こんにちは、あるいは初めまして。
漆作家をしているミカと申します。
やすきさんから「ブログで記事を書きませんか。テーマはなんでもいいので」とバトンを受け取りました。
何について書くか一晩悩み『趣味のタロットで決めるか』と引いた結果、カップのクイーンの正位置が出ました。彼女の持つキーワードは「慈愛、そして芸術や癒し」なので、私を取り巻く美しきものたちについて書こう!とこうして筆を取っている次第です。
芸術や美しいものが嫌いな人なんているのだろうか。
みんな各々の思う美しさや芸術に癒されたり、それに時折命を救われたりして生きていると思う。
少なくとも私は美しいものが好きだし、実際に死のうとしたとき、私を救ったのは友達の心と相模湾の美しい日の出だった。
幼少期。
私には歳の離れた姉が二人おり、二人ともエレクトーンを習い、吹奏楽部に所属していた。物心ついた時に姉たちの定期演奏会を聴きに行ったこともある。それは子供の私にとっては音が大きすぎて少し怖い、でも曲は好き!だなと感じた。
エレクトーンは家にあったので、姉達がレッスン前に練習してるのを傍で聴くのが好きだった。そして足元のベースペダルを押すと出る重低音が面白いし心地良くて押しまくっていたのを思い出す。
そして「もう!邪魔しないで!」と怒られては抱っこで遠くに運ばれ、でもまた音を聴きたくて近寄っては結果的に姉達の邪魔になってしまうを繰り返してた。音楽っていいなあ、弾くのも聴くのもとっても楽しいと漠然と思った。
当時特に好きだった曲はメリー・ホプキンが歌った「悲しき天使(Those Were the Days)」でした。
祈りが届くように
長姉は「幼少期の子供の成長において何がどういう影響を及ぼすのか」に関心が強い人だったので、先日やすきさんとのスペースで話した通り私に百人一首や毒物劇物取扱の本の読み聞かせもしたけれど、忙しい母に変わって私を美術館や博物館、映画館にも連れて行ってくれた。
両親はそういったことに無関心な人間であり、かつ不仲で率直に言ってしまえば完全なる機能不全家族だったので、ある意味情緒面を支えてくれたのは長姉で、何の掛け値なく「ミカちゃん可愛い可愛い!」と世話をし愛を注いで可愛がってくれたのは次姉だった。ちなみに次姉は私の誕生がきっかけで後に保育士になる。
ちなみに先日のやすきさんとのスペース全容はこちら
https://x.com/hatis24/status/1800868177360175338?s=46&t=MMrzYCDgkejr39-f8_nkIw
話が逸れたが、美術館の類によく連れ出してくれたことはぼんやりと覚えている。
当時はどれが誰の絵で何時代のものかなんて一切分からなかったので、数十年が経っても姉が実家に置きっぱなしにしている当時の図録を見て時折答え合わせをしている。
中でも世界四大文明展(これは同行していないけれど)の図録が一番好きで、古代の人たちが祈りのために作ったであろう装身具や食器の類に強く心を惹かれた。
そこで気付いたのが「私は賞賛や名誉や他者に評価されるために作られたものではなく、その人自身の抑圧できない情熱や大切な誰かに祈りを捧げるために作られたもの、長い時間誰かに大切にされてきたからこそ時を超えて今こうして私の目の前に存在してくれるものが好き」なんだと。
四大文明展の展示品に関しては王の権威を示すために作られたものも数多いので必ずしも上記には該当しないけれど。。
人間からの愛情を信じられずに育った私が「愛」ってやつを認識することができたのは、芸術とそれをかつて作った人たちの精緻な技術がもたらす美しさのお陰だと今は思う。
そして紆余曲折を経て今、私は漆に恋をし、漆を使って美しいものを作る仕事を選んだ。辞めない。というよりも、私にとって辞めるのは案外簡単なので「だからこそ辞めない」という選択肢があって良いじゃないか。
その仕事で成し遂げたいことはいくつかあり、その中の一つが「漆が美しいこと」もあるが、「想いの純度が高いものが放つ美しさが命や心を救う。かつての私がそうだったように。私の作るものが誰かの心を救ってくれますように、祈りが届くように」と考えている。
癒したい!って気持ちは私にとって他人をコントロールするようで正直烏滸がましいなとも感じるけれど、結局私は自分の信じている美しさを追い求めるのを辞められないから、結果的にそうなったら一番幸せだと思っている。 https://twitter.com/hatis24/status/1800868177360175338