知らない番号から電話がかかってきた。ここ2、3日、同じ番号からかかり続けていて、怖いなと思った。
ある日、はオープン前にかかってきたので、脊髄反射で応答した。電話の主は聞き慣れた声だった。学生時代からお世話になっている神戸のカフェのオーナーだった。連絡をとったのは何年ぶりだろうか。やすきは嬉しくなった。
やすき椅子に座り、電話をした。よく晴れた日で、庭に春の光が差し込み、植物の葉が綺麗に輝いていた。
オーナーは、加齢を重ねたことから、カフェを閉めること。はいり君というスタッフと、常連さんが亡くなったことを伝えてくれた。はいり君はやすきよりも若い。
オーナー自身も、75歳になられるという。電話口でいつまで会えるかわからない、と弱気なことおっしゃっていた。運命めいたものを感じ、一にも二もなく会いに行くことを決めた。
振り返ると

神奈川に来て3年が経つ。目の前のことに夢中で、お世話になったひとたちに連絡すら取っていなかった。振り返る余裕もなかった。
時が経って、関わった人が亡くなっていく年齢に差し掛かってきた。会える時に会っておかないと、次がいつかはわからない。わからないまま、それが最後、ということもありえる。
そう悟らせた電話の内容だった。店は開けたかったが、やすきは思い切って神戸に行くことにした。
5月21日。月曜日に行こうとしたのだが、連日の疲れが溜まり、深夜バスに乗る体調ではないと判断し、火曜日に行くことにした。ひさしぶりにたっぷりと休めた。
横浜駅、夜9時。駅から降りて、ベイクォーターに向かう方面にバスロータリーがある。以前に使っていた深夜バスは、YCATと呼称されるデッキ前だったが、今回は違う場所だった。
火曜日だったので、比較的空いてるだろうと目星をつけていたが、バス内は満員だった。やすきは前から三列目、通路側の、指定された席に座る。4列シート、トイレはない。まるで詰め込まれた囚人列車のような心持ちだ。
バスが走り出した。走り出すまで、にわかに信じられなかった。しばらくして、バス内は消灯し、真っ暗になった。薄暗いベルベットに包まれたような不安感に包まれる。
窓は全てカーテンで仕切られているので、どこを走っているのかもわからない。
その日はあまり眠れなかった。暗いので、スマホを見ることも、読書もできない。眠れなかったから、ずっと首を左右に揺らしながら肩のこりを取ろうとしていた。
周りに気を遣いながらスマホを見て、地図アプリで現在地を確認した。足柄の手前あたりだった。地名がちょうど「神戸」となっていた。神奈川県の神戸か。偶然の糸が重なるのを理解できたときはいい時だ。
スマホを切った。隣の席の大柄な男性が、カバのように重低音のあるあくびをバス中に響かせていた。あと6時間後には、神戸に着く。