがきかないから。自分を大切にできるのも、しないのも、自分次第ということになる。

だから、軸から外れる判断をしてしまったということは、根元で間違っている。心に向き合っていないのか。

店も、毎日たのしくもあるが、しんどいな、と思いながら続けている。日常になりつつもある。できていないこともたくさんある。納得するラインの2〜3割で始めたが、8割には持っていきたい。屋根のメンテナンスもしなければいけない。

イベントは、いまhatis AOに関わることだけをやっている。

店を成り立たすために、地域とのつながりをつくろうと、去年の10月から動き始めて、さまざまなご縁ができた。横須賀に来て、文字通りなにもないところから、みんなと作り上げてきた基盤が、形になった。これから他のグループとつながろうとしていているところ。

やすきがなにかやりましょう、と声をかけている人は、関わる人すべてではない。直感というか、この人がやろうとしていることは大事だな、あるいは、大切なことをしているな、と感じる人、こと。

店を始める前から、声をかけた人はいたが、ほとんどは形にならなかった。最近になってようやく、具現化する力が高まってきた。曼陀羅状に広がる、地域や人とのご縁のネットワークのおかげで。

しかし、hatis AOをまず成り立たさなければいけない。自分のためにも、みんなのためにも。

伝えたいことはたくさんある。やすきの言葉や行動に影響力を伴い始めれば、横須賀をいい方向に持っていける。横須賀もまた、転換期だ。この時期に、個人としても街としもどう変わっていけるか。今年に立ち上がったイベントは、今後の横須賀にとって重要なものになるだろう。

最初は自分だ。まずそこから。

自分がどう思うか。感じ取るか。どうしたいのか。かんがえるのか。