おひさしぶりです。しばらく筆が途絶えていました。気持ちも身体も快方に向かっておりますので、再び、言葉を紡いでみなさまにお伝えすることにします。まず、これからどうするかを、書きます。整理も含めて。
辛抱の果てに
横須賀コーヒーフェスとカルダモンモンが終わった。どちらのイベントも、結果は盛況だった。
コーヒーフェスは運営と出店を途中で外れ、カルダモンモンはスパイス担当を〈ぼくとつキッチン〉に変わってもらったので、結果的にやすきのタスクはほとんどなかった。
コーヒーフェス運営の資金支出のため、店を閉め、働きに出た。無理が祟って尿路結石を再発し、思わぬ痛手を喰らった。
わかったことは、キャパを越えるストレスを抱えると、自分の体は血尿が出るようだった。前回の発症はおとどしの春。〈hatis AO〉オープン前。
ある朝、突如に激痛が走って、生まれて初めて救急車を呼んだ。うわまち病院に救急で運び込まれて、尿路結石ですねと診断された。
振り返ると、その時にやっていた仕事も影響していた。みなとみらいでコロナの給付金に関する仕事だった。毎日、京急の満員電車に揺られ、地下鉄に乗り、ビルの27階だかのオフィスに幽閉され、一日中パソコンに向かい合う。
情報処理の仕事はやすきに向いているらしく、30人の同僚の中で処理件数は1位だったらしい。めずらしく仕事で褒められた。それでも、膨らむような人の渦に巻き込まれる都会の仕事生活は、身体に思った以上の負担がかかっていた。

今回、血尿が出たのは、力仕事をしていたとき。作業途中にお手洗いに行くと、ドバッと赤い尿が出ていたのを覚えている。焦るというか、またかあ、と半ば諦めの念がこぼれた。
そこから、ずっと休みなく働いた。年始からある会社に世話になって、横浜の工場に働くことになった。年末に試しに働きに行ったのだが、ここは向いてないなあと感じて断ろうと思っていたが、年末年始の仕事が少なく、ずっと稼働していたものの、想定よりも稼げなかったので、入ることにした。
この判断がいけなかった。思えば、ここの初日、入金が遅れていて、交通費が足りなくて別の現場になった。神様から行くなっていうサインだった。
頭がぼろぼろで同じ間違いばっかしていたし、異様に攻撃してくる人がいたり、作業中の痛みに耐えながら1日11時間働いていたりで、暗澹たる毎日だった。身も心も疲れ果て、LINEもSNSも見れなくなっていた。お金のことに必死で、何もできなくなっていた。
だれにも会いたくないし、話したくもなかった。どこか自分の知らない土地に行こうか、とあらぬ妄想に耽っていた。これだけ辛いのなら店もやめてしまおうかなあ、と帰りの横浜駅から下り線、満員電車の吊り革を眺めながら、考えていた。帰っても時間がないので、睡眠時間を削りながら、ご飯を食べたりしていた。
ツイッターで心配の声が上がり出したへんで、運営と出店を辞めにする提案が来た。それが最良の選択だった。それしかない。運営スタッフたちの優しさだった。だけどその時は、この一ヶ月の辛抱はなんだったのかという気持ちになった。
もちろん、つらいのはやすきだけではない。運営スタッフみんなが忙しい中、多量のタスクを消化していった。みんなしんどかったはずだ。
横須賀コーヒーフェスは大成功、と言って差し支えないほど人が来ていた。お客さんも参加した店舗さんも、参加したボランティアスタッフも楽しそうだったし、運営スタッフもしんどかったろうが、充実感があるように見えた。ハッピーエンドの幕が降りた。
その中で、やすきだけが複雑な感情で会場を見つめていた。自分はいい結果にはならなかった。こんなハッピーなイベントで、なぜ自分は周波数が合わなかったのだろう。店を閉めた二ヶ月間はもどることはないし、みんなに心配もかけた。
なにがいけなかったのだろうか。
心と体の一致

コーヒーフェスの運営を途中で抜けた時点で、店を再開したいから、横浜の仕事は辞めさせてもらおうとしたが、仕事を与えてくれたり、酒やご飯もご馳走になったので、続けた。
ところが、一ヶ月だった約束が、働いていた会社の社長からまだまだ続くよと言われた。聞いていた話と違っていたので、うーん、と思ったがカルダモンモンの後に受けることにした。
当日。止んでいた尿路結石の痛みがぶり返した。この仕事がストレス過多すぎて、体が拒否反応を示していた。玄関から出れなくて、行けなかった。
これはやすきも悪い。迷惑をかけた。
よくなかったのは、心とかけ離れていたこと。筋と義理は通さなければいけないのだが、義理立てしすぎて、自分の軸が疎かになってはいけない。
やりたいことのために、やりたくないことをやりすぎない。いや、今回は離れていることをやっているという表現だろうか。
コーヒーフェスも、なにか違う選択肢を取っていれば、運営も出店も果たせていたかもしれない。
そう、自分の軸である〈hatis AO〉を、開けなくては。この2ヶ月で悲しかったことは、店ができないことだった。
2月の頭から、休みを取った。〈hatis AO〉を開いて以来、初めての休みだった。ひさしぶりに横須賀を散歩した。知らない道を行った。まだ知らない場所がたくさんある。横浜の仕事に行かなくなると、横須賀がこんなにも気持ちいい街だと気づくことができた。心が塞がっていたようだった。
そして、ご心配をおかけしたみなさん、すいませんでした。このことについては別の記事で書きます。
何日かかけて〈hatis AO〉を掃除して、改装をした。店づくりは楽しい。まだ完成ではない、だから次の工程に移るために、お金が必要だ。だから働いて、お金をつくって、店を開ける。そのために津山からはるばる、遠い横須賀にきたのだ。
自分が、心からやりたいことをやる。その日々に向かっていく。
次回は、具体的な方針について。