こどものころ、やすきはぼーっとしていた。海をぷかぷかと浮き輪で漂うように、空想に耽る。言葉をかけられても反応が鈍いのは、そのためだ。
あるとき、家族に連れられて、夏休みに鳥取まで海水浴に行ったことがあった。
やすきはスイミングスクールに通っていた。肥えた体をみかねて、母が水泳をはじめさせた。そのスイミングスクールでは、友達ができなかったのを覚えている。自分の意思を表現することが苦手だったので、スクールの子供達と打ち解けれなかった。
水曜日に2年間通い続け、クロールからバタフライまでのメドレーは一応できるようになった。平泳ぎが得意で、大会にも出れたので、泳ぐことはできた。

しかし、なぜか鳥取の海でやすきは泳がなかった。必要のない浮き輪で、ただただぼんやりと海を漂っていた。よく晴れた夏の日で、空も海は青く、気持ちがよかった。神奈川と違い、鳥取は日本海側で波が荒いのだが、この日は穏やかだった。
周りにはたくさん人がいたが、映画に出てくるエキストラのように無関係だった。やすきもやすきで、景色に同化していた。物語にありそうな、淡い夏の1日。
やすきの頭は、空と化していた。ただ存在があるのみだった。段々と沖のほうへと流されていき、足が海の底につかなくなった。それでも泳げば岸まで戻れるはずなのだが、なぜかそうしなかった。
気がつくとブイがあるところまで流されていた。恐いとも思わず、あるがままに状況を受け入れて、なにもしようとは思わなかった。
「坊主、大丈夫か」。知らないおっちゃんが話しかけてきた。ライフセーバーではなかったようだった。おっちゃんが片手で浮輪をつかんで、岸まで連れていってくれた。
本当は泳げるんだけどなあ、とやすきは考えていた気がするが、黙って引きずられつづけた。岸に戻ると、両親が慌ててやすきを探していた。

あれから25年。
やすきは横須賀の馬堀海岸に出来たスタバで、海を眺めていた。
あれからやすきは大人になり、なにもかも両親に決められていたが、意志をもって生きるようになり、意思を表現するようになった。
しまいにはラップをはじめて、気持ちを発露していた。自分で責任を持ち、店まで持ち、自分でつくったもので、仕事も請け負うようにも。
社会を自力で泳いでいるのだが、漂っているのに変わりはない。無理に流れを変えようとすると、余計に深みに溺れることを悟ったからだ。
鳥
プカプカナイト当日。hiclyくんと横須賀から横浜まで、車で向かった。高速には乗らず、下の車線を走っている。
新曲をふたつ、やる予定だったが、前日に衣笠の〈バックビートスタジオ〉の練習では、卵豆腐ができる前のように固まっていなくて、本当にできるのかという状態だった。2人とも歌詞を覚えきれていなかったし、それどころか、歌詞も歌い方も、練習しながら変えていって、豆腐が出来あがっていく工程の最中だった。
車の中でも、音を鳴らして練習を繰り返していた。横須賀で〈台湾家庭薬膳料理 娟娟〉さんと〈TOPOFF Donuts〉さん、hatis AOのスパイスカレーの荷物を積んで、ぎゅうぎゅうの車内に、ビートと言葉が幾度も幾度も繰り返されて行く。
追浜のあたりに、車線上に鳥がいた。車が近づいても、動く気配がない。避けることもできない。踏み潰さないように跨がろうとすると、やっと鳥は気づいて飛び去っていった。
あまりにタイミングがおそかったから、「ぼーっとした鳥だったね」と、車内は笑いに溢れた。
だが、やすきは後部座席で考えた。あの鳥は考え事をしていたのではないかと。
繊細だからこそ、考え事が多くなる。それは人も鳥も同じではないだろうか。
繊細


2月6日の誕生日から、1ヶ月間、Universal RadioのhiclyくんとMoriaiくんと曲の製作を共にした。hatis AOに昼から集まって、3人でリリックを書く。意見を出し合い、修正を加えて、時間をかけて磨きあげてった。
やすきはこの1ヶ月落ちていたこと、hiclyくんは去年の解散ライブについて、気持ちが合わさることを書こう、ということになった。
いままで、リリックはひとりで書いていたのだが、こうやってチームで作業するのは始めてだった。2人にディレクションしてもらって、俯瞰して自分のバースを見つめ直す。
MoriaiくんはDJなのだが、文才があって、心強かった。なにかアウトプットすることを勧めた。
作業が終わると、ご飯をつくってみんなで食べて、お酒を飲んだ。いろいろ話をした。根底の価値観が似ていることに気づいた。
たのしい日々だった。年末年始はとんでもなく落ちていたが、やりたいことをやって、活力をもらった。バースデープレゼントにしては、粋なものだった。
hiclyくんとも同じ時期に落ちて、プカプカナイトで上がっていった。彼とはなぜか状況が似ていた。同じテーマで曲を書いても、結論はまるで逆なのだが、軸で見れば同じことを言っていた。
繊細な2人との日々はたのしかった。
プカプカナイトはいい夜だった。みんな集まってくれて、ライブも盛り上がった。ステージ側から見ても、宇宙が生まれたときのように、しあわせな空間だった。ありがとうございます。
広大な社会の海にでて、浮き輪の下でじたばたと足をもがきながら進んで、横浜に漂っていた。岸にいた父は他界したし、母は遠い故郷にいる。兄弟もばらばらで、それぞれの生活を送っている。
嵐にあって、沈みかけていたところを浮かんでこれた。ぷかぷかと。周りにはみんながいた。