湘南移住記 第227話 『やすきのこれから pt.2』

舵を切ることにした。

神奈川にきて2年半。あらましからすると、随分と急いでここまできた。

水飛沫から蝶が逃げるように。

焦ってしまったから、ここにいるのか。ここが本来、自分がいる場所なのだろうか。ずっと迷っていた。

急ぎすぎて、人生の本道から外れていやしないか。

店を開いてからもその想いは離れなかった。

横須賀で多くの人たちに出会った。そのどれもが、自分にとって切り離せない、大切なものだった。やすきに必要なことを言ってくれていた。

やすきはhatis AOの縁側で、座禅を組んだ。午後5時半。陽が落ちかけた富士見町の山を眺める。あの山は2丁目と3丁目の境目になっている。

薄紫に家々の屋根が静かに染まっていく。鳥の囀りを携えて。空気はどこまでも透明で、静かだった。

ブライアン・イーノの『The Pearl』を鳴らしながら、瞑想を始めた。鼻から呼吸をして、空気を丹田に留め、口からゆっくり息を吐く。各セクションが7秒と決めている。

音と景色に一体になるように意識する。

さまざまな思考が足早に巡っていく。見栄や意地が浮かんでくる。そのどれもが、本来の自分の核からかけ離れていく原因となるものだ。

根本は自己否定なのかもしれない。

自分や他人を観察していると、思い至った結果だ。自己否定をしていると他人ファーストに生きてしまうので、いつまで経っても自分の核には至れない。

なぜだかわからないが、世の中もそういったもので満ち溢れている。自分自身もそうなのだろうか。

羽化

去年末からの失速の原因はなんだったのか。答えのようなものは、ぼんやり薄明かりのように視認できるようになった。

問題が、どうも根本にあるような気がしてくる。

店を再開してから見えてくることがあった。

自分のやりたいことをやると、本道に戻ると、不思議と出会う人の波長も変わっていった。葉山の海の漣のようだった。

波長がずれた人たちと合うと、その人たちはより違う方向に誘導してくる。そこは気をつけなければいけない。

その人たちが悪い、というわけではなくて、自分との相性の角度の問題。

再開初日は雨で、客足もそこまでだったが、新規のお客さんも来てくれた。エマさんとnicoさんという女性2人との話が大きかった。

エマさんは横須賀マサラ倶楽部の新年会で始めた会った。アメリカ帰りで今は横須賀に住まわれている。思想的に意気投合して、谷戸会に誘ったのだが、翌日の営業に来てくれた。

同席したnicoさんはジョージアという国でゲストハウスを運営していた人。彼女も今は横須賀に居を構えている。

2人とも外国帰りという共通点があった。窓側の席に座って、仲良く話していたから、知り合いだと思ったが、聞いてみると、初対面だった。

3人で話しているとアドバイスをもらった。総合してまとめると、「楽しいことをしよう」、ということだった。

Universal RadioのhiklyくんとCalmeのわかなちゃんも同意見だった。

実際に気が進まず受けていた仕事を辞めると、店を開こうという気になったし、心の碇がはずれて、横須賀を歩いているだけで気持ちよく感じた。心が塞がっていたことがわかった。

Xのスペースで十夢さんに話を聞いてもらうと、やすきはやりたくないことのキャパが狭いということを教えてもらった。だからやりたいことをやるべきだと。

この3年間、泥道をコールタールまみれで進んできた。店を開いてからは自分を追い詰めた。そうしないと、前に進めないと。結果、よくはならなかった。本当のところでは、やりたくなかったから。オーバーペースすぎた。

自分を追い込むと人に迷惑がかかる、というのも痛いほどわかった。あるいは、そういった方法に自分が向いていないだけかもしれない。

気がつくと、すべてではないのだが、自分がやりたくない方向に、喜んで入っていっていた。

もっと自主的になって、単純にアンテナの向く方向に進めばいい。スパイスカレーも珈琲も店も苦しいが最後のところでたのしいし、やりたいことやアイデアはたくさん浮かんでくる。

やりたいことをやる。違うことはしない。そっちのほうに舵を切ることにした。

お金面の不安は付きまとうのだが、nicoさんに生きるだけならなんとかなるよと言ってもらえた。

これまで、すくなくとも失敗は重ねてこれたので、その分の成長はあった。成功で自身をつけてしまうと、自惚れになってしまうだろう。長い目でみるとよくないことだ。

やすきは競争がしたいわけではない。勘違いして偉ぶりたいわけでもない。

そう、自分自身でいたいだけ。

自分がおろそかになっていた。

自分を大切にしていく。

具体的にはならなかったが、いまの気持ち。

あせらず、風のふくまま、気持ちの赴くまま、納得できるまで、やってみよう。蛹から蝶に変われるかもしれない。