湘南移住記 第225話 『いま、どこなのだろう』

店を休業して2週間。年の瀬を迎え、さむくなってきた。

ほとんど働いて、空きができた日は、人と会ってる、という毎日。

ネクストレベルという日雇いのアプリをつかって、その日その日で、あちらこちらへ。

場所は、横浜が多い。草刈り、引越し、什器の搬入、デパートの販売。お給料は、案件によってまちまちで、9000円〜14000円ほど。

派遣の仕事だけだと、しんどいが耐えれることはできる。派遣先もいい人ばかりだ。店と並行は、やっぱりきつい。体力的にも時間的にも。俯瞰的にやっていたことのきつさがわかった。

店を休まなくてはいけない、と判断してから、精神は下火だったが、切り替えをし始めた。Hot Chillin’3 もなんとか終えれた。年末のhatisマルシェは出店者が集まらなかったので、どうしようかと思案している。

ここ2週間、瞑想をふたたび始めた。頭の中を整理している。読書も、派遣の移動中にするようになった。読書は続けているのだが、まとまった時間に集中して読むのはひさしぶりだった。

自己観照に勤しみ、文章の宇宙に身を投げ込むと、見えてくるものもある。

ヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』とカミュの『シーシュポスの神話』というエッセイを読んだ。持ち歩けて、電車で読める文庫本で。

2人とも、読書によって自分の人生を拓いてることが伝わる。偉大な作家たちは、腰を据えて本に向き合っていた。ウルフの本を読むと、頭の中の回路が開くようだった。

現在地点

気高い魂

自分が、人生のどの地点にいるのかを考えた。

高校受験で落ちた志望校を受け直す夢をみて、早朝に目が覚めたら。まだ、古い感情を抱えているのだろうか。毛布の中で、重石になっている感情を深い海底に手放すイメージをした。半覚醒の頭で、心の動きをイメージすると、うまくいくようだった。

古い価値観を手放すことには、恐怖が伴う。変わらなければいけないから。でも、20年前と今の自分では、生き方も考え方も違う。

両親に認められたいだけ、という狭小な視野から、さすがに広がった。

だから、20年かけて、自分の生き方をつくってきたのだろう。〈めい鍼灸院〉のめいさんのように、それが人生のとても早い段階で出来ている人とも出会う。やすきの場合は時間がかかったが、それも含めて自分なのだろう。

これから店を一本化して、会社をつくり、経営者になる。「つくる」と「つなげる」ことに人生を捧ぐことにしたが、結局、人との関わりの中で生きている。

大学も行きたいとこに行けなかって、ホテルで働いて、やりたいことを仕事にしてる人に出会って、webデザイナーを目指して、学校いって、神戸に出て働くけどうまくいかず、岡山もどって、店を開いて、相続の騒ぎがあり、閉めて、横須賀きて、開くまでも大変で、開いてからさらに大変で、イベントして横のつながりつくって、規模が大きくなり、一度、店を閉めて立ち止まってる。

ふりかえると、ドタバタしてたなあ。

その過程で、本当にいろんな人と出会ってきた。

果てしない道のりのうち、自分を諦めていくことを覚えた。自己肯定も自己否定も評価と言う点では根は一緒だから。

富士見町から上町に向かう道。途中で、町内会の活動か、広い駐車場で釜に火をつけて炊き出しのようなことをやっていた。焚き木が燃える香りを嗅ぐと、こどものころ、山で同じようことをした記憶が蘇った。プルーストの『失われた時を求めて』は、マドレーヌを紅茶に浸した香りで、過去を思い出すという物語だが、香りは、古い記憶を引っ張り出すような力がある。

すると、突然に、富士見町が、地元の津山に見え始めた。同郷のカメラマンの矢吹さんが、「この辺りは津山に似ていますね」と言っていたことが理解できた。津山も富士見町も、古い街並で、路地が細く、山がある。

冬の澄んだ空気。黄色がかった朝陽が、古い街並に差し掛かる。トタン屋根に、電信柱に、行き交う人に。境界が曖昧な視路に、輪郭がはっきりと浮かび上がってきた。世界が、光の芳香に包まれていた。鮮やかに、あたらしく。

解像度が上がって、気高い魂がすべてに乗り移っているように感じる。

何度も何度も通った道なのに、まったく違う場所のようだった。心に突き刺さっていたつっかえが、またひとつ取れた。

これから、やれること、やることが山盛りだ。今は、営業の再開に向けて、派遣の仕事をしなければならない。今日は夜まで、金沢八景の仕事。

まだ道は途上だった。いったい、どのあたりまできたのだろうか。見当もつかないが、一歩一歩すすんできたことはたしかだった。始点は、はたしてどこからだったのか。

上町で買った〈パニエ・ド・パン〉のショコラパンを、珈琲に浸して食べた。こどものころは珈琲をのんでいなかったので、記憶が蘇ることはなかった。